2023/01/17

銭湯デモクラシー

 月曜日、午前中から西部古書会館の大均一祭(三日目一冊五十円)。千百円分買う。この日、『日本現代写真史展 終戦から昭和45年まで』(日本写真家協会、一九七五年)の図録も五十円だった。「人物写真25年」に吉川富三の「尾崎一雄」の写真あり。尾崎一雄は着物姿で頬がげっそり痩せている。髪はまだある。何歳のときの写真か気になる。

 大均一祭、三日間楽しかった。値段を気にせず、本や雑誌を買う。ふだん手にとらないような本も読んでみたら面白い。

 初日、桑原武夫、加藤秀俊編『シンポジウム 20世紀の様式 かたちと心 1930−1975』(講談社、一九七五年)という縦長の大判(二百九十二頁)の本も入手した。アート・ディレクターは辻修平。

 この本に鶴見俊輔「風俗から思想へ」(語り)も収録されている。

《たとえば銭湯デモクラシーということばがあります。戦後にできたことばなんだけれども、「それは銭湯デモクラシーにすぎない」というふうにいうわけですね。これはデモクラシーの初歩というふうにみられる学術用語ですけれども、私はその中にはたかが銭湯デモクラシーという、ひじょうに銭湯を見下げた態度があると思うんですよね。だけど、銭湯に入るときに自然の行儀があるでしょう。湯をよごさないようにとか、熱い湯で人に迷惑をかけないようにとか、知らない人が突如としてそこで殴り合いをしないとか、けんかを避けるようないろんな話題がありますね。そういうルールが江戸時代に発達した。それはひじょうに高いものであって、たかが銭湯デモクラシーにすぎないというふうにはいえないと思う》

 銭湯の世界には上下関係はないし、学歴や職業や地位も関係ない。いわゆる裸のつきあいだ。ただし銭湯にはルールはある。
 湯船に入る前に体を流す。タオルは浴槽に入れない。頭を洗っているときに隣の人になるべくお湯や泡が飛ばないようにする。床はすべるからゆっくり歩く。他にも細かいルールはあるが、基本はまわりの人に気をつかえるかどうかだろう。お湯につかってさっぱりして気持よく銭湯を出て家路につく。そのためにその場にいる人たちが協力し合うのが銭湯デモクラシーなのではないか。

 最初は初心者だから、知らないことがいろいろある。一から懇切丁寧に教えてくれる人がいるとはかぎらない。知らないままだと不都合なことが起こる。だから見よう見まねで暗黙のルールみたいなものを学んでいく。すぐ身につける人もいれば、時間のかかる人もいる。

 わたしは学生時代——一九九二年の夏ごろ、鶴見俊輔さんと知り合った。当時、鶴見さんは七十歳前後だったけど、誰にたいしても態度が変わらない人だった(すくなくともわたしの印象では)。

『シンポジウム 20世紀の様式』はまだまだ紹介した話がある。一九七五年の本だけど、今の時代にも通じる提言の宝庫だ。というわけで、続く。