日曜日夕方、西部古書会館の大均一祭二日目(一冊百円)。十三冊。『月刊ことば』の一九七七年十一月号(創刊号)と七八年二月号など。『月刊ことば』の版元は英潮社、編集人は外山滋比古である。エディトリアルデザインは戸田ツトム。七八年二月号は「文章読本」の特集で山本夏彦が「谷崎文章読本」と題したエッセイを書いている(これが読みたくて買ったといっても過言ではない)。
《本というものは、それを読んだときの年齢と関係があって、弱年のときに読んで感心した本がほんとの本で、それ以後読んだ本はほんとの本でないと、勝手ながら私は区別している》
《本と人の間は縁である。縁で結ばれること人と人の間のごとしと私は思っている。人が本を選ぶことはよく知られているが、本もまた人を選ぶのである》
山本夏彦は一九一五年六月生まれ。谷崎潤一郎の『文章読本』は一九三四年十一月、萩原朔太郎『氷島』は同年六月の刊行である。当時山本夏彦は十九歳。「この二冊は私にとってそういう時期の本である」と書いている。
何を「ほんとの本」とするかは意見が分かれるだろうが、十九、二十のころに読んだ本の影響は長く続く。たぶん音楽もそうだろう。
山本夏彦は谷崎潤一郎の『文章読本』を読み、「耳で聞いてわからない言葉なら使うまい」と決めた。さらに「私は朔太郎以後に詩人はいないと思っている」という。「朔太郎以後」云々の件はそのすこし後で「ずいぶん失礼な言い草で、他の詩人には申訳けないが、目がくらんでほかのものが見えなくなったのだからご勘弁願いたい」と断っている。
山本夏彦著『完本文語文』(文春文庫)に「萩原朔太郎」というエッセイがある。冒頭で朔太郎の詩集『氷島』の「珈琲店 酔月」を抜粋——。「坂を登らんとして渇きに耐えず」ではじまる文語詩である。
《この年代の詩人は文語を捨て口語に転じるのに悪戦苦闘している。それ以後生まれながら口語自由詩で育った詩人の詩は多く朗誦に耐えない。以後口語文は散文も詩も原則として黙読するものになった》
《朔太郎は天才だと少年の私は思った。その詩人が昭和九年の「氷島」では全部文語であらわれたのである》
『完本文語文』の単行本(文藝春秋)は二〇〇〇年、文庫は二〇〇三年に出ている。以来、何度か読み返しているが、山本夏彦がこれほど朔太郎に傾倒していたことに気づかなかった。