押入のレコードを整理していたら、友川かずき(現在はカズキ)『俺の裡で鳴り止まない詩 中原中也作品集』(一九七八年)が出てきた。二十年ぶりくらいに聴く。このアルバムはA面五曲目に「桑名の駅」という曲がある。桑名の夜は暗かつた〜。アレンジはJ・A・シーザー。JR桑名駅のホームに中也の「桑名の駅」の詩碑もある。一九九四年七月、桑名駅開業百周年のときにできた。
中原中也の詩集の「桑名の駅」には「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間の不通のため、臨時関西線を運転す」と付記されている。一九三五年の詩。
わたしは郷里に帰省するときは近鉄を利用することが多い。だから最近までJR桑名駅の中也の詩碑のことを知らなかった(わたしが上京したのは一九八九年春で郷里にいたころはなかった)。
「桑名の駅」のころの中原中也は四谷花園アパートから市ヶ谷谷町に引っ越したばかりだった(ちなみに中也は高円寺に住んでいたこともある)。村上護著『文壇資料 四谷花園アパート』(講談社、一九七八年)に、青山二郎を慕って中原中也が花園アパートに引っ越してきた後の話が詳細に記されている。
《青山二郎が住んで以後は、文士たちの往来も多くなったが、いろんな人物の出入りがあった。いまの作家のように紳士面もしなければ、名士ぶったりしない。彼らは談論風発、朝まででも飲み明かし、大いに青春を謳歌した》
当時、青山二郎の部屋にはステレオがあり、レコードも二千枚ほど持っていた。中也も青山に刺激され、蓄音機を買い、レコードに凝った。著者の村上護は「彼の音楽に示した関心の深さは、もちろん詩にも反映している」と書いている。