土曜、西部古書会館(初日は金曜)。朝日新聞社編『人さまざま』(朝日文化手帖、一九五三年)など。『人さまざま』は文壇や画壇で活躍する著名人(百二十名)の寸評、エピソード集——古木鐵太郎著『折舟』(校倉書房)に寄稿していた浜本浩も収録されていた。
浜本は高知の人(生まれは愛媛)で「『改造』の記者を辞めてから、大衆小説を書き出した」とある。
『折舟』所収、浜本浩の「微笑の人」に次のような記述あり。
《「改造」創刊以来、作家係として働いた編集部員は少くない。が、今もなほ、往年の大家連から、好意を以て記憶されている者は、三人か四人しかゐない。古木鉄太郎君はその一人であつた》
『古木鐵太郎全集』の追悼文を読むと、古木の人柄を「温厚」「素直」と評した文言が並ぶ。編集者としては得難い資質だったかもしれないが、作家としては不遇だった。しかし人の縁には恵まれた人生だったのではないか。
『折舟』所収作だと、わたしは「月光」が好みの作品だった(全集では題名が「月の光」になっている)。
《鷺宮に越してから今日は四度目の十五夜である》
古木が野方から鷺宮に引っ越したのは一九三八年四月——。
鷺宮の八幡神社の祭、家族の話などが続く。子どもたちは野方の国民学校に電車で通っている。買物も野方に行っていたようだ。
散歩中、古木はこんな思索をする。
《……自分は自分の貧しい生活を想ふと、どうにかしなければならないと思つた。いゝ小説を書きたいと思ふが、それがなかなか出来ないのだ。そして自分は自分の現在の仕事のことや、将来の生活のことなどをいろいろ考へながら帰つて来た》
わたしも散歩中にこういうことをよく考える。どうにかしなければ。
今回「月光」を読んでいて次の一文が気になった。
《線路の所まで来て、そこから線路に沿つて畠の傍を歩いて行くと、すぐ向うに、ついこの前出来た新しい駅が見える》
新しい駅は何駅か。作中「自分は踏切の所から西鷺宮の駅の方へ向つて」という文章がある。ネットで検索。西鷺宮(西鷺ノ宮)駅はかつての西武新宿線の駅で一九四二年九月五日開業(一九四四年八月二十日閉鎖、一九五三年廃止)した駅のようだ。鷺ノ宮駅と下井草駅の間にあった。
「月光」のころは駅ができたばかり。「四五日前の夜、そこでその落成祝の余興」があった。バラックの舞台があり、「素人の万才や浪花節や落語」が演じられた。西鷺宮駅のことを調べてなければ、この作品が一九四二年の秋の話と気づけなかった。
古木の家(当時は借家)には畑があり、さつまいも、里芋、れいし、韮などを作っている。それを世田谷に住む病気で療養中の兄におすそわけする。野菜をあげたり、もらったり。古木は日常の些事をよく記した。
兄の家に行き、故郷(鹿児島薩摩郡さつま町)の話をする。
《「君はまだ家屋敷と、地所も少しあるから、郷里に帰つても何とか暮せるよ。僕はもう何も無いから、何処か、U(少し離れた温泉場)の辺りに家をこしらへて、そこで百姓をしたり釣をしたりして暮したいと思ふよ」と云ふので、そんなら自分は郷里へ帰れば何とか暮して行けるのか知らと思つて、そのことが一寸不思議な気もした》
戦時中の話だが、わたしも近所の友人と似たような話をよくする。温泉、釣り、畑か。「U」はどこだかわからないが、地図を見ながら、さつま町の川の近くのこのあたりかなと予想する。