月曜夕方、荻窪散策、行きは電車で帰りは歩いた。荻窪〜阿佐ヶ谷間の大陸飯店にはじめて行く(何度か店の前を通って気になっていた)。醤油ラーメン、五百五十円。
桑野淳一著『熊野灘もうひとつの古道 南島町 浦竃の謎を追う旅』(彩流社、二〇〇九年)を読む。三重県の南島町(現・南伊勢町)は、わたしの母方の郷里(浜島町/現・志摩市)も近い。どちらも海岸線が入り組んでいて、陸の移動はけっこう大変なところだ。
南島町は「竃」の字が付く集落が多い。このあたり「平家街道」と呼ばれる山道があるらしい。
平家の落人が生計のため、塩を作った。塩を焼くための竃が地名の由来といわれている。
昔は海上交通が盛んで、陸路では行きにくい地域でも人の行き来がけっこうあった。地図を見ているだけではなかなかそういうことに気づかない。
この本、南島町のことから、和歌山、滋賀と話が広がる。
たとえば、近江商人と伊勢商人のつながりについても紙数を割いている。
一五八八(天正十六)年、松坂城に蒲生氏郷が入城した。
《彼は近江商人、とりわけ日野からの商人をもろとも連れてこの地に移り住んだため、今日でも松阪駅の近くに日野町という地名を見ることができる。近江の日野町から移り住んだ人々が形成した町である》
近江の日野から松阪に移った商人たちが松坂商人(伊勢商人)になった。
滋賀県の日野町(蒲生郡)は東海道の水口宿に近い。中山道の愛知川の少し先の五箇荘(小幡)から御代参街道(近江商人街道)という道があり、日野町を通り、東海道の土山宿に至る。御代参街道は中山道と東海道を結ぶ脇街道で、土山宿の先に鈴鹿峠があり、そこを越えると三重県である。
歯科通い(まだしばらくかかりそう)が一段落したら、日野町(滋賀・三重)を歩いてみたい。