『文学・昭和十年代を聞く』の阿部知二の社会分析(自己分析も含む)をもうすこし紹介したい。
《さらに憶説に過ぎないのですが、明治以来の文学をみても田舎から出て来た人が、たとえば写実主義とか自然主義とか西洋の主義を受け容れたと思います。藤村や花袋や独歩にしてもそうです。都会人は自己の文化伝統があるから、それ以上受け容れる余地がない。田舎から出て来た人は伝統的文化に恵まれないから、かえって素朴に抵抗なく西洋近代を受け容れたということがあると思います》
阿部知二は一九〇三年、岡山県勝田郡湯郷村(現・美作市)の生まれで、生後すぐ島根県大社町、九歳のときに姫路市に移り住んだ。その後、旧制高校(名古屋)を経て、東京帝大に入る。
経歴を見るかぎり、阿部知二自身、「田舎から出てきた人」である。いっぽう父が中学の教師で「田舎ではいくらか本を読んだりする階層」だったとも語っている。
『冬の宿』でも卒業間近の大学生が、合理性を気にせず生きる人々に戸惑い、翻弄される場面がたびたび描かれる。
阿部知二は『文学・昭和十年代を聞く』のインタビューでこんなことを語る。
《ぼくは今だって年は寄りながら叙情的なものへの傾斜をなかなか脱却しきれない。(中略)その一方で、いよいよ強く主知的なものの必要というのが考えられる。それはぼくの身にとっては不幸な精神分裂です》
旧制高校から帝大に進んだエリートであり、「文化的リベラリズム」を身につけた阿部知二だが、世の中の多くの人は「主知的なもの」では動かない。しかも阿部知二自身、「叙情的なもの」にも愛着がある。
知と情の調和を目指すのか、あくまでも知を貫くのか、情に流されるのか。ひとりの人間の中にもそうした揺れがある。
(……続く)