2015/12/18

居場所の話 その六

 今いる場所から抜け出し、自分の居場所を作る。
 十代、二十代はじめのころは「特別な何か」にならないといけないとおもっていた。でも、二十代半ば、後半になると、世間知らずなりに現実が見えてくる。
「自分ではなく、まわりが間違っている」という思考も薄れてきた。
 仕事や人間関係が長続きせず、貧乏生活を送っているうちに「やっぱり、俺もどこかおかしい」とおもうようになった。

 ただ、自分がおかしいとおもう状況は、相手が強者で、こちらが無名の弱者という力関係の問題であることも多い。
 自分がいえばボツになる企画も、有名人がいえば通る。有名でなくても、それなりに信頼関係があれば通る。そういうことはいくらでもある。
 仮に、自分の意見はまちがっていなくても、自分の立場を弁えていないとその意見は通らない(もちろん、運がよければ通ることもあります)。
 そういう世の中の仕組をわかっていなかった。

 いろいろ経験を積んでいくうちに、仮にA社ではだめだった企画がB社では通ったり、担当者との相性次第でまったく別の結果になったりすることもすこしずつわかってくる。
 百人中九十九人につまらないといわれても、一人おもしろいといってくれる人がいれば、そこで成立する世界もある。

 渡辺京二さんのいう「ニッチ」「自分に適した穴ぼこ」もそういう小さな世界ではないかとおもう。

 十人に二、三人はおもしろいとおもってくれるような才能であれば、小さな世界を目指す必要はない。まわりもほっとかないだろう。
 わたしはそうではなかった。

 どうすれば「自分に適した穴ぼこ」を見つけ、そこで生きていくことができるのか。

(……続く)