昨日は日中の最高気温三十五度。暑い。万歩計のボタン電池が切れていたので交換する。
週一、二回、中野区の大和町や野方を散歩する。道に迷っているうちに大和町の八幡神社に辿り着いた。住宅街の中の神社だけど、参道がある。魚魂碑という釣魚の慰霊碑があることを知る。
都内の新型コロナの感染者数の増加と自分の危機感がまったく比例していない。時候の挨拶のようにコロナの話を書いている。新刊案内を見るとタイトルに「コロナ後」と付いた本がけっこうある。「コロナ後」はいつ来るのか。
恐怖や不安に根ざした思考は強い。さらに嫌悪感や正義感が加わるとより強固な思考になる。新型コロナに限ったことではなく、差別、排外主義も同様の思考過程をたどりがちだ。不安なときはニュースよりも古本を読むほうがいい——とわたしはおもっているのだが、それはそれで世の中とどんどんズレていく。
大岡昇平の『成城だより』を再読する。文藝春秋のすこし大きめの新書版の三巻本で読む。
《散歩の必要。大腿筋の如き大きな筋肉を働かすと、脳内の血行が活発になるとの説あり。実際、古今東西に歩行の詩文多く、筆者も以前は行き詰まると書斎内をぐるぐる歩き廻ったものだった》
当時の大岡昇平は駅まで十五分の散歩でも疲れ、帰りはタクシーに乗った。
一九七九年十一月の日記。大岡昇平七十歳。『文學界』一九八〇年の新年号から連載がはじまった。大岡昇平が亡くなったのは一九八八年十二月二十五日。たしか『昭和末』(岩波書店)という本も家のどこかにあったはずだ。