土曜日、午後三時、目白駅。古書往来座まで歩く。『生誕百年 杉浦明平の眼』(田原市博物館、二〇一三年)などを買う。杉浦明平は一九一三年愛知県渥美郡福江村(現・田原市折立町)生まれ。地元では町会議員をしていたこともある。本とレコードのコレクターでもあった。街道に関するエッセイも書いている。
武田泰淳、木山捷平が伊良湖をそれぞれ別に訪れたさい、二人とも杉浦明平の名前をあげている。富士正晴の本で杉浦明平の本を枕元の書にしていると記されていた記憶がある(題名をおもいだせない)。渥美半島を二度ほど歩いたが、田原市博物館は寄ることができなかった。
そのあと鬼子母神から雑司ケ谷、西早稲田界隈の古鎌倉街道を歩く。鎌倉街道は諸説いりみだれ、専門家のあいだでも意見が分かれる。誰も正解を知らない道といってもいい。地形や川の流れも昔と今とではちがう。
金乗院(目白不動)のところに宿坂道の看板あり。宿坂通りをしばらく歩く。長い下り坂。面影橋、早稲田通りへ。さとし書房のあたりに出る。
古書現世で向井さんと雑談する。『生誕100年記念 中島健蔵展』のパンフレットを買う。中島健蔵展(二〇〇四年一月二十日から二月二十二日)は恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館で開催された。中島健蔵が撮影した文士の写真がたくさん収録されている。年譜も詳細。『司馬遼太郎追想集 ここに神戸がある』(月刊神戸っ子、一九九九年)も買った。古書現世の近くの通りも古鎌倉街道という言い伝えがあるらしい。
往来座と古書現世が鎌倉街道(かもしれない街道)でつながっているのも不思議だ。
雑司ケ谷あたりから西早稲田を通る古鎌倉街道は渋谷のほうにつながっていたという説もある。つまり、東京メトロの副都心線=鎌倉街道の可能性もあるわけだ。
早稲田通りを歩いて、小滝橋から神田川沿いの遊歩道を歩く。夏は五千歩を目安に水分補給している。帽子(できれば通気性のよいもの)は必需品だ。小滝は「おたき」と読むのか。ずっと「こたき」だとおもっていた。木陰もあって快適だった。川沿いの道は風がやや涼しいのもいい。
遊歩道を歩いていくとJR東中野駅に到着する。
東中野のライフの品揃え、あいかわらず素晴らしい。