夜、散歩。満月。ひさしぶりに月をじっくり見た。
都内の新型コロナの感染者数を報じるニュースを見ても、天気予報くらいの感覚になりつつある。これが正常性バイアス(日常性バイアス)か。
コロナ禍以降、気長にものを考えられなくなっている。それでも苦難苦境を乗り越えてきた人々が書き残してきた書物に学ぶことはたくさんある。
土曜日夕方、西部古書会館。そのあと二冊持っていた本を何かと交換しようとおもい、高円寺の「まちのほんだな」の北二丁目支部を見に行く。ここは有志舎の永滝さんがやっている棚。読みたかった本があって嬉しい。
話は変わるが『中年の本棚』のあとがきで「高円寺の寓居にて」と書いた。新居格の本を真似た。寓居は「仮の住まい」という意味と「自宅の謙遜語」という意味がある。
《わたしはなによりも散歩が好きであるが故に、散歩だけは怠らなかった》(「街の銀幕」/新居格著『生活の窓ひらく』第一書房、一九三六年)
新居格は「散歩者」を自称し、単調な暮らしを好んだ。また「文学者」である前に「生活者」であろうとした。 戦中、言論弾圧が厳しくなった時期には「生活の向上」や「健康」に関する文章をけっこう書いている。
彼が高円寺に住むようになったのは一九二四年十月。新聞社を何社もクビになった後、アナキストの評論家とおもわれていたため、定職に就くことができず、雑文書きで食いつないだ。勉強家だが、これといった専門がなく、高円寺で暮らしはじめたころは借金生活を送っていた。 すこし前、永滝さんに新居格が生協の前身にあたる運動をやっていたことを教えてもらった。頼み事を断れない性格だった。
昭和十七年刊の『心のひゞき』(道統社)の奥付を見ると、新居格の住所は「杉並區高圓寺三ノ三一六」となっている。今の住所だと高円寺南四丁目——長善寺や福寿院などの近くか。評伝などを読むと中野や阿佐ケ谷界隈にも住んでいたことがあるようだ。