2020/08/15

終戦の日

 七十五年目の終戦の日。戦争体験はどこにいたか何歳だったかといったことでもちがってくる。 

 戦争にかぎらず、生まれた時代や場所、生い立ち、能力その他、様々なちがいがあり、その「差」はどこまで意識すればいいのか。

『大岡昇平対談集 戦争と文学と』(中央公論社、一九七二年)に古山高麗雄との対談が収録されている。一九〇九年生まれの大岡昇平と一九二〇年生まれの古山高麗雄——終戦時の年齢は大岡三十六歳、古山二十五歳である。ふたりとも戦地で捕虜になった経験があり、お互いの作品に共通点があることを認めている。

 そのことをふまえ、古山高麗雄は「大岡さんの場合と私の場合で違う点は、ひとつには大岡さんには奥さんとお子さんがいらっしゃったけど、私は二十歳代の独身だったということかな。これは違うんじゃないかと思いますよ」という。いっぽう大岡昇平は「負けたらどうせ妻子もめちゃくちゃになっちゃうしね。負けるにきまっているんで、自分は確実に死ぬと思ってましたから、まあ、負けたあとの日本なんていうのは、どうせ生きるに値しないし……というふうなやけな気持だったね」と語る。

 そして戦争全体をとらえた小説を書くことの難しさについて語り合い、戦後の話になる。

《古山 ……私はデモクラシーというものを信じられないんですよ、日本人がやる場合。むろん封建制がいいというんじゃないですけど。そういうところに、なにかうそがあるな、と感じてきました。(中略)デモクラシーにしても平和運動というものにしても私はどうにもついて行けない。戦争中の思考の形とぜんぜん変っていなんで、そういう意味でも私は、ちっとも変ってる感じがしないんです。

 大岡 そうですね。戦争の性格が抑止戦略ということになっちゃって、戦争はそれこそ小説を受けつけない段階に達しちゃってる。その中で平和ということを主張するとすれば、その抑止戦略、威嚇戦略というものの中で、平和という理念をどういうふうに通すかということ、これは必ずしも心情的に平和を主張するのではなく、計量的に平和の可能性をはじき出そうというのです》 

 この対談を読みながら、戦中も戦後も日本人の「思考の形」が変わらないといった古山高麗雄の真意について考えていたのだが、すぐには答えがでない。

(……続く)