三月二十一日、春分の日。深川いっぷくの「新春・彷書月刊まつり」にちょこっと顔を出す。
深川ははじめて。散歩したくなる町だ。会場に行く途中、「中華&洋食」という看板の店がとても気になった。
この日は「なないろさんの古本入門教室」と振り市があった。いつ聞いても『彷書月刊』の田村治芳さんの話はうさんくさくておもしろい。
その田村さんの話に、リコシェの阿部さんが「なぜ古本屋さんになろうとおもったんですか?」といった素朴な質問をぶつけまくるので、田村さんのいかがわしさ(ホメ言葉のつもり)が引き立つこと、引き立つこと。ぜひ、活字化してほしいなあ。古本屋になりたい人の役には立たないとおもうけど。
振り市で、赤木圭一郎主演の『俺の血が騒ぐ』の垂れ幕を競り落としたのはいいが、家に帰ってひろげてみたら、ものすごくデカい。どうすればいいのか。
助教授が出品した美内すずえの『宇宙神霊記 霊界からのメッセージ』(学研、一九九一年)を競争相手がいなくて百円で落札してしまう。うれしい反面、ちょっと肩透かし。千円くらいまでは競うつもりだったのに。この本、インターネットの古書店では、二〜三千円、高いところだと六千円前後の値段で取引されている本なのである。
《高校生のときにプロのマンガ家としてデビューした美内すずえさんは、これまでに数知れない超常現象を体験してきた。
霊的に高められた今では、霊界と交信できるまでになっている》
どこからどこまで本気なのか。気になって最後まで読んでしまったよ。なんとかと天才は紙一重というが、かなりきわどい本であることはまちがいない。
長年、科学書とオカルト本を交互にくりかえし読んでいるのだが、霊とかUFOとかを信じている人は、どこまで本気なのだろう。そういうことにちょっと関心がある。本気になることによって、つまり信じきってしまうことによって、人としての柔軟さが失われてしまうことが怖いのだ。
もしわたしがそうなってしまったら、誰かちゃんと注意してほしい。
美内すずえが『宇宙神霊記』のような本を書いたとき、まわりの編集者はやっぱりちやほやしてしまったのではないかとおもうのである。
「すごいですね、美内先生には、救世主が見えるんですね。やっぱり先生は天才です」
「いえいえ、あなただって信じさえすれば、いつか見えるようになりますよ」
なんかつらいなあ。でも自業自得なのかなあ。
帰りぎわ、旅猫雑貨店の箱にあった『広告批評』(一九八六年六・七月合併号)の「東京名物評判記」をパラパラ見ていたら、「半額にしますよ」といわれたので喜んで買わせてもらう。
電車の中で読んでいたら、巻頭に中川六平さんの写真が出ているではないか。二十年前の。しかもプロフィール付。貴重な資料だ。この号、高橋章子、中森明夫、中川六平が分担編集していたのである。
そういえば、この日『彷書月刊』の田村さんの十八年前の長髪の写真も会場で公開された。
うーん、たしかに安斎肇。