黒田三郎という詩人のことを書こうとすると、書きたいとおもうことがあっちこっちにいってしまう。書けば書くほど混乱する。黒田三郎の存在が自分の中で大きくなるにつれ、自分の文章にたいする感覚が変わってくる。これまで無自覚だったことを自覚させられる。そういうことは本を読んでいれば、よくあることだが、黒田三郎の場合、その自覚させられる部分が、いつもよりちょっと深いかんじがするのである。
《一篇の詩を書き上げる過程でさえ、それほど作者には明瞭ではない。詩は「つくる」ものであると同時に、「できる」ものである。極端な場合は、うっかり洩らしたひとりごとに似ている場合もある。筋肉に随意筋と不随意筋があるように、われわれの精神の内部には、われわれの自由になる部分とそうでない部分とがある。そして詩はむしろわれわれの自由にならない部分に多く依存しているようである》(黒田三郎著「生活の意味・詩の意味」/『内部と外部の世界』昭森社)
この意見はそれほどめずらしいものではないかもしれない。多かれ少なかれ詩が好きな人には、けっこうピンとくる話だとおもう。詩にかぎらず、小説や随筆にも、そういう部分はある。
わたしが尾崎一雄や古山高麗雄の小説を好きになったのも、文章のところどころに出てくる「うっかり洩らしたひとりごと」のような部分に共感したからだ。ただ、そのことを自覚していたかというとその自信はない。文章だけではなく、人と会話していても、「うっかり洩らしたひとりごと」のような言葉はけっこう印象に残る。
よくひとりごとはうつるというが、まったく無根拠の話ではないのかもしれない。
もちろん、ひとりごとを書けば、いい詩になるかといえば、そんなことはない。それが可能な人は、いわゆる天才だ。
黒田三郎の詩は、天才の詩ではない。彼がいうところの「自由にならない部分」をものすごくうまくつかいこなしている詩人だとおもう。
詩をつくったり文章を書いたりする上で、「自由にならない部分」をどうやってつかいこなすか。コントロールしすぎてもいけないし、コントロールしなさすぎてもいけない。黒田三郎の詩は、そのさじかげんが絶妙なのである。
わたしは「自由になる部分」をつかえば、わりと短時間で文章が書ける。でもそういう仕事の仕方ばかりしていると、「自由にならない部分」が弱ってくる。雑誌の型にあった文章ばかり書いていると、楽に書ける、早く書けるやりかたばかりおぼえてしまう。雑誌の型だけではなく、自分の型にあった文章を書きつづけていても、だんだん「自由にならない部分」が弱ってくる。
だからちょっとずつ型を変えようとする。
スポーツ選手が、道具を変えたり、グリップの握りを変えたりする感覚にちかいといえばちかいかもしれない。
黒田三郎は、自分の詩のモチーフは、自分自身の卑小さ、みじめさ、自分の生活の言いようのない空しさがモチーフになっているという。それらは日常生活では、忘れていることもある。目前の仕事に追われているときも忘れる。でもそれらは心にオリのように沈殿する。
《僕自身、自分自身の卑小さに慣れ、自分のみじめさに慣れて、毎日毎日の日常生活を送っている。だが、どんなにそれに慣れて、その中に没し切っていても、突然匕首のように僕を刺すものがある。電車のなかでぼんやりしているとき、パチンコに現をぬかしているとき、それは突然僕の心の中で電光のように閃く。
自分自身の卑小さ、みじめさというものに対する恐愕、それに対する疑い。
それが必ずしも詩のタネになるとは限らない。心の上でのしかかるものの一部は明瞭に僕自身にもわかる。しかしその全貌はかなり曖昧である。この曖昧さが、何よりも僕を苦しめる。(中略)
自己の卑小さ、みじめさを自分の心にはっきり焼き付けることは、或いは「心身の緊張をもって堪え難くする」かもしれない。だが心の上にのしかかるものを曖昧なままにしておくより、それははるかに「堪えられるように」なる》(「生活の意味・詩の意味」)
鮎川信夫は、黒田三郎のことを「ぼくと対極にいた人」と語っている。その鮎川信夫が、一九八〇年の一月、黒田三郎が亡くなったころ、極度のスランプに陥り、詩をやめようとまでおもったと告白している。
わたしがいろいろなひっかかりをおぼえ、その後、黒田三郎について誤解する要因にもなった北川透との対談は、今読むと「理解魔」の鮎川信夫にしてはめずらしく不用意な発言が多い。酒を飲まない鮎川信夫が、酔っ払いのように見える。「自由になる部分」を鍛えぬき、「自由にならない部分」までも完璧にコントロールしようとしていたかにおもえる鮎川信夫がスランプに陥った理由とはなにか。いや、本人はスランプなどではなかったといっているのだが……。
うーん、だんだん収拾がつかなくなってきている。
でも、もうすこし続けるつもりだ。