やらなければいけない仕事があるのだが、黒田三郎のことが頭から離れない。洗濯物をとりこんだり、食器を洗ったり、手紙の返事を書いたり、いろいろなことをしているあいだも、ずっと引っ掛かっている。
毎日のように本を読む生活をしているが、わたしはそんなに詩を読んでいるわけではない。全読書量の十分の一も詩や詩に関する文章を読んでいないかもしれない。たまに読む。そのときなにかしら心を揺さぶられることは多い。今もそうだ。
《今こそ私は申します
貧しく
無力な
妻や母や子や妹のために
すべての貧しく無力なものから
小さな幸福と
小さな平和と
小さな希望を
取り上げて
それで
あなた方は一體何を守るというのですか
夫や子や父や兄を駆り集めて
それで
あなた方は一體何を守るというのですか》
(黒田三郎「妻の歌える」抜粋/詩集『渇いた心』)
鮎川信夫著『自我と思想』(思潮社、一九八二年)における北村透との対談で、鮎川信夫は「黒田(三郎)という人は、同じ『荒地』のメンバーの中でも、ぼくと対極にいた人なんですね。あまり個人的関心とか交渉はなかったし、もう二〇年以上もほとんど付き合ってなかった」といっている。
《鮎川 だからたとえば昔、彼が「妻の歌える」という詩を書いて、ぼくもそれをちょっと非難したことがあるんですけど、それ以来、ぼくと黒田とはあまりよくないわけですよ。往き来というのはなくなっちゃったわけですけどね。彼はあの時点から全く変わってないわけですよ。今でも「妻の歌える」だと思うんです。妻の視点というものがあって、家庭を守るという妻の立場があって、そこからしか、たとえば、平和という問題も考えてないし。あるいは、どんな問題でもそうだと思うんです》
「妻の歌える」は、日本の再軍備反対を訴える詩なのだが、冷戦時代の国家間のパワーバランスのことなんかはあまり深く考えていない。そういう意味では、この批判は鮎川信夫らしいとはおもう。
さらに黒田三郎が小選挙区制反対に熱心で、京都まで演説に行ったりしていたことについて、鮎川信夫は次のように述べている。
《鮎川 つまり政治なら政治という問題で、どういう問題が自分にとってリアルかということになってくるけど、ぼくがリアルだと思うようなことと、黒田がリアルと思うこととじゃ全然違うわけですよ。ぼくなんかだと、同じ時点でも、そんなことよりもっと大事なことがものすごく沢山あると思うわけ。ところが彼なんかが言うとね、それが刻下の一番大事な問題だと映ってくるわけなんですね、きっと。それは彼のいう市民生活か何かのレベルで政治を受け止めればそうなんだろうけど、それがものすごく切実な問題なんだろうと思う》
今の感覚でいえば、ちがって当り前だとおもう。しかしそのちがいを鮎川信夫は不服におもう。鮎川信夫は、戦前の軍国主義同様、戦後の左翼も嫌っていた。全体主義という意味では同じではないかとさえいっていた。安易なヒューマニズムも否定していた。戦争がいやだというだけでは、何の解決にもならないという意見の持ち主だった。
話はズレるかもしれないが、黒田三郎の『死と死のあいだ』所収の「現代詩と私」で、次のような意見を述べている。
《詩を書くというのは、なりわいにはならない。萩原朔太郎は医者である生家の後援なしには詩人たり得なかったろうし、夭折したが、中原中也はどうやって暮しを立てていたろうか。巷説によると、宮沢賢治が生前手にした原稿料は五円だったという。二十年くらい前までは、歳末になると、ラジオや新聞に貧乏話の座談会がよくあったが、出席者が三人だとすれば、そのうち二人までは、草野心平とか山之口貘とかいった、いわゆる詩人であった》
詩人が食ってゆくためには、翻訳や雑文を書き、マスコミの仕事をしなければならない。
鮎川信夫にしても北川透にしてもそうだった。
《なりわいにはならない。しかし片手間でできることでは決してない。多くの詩人というのは、この矛盾の中でその詩を書いたし、また現に書きつつある。
戦後一年目、日本に帰って来て僕が思ったことは、詩人という遊民、風流人には決してなるまいということであった。なるまいなんて、そんな決心をしようがしまいが、その日の糧をいやでも稼がねばならない、そんな時代であった。そしてそのまま今日に至った》(「現代詩と私」)
《詩人である以前に、ひとりの人間であり、ひとりの市民であることを、詩人だからと言ってないがしろにできるわけがない。詩人という名で避けられることは、この世に何ひとつ無い、というのが戦後の僕の痛烈な反省であった。ひとりの人間であり、ひとりの市民であるという現実から、自分自身の詩を産み出すという決意だった》(「現代詩と私」)
鮎川信夫と黒田三郎、ふたりが語ることは、どちらが正しくてどちらかが間違っているという問題ではない。ただ、「対極にいた」ふたりの詩人の往き来がなくなり、お互いの言葉が届かない関係になってしまったのは残念だ。
……さらにこの問題については後日。