「退屈男と本の街」というブログはほんとうにいろいろな人に読まれているんだなあ。
先日、退屈君がうちに遊びにきたときに、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソア(1888-1935)の話をしたときのことを彼が日記に書いて以来、「ある日本人とペソアについての仮説って何?」という問い合わせが殺到した。殺到は……ちょっと大げさか。でも立て続けに三人から同じ質問を受けた。
学生時代、図書館でフェルナンド・ペソアの『ポルトガルの海』(池上岑夫編訳、彩流社、現在は増補版が出ている)という詩集をたまたま読んでたちまち魅了された。この詩人がアルベイト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスといった複数の異名をもち、それぞれ別人格で詩を書き、生前は無名でトランクの中に数万枚の原稿を遺していた……というエピソードを知り、世界にはものすごい詩人がいるもんだとおもった。
なぜ『ポルトガルの海』を読んだかというと、ちょうどそのころ『大航海時代』と『ネオアトラス』というリスボンの貿易商が世界中を探索するゲームにのめりこんでいて、わたしの貴重な二十代はこれらのゲームに数百時間以上費やし……まあ、そんなことはどうでもよろしい。
でもそれ以来、ポルトガルの文学にはずっと(細々と)興味をもちつづけているのだが、今年刊行されたフェルナンド・ペソアの『不安の書』(高橋郁彦訳、新思索社)という題名を見て、「こ、これは」とおもったのである。
(……以下、『活字と自活』本の雑誌社所収)