2016/11/13

分断

 アメリカ大統領選関連のニュースにずっと違和感があった。
 ドナルド・トランプとヒラリー・クリントンの紹介の仕方もそのひとつだ。
 ヒラリー・クリントンは「女性初の大統領を目指す」と紹介されていたのにたいし、ドナルド・トランプのほうは「過激な発言で知られる」とか「暴言王」といった肩書がついていた。報道の仕方が「公平」ではないとおもった。
 投票日前日、日本のテレビ局のレポーターは、トランプの演説を「内容がない」「矛盾だらけ」と馬鹿にしていた。

 今年の八月か九月ごろ、アメリカのメディアは「トランプの支持者は教育水準が低い白人」と分析(?)していた。仮にその分析が正しかったとしても「教育水準が低い」といわれた人々が「教育水準が低い」とおもわれたくないからトランプ支持をやめようとは考えないだろう。自分たちを「教育水準が低い」と断定する人間の意見に従いたいとおもう人はそんなにいないはずだ。

 たしかにトランプは差別主義者で排外主義者で親の七光りで不動産王にのし上がった傍若無人で厚顔無恥な愚か者かもしれない。
 だからといって、その支持者を「教育水準が低い」と分析するのはいやなかんじがした。分析されたほうはいい気はしないだろう。
 トランプの「壁を作れ」というスローガンを批判した人たちの中には、すでに強固な「壁」に囲まれた富裕層だけが集まった地域に暮らしてる人もいる。そこには移民の問題も差別の問題もない。

 トランプがアメリカの「分断」をまねいたという論調があるが、それはちがう。すでに「分断」は存在していた。それが今回の大統領選で明白になったにすぎない。反トランプ陣営の人たちは、トランプを毛嫌いするだけではなく、なぜ「分断」が生じてしまったのか、「分断」によって生じた溝を埋めるにはどうすればいいのか——を自問する必要がある。反グローバル主義は先進国全体の流行でもある。

 日本では「上級国民」や「マスゴミ」といった言葉を使う人たちが増えている。そうした言葉を好んで使う人たちがトランプ支持者と同じとはいわない。インターネット上には差別と排外主義が溢れている。他者に不寛容であることを「強い」と勘違いしている人も増えている。
 厄介な問題だ。批判の言葉をひとつひとつ見直していくことも「分断」を解消するには必要だとおもう。