わたしが花森安治の名前を意識するようになったのは、山口瞳のエッセイがきっかけだった。二十代後半くらいか。師と仰ぐ高橋義孝の本を花森安治に作ってもらおうとする話で……そのエッセイは「男性自身」シリーズのどこかに収録されているとおもうが、今は調べる余裕がない。
以前、河田拓也さんのホームページに間借り連載をしていたとき、「書生論再考」というエッセイで花森安治の『逆立ちの世の中』(河出新書)のことを書いた。『借家と古本』(sumus文庫)にも収録している。『逆立ちの世の中』は五反田の古書展で買った。その後、この本を「どうしても読みたい」という友人に譲ってしまった。そのときは「また買えばいい」とおもったのだが、なかなか見つからず、苦労した記憶がある。今年、中公文庫で復刊している。
今、みずのわ出版刊行の『花森安治装釘集成』(唐澤平吉、南陀楼綾繁、林哲夫)を読んでいる。壮観。ため息が出る。これだけ集めるのにどれだけ時間がかかったのだろう。
本書所収の唐澤平吉の「蒐集のきっかけは無知から——あとがきにかえて」によると、『花森安治の編集室』を出したあと、唐澤さんは花森安治が装釘家として活躍していた時期があったことを知ったという。
《だが、いざ集めようにも装釘作品の全容がわからない。図書館で書誌データをしらべても、装釘者名まで記載していない。装釘が著作物として扱われていないからだ》
花森安治が装釘した本は、かなり特徴があるので、一目で「花森本」とわかることが多い。見ればわかるが、見るためには手あたり次第に本の表紙を見て、奥付その他を確認しないといけない。出版社もジャンルも多岐にわたる。装釘家で本を集めるのは大変だ。
わたしが怠惰なせいもあるが、花森が装釘した高橋義孝の本も古本屋で気長に探そうとして入手できないままだ。『花森安治装釘集成』を見て、どうしてもほしくなった。今、日本の古本屋で注文した。七百円だった。
花森安治の話が出てくる「男性自身」は、山口瞳著『人生仮免許』(新潮社)だった。タイトルは「花森安治さん(一)」「花森安治さん(二)」。わかりやすくて助かった。
《『暮しの手帖』の花森安治さん、『文藝春秋』の池島信平さん、『週刊朝日』の扇谷正造さんは、若い編集者である私にとって、仰ぎみるような存在であり、そこにひとつの目標があったといっていいと思う》
《私は、二十代の初めの頃から、ドイツ文学者の高橋義孝先生の文章は、非常にいい文章だと思っていた。ドイツ文学や文芸学のことはまるでわからないが、先生の随筆や雑文に惚れこんでいた。
それで、先生のお宅へ伺って、切抜きを見せていただいて、自分で勝手に一冊の本をこしらえてしまった。これをどこで出版するかという話になったとき、私は、口を極めて、暮しの手帖社を推薦した。それは、暮しの手帖社で出された花森さんの装幀による、田宮虎彦さんの『足摺岬』という書物が実に見事な出来栄えであったからである。当時、『暮しの手帖』は、まだ服飾雑誌のイメージが強かったので、先生は、奇異に思われたかもしれない。
だから、高橋義孝先生の、最初の随筆集である『落ちていた将棋の駒について』という書物は、暮しの手帖社で発行された。いま、この書物は私の手許にはないが、山口君が狐憑きみたいに暮しの手帖社をすすめるのでという「あとがき」が附されているはずである》
今回、読み返すまで「花森さんの装幀による、田宮虎彦さんの『足摺岬』という書物が実に見事な出来栄えであったからである」という箇所をまったく憶えてなかった。何度となく、読んでいるはずなのだが、『足摺岬』の装幀がどんなものか調べようとおもわなかった。
『花森安治装釘集成』には田宮虎彦の『足摺岬』の装釘も(三頁にわたって)収録されている。装釘も目次もきれいだ。
《「足摺岬」は、活字だけしか使わないで作った本だが、いざ出来てみると、いろいろ後から気がついて、情けない思いをしているが、勉強にはなった》(本作り/花森のことば)
見ることができてよかった。ありがたい。『足摺岬』も読んでみたくなった。