ジェイムズ・レストン著『アメリカ、アメリカよ』(河合伸訳、河出書房新社、一九八九年刊)を読む。「ワシントン発ベスト・コラム49」という副題の付いた一九七〇年代から八〇年代にかけての政治コラムを集めた本だ。
《人間の経験のなかで最も苦痛を伴うのは変化と革命だというのが、一般の常識である。だがワシントンで昨今聞かれる話は、苦痛なき変化と苦痛なき革命についてのものばかりだ》
この文章は『アメリカ、アメリカよ』所収の「苦痛なき革命」というコラムの一節である。初出は一九七一年一月。
《ニクソン・ドクトリンに基づいてアメリカは今後、海外での責務を縮小していくことになった。だが、これはペンタゴン(国防総省)でさえも歓迎するところだろう》
《大都市にも州にもこれまで以上に金が回り、国民にもさらに多くの権力と自由、働き口と健康な生活が約束され、平和な時代が訪れる。といって増税などはしないし、いずれは徴兵制度も廃止するのだそうだ》
ジェイムズ・レストンはそんなアメリカの展望を述べつつ、疑問を投げかける。
《近年、というよりも過去数世紀の歴史は、人類はかなりの苦痛を味わわない限り、こうした夢には適応できないことを示している。人口はアメリカにおいても、就職口を上回る速度で増加している。人口とそれを支えるのに必要な金の分布は不公平なうえに無慈悲だし、もしも歴史が何かを教えているとすれば、それはわれわれもまた、世界の他の地域の人々がさいなまれている苦痛や葛藤を避けて通るわけにはいかない、ということではないのか》
レストンはカナダのレスター・ピアソン元外相が国連に提出した報告書の言葉を紹介する。
《この地球もまた、ひとつの国家の場合と同様、住民の半分が奴隷で半分が自由、また半分が困窮にあえていでいるのに、残りの半分はまるで無制限も同然の消費を楽しもうとして夢中になっている状態では、とうてい生き延びることはできない》
いつの頃からか、自分の暮らし向きのことばかり考えるようになった。このブログにしても、こんがらがった考えをすこしでも整理したい——自問自答のために書いているところもある。
わたしは急激な変化ではなく、時間をかけてゆっくり世の中がよい方向にむかってほしいとおもっている。対立ではなく、歩み寄りを望んでいる。しかし先進国が「苦痛なき革命」を目指そうとすれば、そのツケは「残りの半分」の国々に回る。
わたしは世界のことに興味をなくしている。それどころか日本のことについてさえ、今の自分があれこれ考えたところでどうにかなるものではないとおもいがちである。自分のような政治や経済への関心をなくしつつある人が、何を考えればいいのか。そこから考えなければいけない気がしている。