夏にしては涼しいが、湿度が高い。日々の散歩の歩数が少なめのせいか頭が回らない。
夕方、部屋でぐだぐだしながら三輪正道著『定年記』(編集工房ノア、二〇一六年)を再読した。三輪さんが亡くなったのは二〇一八年一月。もう二年半になる。神戸に暮らし、四十代以降だいたい五年に一冊ペースで編集工房ノアから随筆集を出していた。
『定年記』の目次を見ると「千國街道にて」という一篇がある。
《上杉謙信が武田側に塩を送ったという「塩の道」という昔ながらの街道がのこっていて、千國(ちくに)街道と呼ばれていた》
三輪正道は黒田三郎の詩集を持って旅をする。その詩に「ぐずで能なしの月給取り奴!」という言葉が出てくる。『小さなユリと』か。このとき三輪さんはJR大糸線で信濃木崎駅を訪れた。地図を見ると木崎湖という湖がある。そこから西にすこし歩くと鹿島川があり、大町温泉郷がある。いつか泊りたい。
昨年わたしは大糸線の豊科駅のあたりを歩いた。臼井吉見文学館に行った。
大糸線で長野から新潟の糸井川あたりまで旅行したいのだが、都内の新型コロナの感染者数の増加のニュースを見て、二の足を踏む。
三輪正道著『泰山木の花』(編集工房ノア、一九九六年)には「信濃路から金沢へ」「晩秋の信濃路」などの紀行文が収録されている。
どちらも大阪発の夜行急行「ちくま」に乗って長野を旅している。
三輪さんは青春18きっぷや周遊券もよく利用していた。インターネットが普及する以前の旅はのんびりしていた。
夜行急行の「ちくま」は定期列車としては二〇〇三年秋まで運行していたようだ(臨時列車として二〇〇五年秋まで運行)。
夏の信濃路を歩きたい。