2020/07/01

安保と白鳥

 戦中を回想する正宗白鳥の随筆を読むと、そのころ白鳥は文壇生活にも見切りをつけ、残生をどう過ごそうか——といった心境だったようだ。
 一八七九年生まれの白鳥は、終戦時、六十六歳だった。

 かつて中村光夫は白鳥について「理科系統の学者に通じる鋭さと冷たさがある」と批評した(『《評論》白鳥と漱石』筑摩書房、一九七九年)。

 わたしは三十歳すぎたあたりから白鳥の随筆をくりかえし読むようになった。この世のあらゆることを懐疑しつつ、とぼけた味わいのある文章を書く。

 一九六〇年——日米安保の議論が巻き起こったときも正宗白鳥は「賛成の方にも、反対の方にも、一理屈あって、私には簡単に一方ぎめにする気になれないのである。それに、言論自由の世の中だから、しいて一方にきめなくてもいいはずである」(「恐怖と利益」/『白鳥随筆』講談社文芸文庫)といっている。

 沈黙せず、しかも自分は賛成でも反対でもないことをのらりくらりと表明する。これも文学者としてのひとつの筋の通し方だろう。
 さらにこの随筆には続きがある。

《戦争拒否には、政府案がいいか、反対案がいいか、両者の新説を読んで、私には決定しがたいのである。どちらにしたって、戦争は起る時には起るだろうと、私には思われるだけだ》

 賛成か反対かという問いにたいし、どちらでもないという立場もある。その立場にも理屈はある。
 白鳥の場合、日露戦争のころから一貫して反戦の立場なのだが、そこには厭世観も含まれる。