2020/07/20

タマの行方

 福原麟太郎の『野方閑居の記』の続き。タマは野方に引っ越せたのかどうか。昨年ふくやま文学館で買ったパンフレット『福原麟太郎の随筆世界』によると「猫」の初出は一九四八年一月の『サンデー毎日』となっている。これがそのとおりだとすると、福原麟太郎が野方に引っ越したのは一九四八年八月だから、すでにタマは世を去っている。
 しかし随筆の時系列はそれほど単純ではない。というか、新潮社版で読んだとき、新居にタマがいる文章があったような記憶がある。

『野方閑居の記』所収の「新しい家」を読む。これを読むと「(新居には)八月末に移れる筈が、十一月の末になった」と記されている。

《一生の流浪を覚悟した私の家庭もこうした郷里から父母を迎え、妻は妻の部屋に籠り、私は私の書斎らしいものを得、就中、震災の時から家族の一員になった老犬は、引越しのどさくさ紛れに、生まれて初めて空箱をほぐしてこしらえた小屋を新築してもらったとなると、どうやら少し落着く港を得たような心持であった》

 このエッセイでは新居に引っ越して、ある晩、タマがいなくなってしまう話が綴られている。

《初めは、明日は帰るだろうと思っていた。然し明日も帰らなかった。その翌る日も帰らなかった。(中略)三日目にも帰らなかった。私どもは殆ど絶望してしまった。新しい家には暗雲がとざして、どうにもいたましくてたまらなくなり、私は実際閉口してしまったのである》

 新居でタマが行方不明になったとすれば、一時は野方にいたのか。「猫」の初出の日付がまちがっているのか。
 行方不明になったタマはこの年のクリスマスに痩せて薄黒く汚れた姿で帰ってくる。

《そして私の家では、この新しい家で始めて、いくらか幸福が又立ち帰ってくるらしい気はいを感じながら、クリスマスの杯を上げたのであった》

 わたしは勘違いしていた。「新しい家」は昭和二十三年の野方ではなく、昭和八年の文京区小石川の家の話だったのだ。
 その間違いに気づくことができたのは沖積舎版の『野方閑居の記』の年譜のおかげである。昭和八年「同町内の新築家屋に転居」とあり、その下段に「新しい家」の一節の引用を見て「ああ」となった。

『野方閑居の記』と題した本で新居にまつわる思い出が書いてあるから、野方の話だとおもいこんでいた。これまでの読書人生でどれだけこうした誤読をしているか。気づかないままになっていることもたくさんあるにちがいない。