2020/07/04

荷風と白鳥

 金曜日、三ヶ月ぶりに西部古書会館。入口で検温。ふだんより棚の本数が少ない。大岡昇平、坂口安吾の文学展パンフなどを買う。ここ数年、古書英二の棚が面白い。

 中村光夫の『《評論》漱石と白鳥』(筑摩書房)を読みながら、正宗白鳥の思想について考えた。
 白鳥は一八七九年岡山県和気郡(現・備前市)の生まれ。幼少のころ、よく西南戦争(一八七七年)の話を聞かされていた。

《白鳥氏の心に深く印象された最初の偉人が、西郷隆盛であったことは、今日多くの人々に意外の感を与えるでしょうが、同様に氏の文学趣味を最初にみたしたのが、江戸伝来の戯作であったことも、人々は意外に思う事実かも知れません》

 わたしは白鳥の反戦もしくは厭戦の思想は、キリスト教からきているとおもっていた(それもあるだろう)。
 しかし江戸文化や西郷隆盛におもいいれのある人物と考えると、明治以降の日本にたいし不信感をいだいていたとしてもおかしくない。
 昔も今も日本は一枚岩ではない。愛国心やナショナリズムは西南戦争以降の新しい文化なのである。
 白鳥と同い年の文士に永井荷風がいる。荷風も時勢にまったく乗らない作家だった。

 鮎川信夫著『歴史におけるイロニー』(筑摩書房、一九七一年)に「戦中『荷風日記』私観」という評論がある。
 昭和十五年ごろ、軍人に演説の依頼された荷風は「筆を焚き沈黙する」決意を固める。

《震災以後、東京の良風美俗が亡び、純粋の東京人が年とともに減少していくことを嘆くのは、ほとんど荷風の口癖といっていい》

《荷風は金があったから戦争中沈黙してすごせたのだという人がある。荷風自身も蓄えがあったから云々というようなことを言ったと思うが、自分を「他国人」と感じながら、あの時期にものなど書いていけるはずなかったろう》

 正宗白鳥が永井荷風をどうおもっていたのか知りたくなる。