2020/07/27

住まいの話

 QJWebの「半隠居遅報」は隔週から月一の連載に——報告が遅れてすみません。
 今月は「『プリンセスメゾン』をコロナ禍に読む。持ち家か賃貸か。何かをしようと考えることによって初めて道が見えてくる」というコラムを書いた。
https://qjweb.jp/column/30553/

 わたしは一度も持ち家に住んだことがない。
 コロナ禍のすこし前までは地方移住も考えていたが、今はずっと高円寺界隈で暮らしたいとおもっている(そのうち気が変わるかもしれないが)。
 二十代のころ、風呂なしアパートを転々と引っ越していた。当時、住まいに関するいちばんの悩みは防音だった。あと冬に銭湯やコインシャワーの帰り道、すぐ湯冷めしてしまうのもつらかった。

 音の問題を気にせずに暮らせる風呂付の部屋に引っ越せば、人生の悩みの大半は解決するのではないかとさえおもっていた。そんなわけはない。
 防音のしっかりした部屋はそうではない部屋より家賃が高い。家賃が高くなった分、仕事量を増やす必要がある。仕事が増えた分、ストレスも増え、仕事が減ったときの不安も増す。
 三十歳ちかくで風呂付きの部屋に引っ越してしばらくすると今度は追い炊き機能付の風呂がある部屋に住みたくなった。おそらく追い炊き機能の次はジャグジーやサウナ付に憧れるのかもしれない。

 人の欲はキリがない。簡単には満足できない。どこまで行っても不充足の日々である。
 ただ、人の欲なんてそういうものと割り切ってしまえば、住まいに関しては、小さな不満を抱えているくらいでちょうどいいのかもしれない。

 高円寺散歩の途中、入ったことのない喫茶店で富士正晴著『薮の中の旅』(PHP研究所、一九七六年)を読む。「所詮 人間」と題した連作随筆が面白い。

《人間は考える限り平屋に住んでた方がええ。せいぜい二階までや。火事の時飛び降りれるいうたら二階ぐらいまでやろ》

 これは完全に同意である。古い考えかもしれないが、わたしは賃貸の物件を借りるとき「窓から逃げることができる」部屋を選んでいる。
 もちろん理想の家は平屋である。