2007/10/19

詩と逃避

 先日『石神井書林目録73』で注文した『岩礁』第34号黒田三郎追悼号(一九八〇年四月二十日)が届いた。
 『岩礁』は静岡県の詩の同人誌。「岩礁」同人による「哀悼 黒田三郎」には、「氏が晩年の十年間、『岩礁』の同人として、詩、評論を寄稿下さり、常に温かい励ましの言葉をもって、地方の一同人詩誌に、格別の御厚情を示されたことに、私たちは、心からの感謝を捧げます」とある。
 黒田三郎の没後、思潮社から刊行された『流血』(一九八〇年五月)という詩集の表題作「流血」も『岩礁』に発表されたものだ。その手書きの原稿の写しもこの追悼号に掲載されている。

《何と多くのことが
 「という」だとか
 「ということである」だとか
 そんなふうに
 過ぎ去ってゆくことか
 やがて
 黒田三郎「という」
 飲んだくれがいて死んだ
 「ということである」
 というふうに
 そんなふうに
 僕らの日々は過ぎつつある》

 これが詩集『流血』では、
《黒田三郎「という」
 飲んだくれがいて
 死んだ「ということである」》
 となっている。

 ほんのちょっとのちがいだが、印象が変わっている。
 どちらがいいか、意見がわかれるところかもしれない。どちらでもいいという意見もあるだろう。
 どうも仕事の予定が詰まってくると詩が読みたくなる。