先日『石神井書林目録73』で注文した『岩礁』第34号黒田三郎追悼号(一九八〇年四月二十日)が届いた。
『岩礁』は静岡県の詩の同人誌。「岩礁」同人による「哀悼 黒田三郎」には「氏が晩年の十年間、『岩礁』の同人として、詩、評論を寄稿下さり、常に温かい励ましの言葉をもって、地方の一同人詩誌に、格別の御厚情を示されたことに、私たちは、心からの感謝を捧げます」とある。
黒田三郎の没後、思潮社から刊行された『流血』(一九八〇年五月)という詩集の表題作「流血」も『岩礁』に発表されたものだ。その手書きの原稿の写しもこの追悼号に掲載されている。
《何と多くのことが
「という」だとか
「ということである」だとか
そんなふうに
過ぎ去ってゆくことか
やがて
黒田三郎「という」
飲んだくれがいて死んだ
「ということである」
というふうに
そんなふうに
僕らの日々は過ぎつつある》
これが詩集『流血』では、
《黒田三郎「という」
飲んだくれがいて
死んだ「ということである」》
となっている。
ほんのすこしのちがいだけど、印象が変わっている。
どちらがいいか、意見がわかれるところかもしれない。どちらでもいいという意見もあるだろう。
どうも仕事の予定が詰まってくると詩が読みたくなる。