九日、京都へ。徳正寺で行われた「釈六平 百カ日法要・中川六平を語る会」に出席する。
六平さんのベ平連、ほびっと時代の知り合い、それから東京からの出版関係者がたくさん集まった。
若き日の六平さんの写真をスライドで映したり、六平さんの思い出を喋ったり(お酒をたかられた話が多かった)、終始、笑いに満ちた会合だった。
わたしは編集者の六平さんしか知らないのだけど、はじめて会ったのは一九九四年ごろ、二〇〇七年に『古本暮らし』を作ってもらうまで、十年以上、仕事らしい仕事しないまま、ふらっと六平さんが高円寺に寄ったついでにお酒を飲んだ。
会うたびに「ちゃんと食えてるのか」といわれた。
こちらの生活苦を気にしてかどうか、国会図書館のコピー取りなどのアルバイトを頼まれた。あと六平さんが書評集の編集をしていたとき、新聞の縮刷版から原稿を探すのを手伝ったこともある。
翌日、三重に帰省する。途中、二十数年ぶりに松阪駅で降りて、殿町方面を散歩した。
月曜日で本居宣長記念館をはじめ、ほとんどの施設は休館日。道路沿いのあちこちに「小津安二郎青春の町」というのぼりが立っている。
映画の仕事をする前、小津安二郎は松阪で学校の先生(代用教員)をしていた。
松阪は梶井基次郎の『城のある町にて』の舞台でもあった(松坂城跡に文学碑がある)。
そのあと平田町に行って鈴鹿ハンター内のゑびすやでうどんを食う。わたしの好きだったかやくうどんがメニューからなくなっていたので肉しゃぶうどんを頼む。
生家の長屋(十九歳のときまで住んでいた)が取り壊されたことを知る。
親と老後、葬式、墓の話をする。気が滅入る。
年末進行のため、午前中の新幹線で東京に帰る。
これから仕事。