2013/12/12

自分の声 その一

……試行錯誤の続きだけど、タイトルを変更。

 三十代の一時期、東京書籍の「アメリカ・コラムニスト全集」をバラで揃えたくて、古本屋をずいぶんまわった。
 全集の中で、とくに好きなのはマイク・ルピカ集『スタジアムは君を忘れない』である。

 この本、ピート・ハミルの「序」がいいのだ。ルピカの紹介というより、コラムニスト論になっている。

 一流のコラムニストはオーケストラにおけるソロイスト(ソリスト)のような存在であり、「自分の声」を持っていなければならない。

 要約すると、そういうことが書かれている。

 ソリストであること。
「自分の声」を持つこと。

 オーケストラのメンバーの誰もが独奏者になれるわけではない。ソリストは、卓越した演奏技術だけでなく、スター性のようなものが不可欠である。

 出版の世界で、かけだしのライターが、ソリストのようにふるまうことはむずかしい。
 まわりと調和し、雑誌のカラーに合わせて書く技術にしても、ある種の能力が必要だし、簡単に身につくものではない。

 職人としての書き手になるのか。
 あくまでもソリストとしての書き手を目指すのか。

 わたしはどちらにも徹し切れずに二十代、三十代をすごしてしまった。

 生活の安定のためには、職人に徹したほうがいいと考えていたこともあるし、同時に「自分の声」をなくしたくないという気持もあった。

 ピート・ハミルの序によれば、マイク・ルピカは「生意気な若者」ではあったが、最初からソリストだったわけではない。
 はじめのうちは、ひたすら新聞の添えもの記事を書いていた。
 しかしすこしずつ「耳のいい読者」に彼の「声」が届きはじめる。

 スポットライトを浴びない場所でも「自分の声」をなくさず、小さな工夫や研鑽を積み重ねる。

 たぶん、それはコラムニストに限った教訓ではない。

(……続く)