……試行錯誤の続きだけど、タイトルを変更。
三十代の一時期、東京書籍の「アメリカ・コラムニスト全集」をバラで揃えたくて、古本屋をずいぶんまわった。
全集の中で、とくに好きなのはマイク・ルピカ集『スタジアムは君を忘れない』である。
この本、ピート・ハミルの「序」がいいのだ。ルピカの紹介というより、コラムニスト論になっている。
一流のコラムニストはオーケストラにおけるソロイスト(ソリスト)のような存在であり、「自分の声」を持っていなければならない。
要約すると、そういうことが書かれている。
ソリストであること。
「自分の声」を持つこと。
オーケストラのメンバーの誰もが独奏者になれるわけではない。ソリストは、卓越した演奏技術だけでなく、スター性のようなものが不可欠である。
出版の世界で、かけだしのライターが、ソリストのようにふるまうことはむずかしい。
まわりと調和し、雑誌のカラーに合わせて書く技術にしても、ある種の能力が必要だし、簡単に身につくものではない。
職人としての書き手になるのか。
あくまでもソリストとしての書き手を目指すのか。
わたしはどちらにも徹し切れずに二十代、三十代をすごしてしまった。
生活の安定のためには、職人に徹したほうがいいと考えていたこともあるし、同時に「自分の声」をなくしたくないという気持もあった。
ピート・ハミルの序によれば、マイク・ルピカは「生意気な若者」ではあったが、最初からソリストだったわけではない。
はじめのうちは、ひたすら新聞の添えもの記事を書いていた。
しかしすこしずつ「耳のいい読者」に彼の「声」が届きはじめる。
スポットライトを浴びない場所でも「自分の声」をなくさず、小さな工夫や研鑽を積み重ねる。
たぶん、それはコラムニストに限った教訓ではない。
(……続く)