はじめて行った場所で行き先のちがう電車に乗ってしまう。すぐ降りて引き返したほうがいいのか、快速や急行の止まる駅で引き返したほうがいいのか。
おかしいとおもいながらも、何もできず、自分の行きたい場所からどんどん遠ざかっていく。
……そういう夢をよく見る。夢とはいえ、目がさめたあと、ぐったり疲れる。
当時は、何をやってもうまくいかない時期だった。何をやっても裏目で、努力しようにもその方向性がわからない。
編集者と会う。「最近、どんな仕事をしてますか」と聞かれても、何も答えられない。
自己紹介も困る。「ライターをしてます」といえば、「どんなものを書いてますか」と聞かれる。言葉をにごすしかない。
たまに雑誌の仕事をして、プロフィールを求められても、生年月日と出身地以外、書くことがない。
「自分はこういうものです。こんな仕事をしています」と答えられるようになりたい。
三十代になって、ようやくそういう気持になった。でも何をどうすればいいのかというところで足踏み状態が続いた。
お金ほしさにどんな仕事でもする。好きでもないものを褒めたり、興味のないものに興味のあるふりをしたり、自分の価値観に反するような文章も書かざるをえない。
食べていけないんだから、しょうがない。自分で自分に言い訳する。その分、自分の言葉の信用がどんどん失われていく。
「今の名前を捨てて、まったく別のキャラクターで新人として再デビューしようかな」
再デビュー用のペンネームも考えた。そのくらい気持が追い詰められていたのである。
とりあえず、自分の行きたい場所から遠ざかっていくような仕事はやめよう。生活費が足りなくなったら、バイトすればいい。
世間の基準から外れてもいいから、自分の声質にちかい文章を書いていきたい。
当時、知り合った中央線沿線のバンドマンと毎晩遊んでいるうちに、だんだんそうおもうようになった。
新しいペンネームは封印した。
(……続く)