2013/12/27

自分の声 その三

 十八歳の菅原克己は中村恭二郎に「君の詩はナイーブでいい。自分の生地のものをなくさないように勉強しなさい」といわれた。
 以来、中村恭二郎は菅原克己の〈先生〉になる。
 わたしの好きなエピソードだ。

 知識や技術を身につける過程で「自分の生地」をなくしてしまうことがある。
 詩人にとっての「自分の生地」とコラムニストにとっての「自分の声」は同じものかどうか。

 生まれた時代、出会った人、読んだ本……。「自分の生地」や「自分の声」は、様々な影響によって作られている。同時に、どんなに本を読んでも、様々な経験を積んでも、変わらない部分がある。

 小澤征爾、武満徹著『音楽』(新潮文庫、一九八四年刊、単行本は一九八一年刊)を読んでいたら、「自分の声」という言葉が出てきた。
 昔、小澤征爾の兄が自己流でチェロを弾いていた。誰に習ったわけでもないから、お世辞にもうまいとはいえない。

《兄貴の時代はチェロの先生なんかいなかったから、自分でチェロ買ってきて、自分で教則本を買って、弾いてみる。自分の声をね——兄貴は声がいいんですよ、バリトンで。『冬の旅』なんて歌って、僕は伴奏したことがあるんだ——その自分の声を出したいような感じで、楽譜を読んで、それをチェロにあらわしている》

 そんな兄のチェロを小澤征爾は「いい」とおもう。
 その兄の十一歳の息子がヴァイオリンを始めた。最初から先生に習い、弓に赤や青の印をつけられ、それに合わせて弾くよう教えられている。
 自分の出したい音がなく、ただ単に印どおりに手を動かしているだけ。
 演奏を聴いた小澤征爾は「ひどい音」だったと嘆き、楽器の教え方として大変な間違いだと憤る。

 ちなみに、小澤征爾の兄(二人いる)が小澤俊夫なら、十一歳の息子は小沢健二の可能性もある(小沢健二の兄のほうかもしれないが)。

(……続く)