2016/11/29

強情さが必要(二)

《他人の批評や忠告に耳を傾けるのはいいが、それにコヅキ廻されてゐては、元も子も無くなつてしまふ》

 長年、この問題について考え続けていると書いた。わたしはそもそも批評や忠告に耳を傾けないことのほうが多かった。それでよく怒られた。
 だから酷評されて、書くのをやめてしまった新人作家の人の気持がピンとこなかった。

 やや唐突だが、野球の話になる。

 監督やコーチの助言を無視して、自己流を貫く。それで大成した選手もいるにはいるが、それによって干されてしまう選手もいる。
 フォームを変えろ。コンバートしろ。それでうまくいくこともある。それで失敗した場合、自己責任だ、運だ……というところで話を終わらせてしまっていいのか。

 癖を矯正する。型にはめることで安定することもあれば、凡庸になってしまうこともある。変な投げ方だけど、だからこそ打ちにくいみたいなこともある。

 経験が豊富なコーチはその投げ方だと肩や肘に負担がかかり、ケガをしやすいということがわかっている。ケガを防ぐために、投げ方を変えてみてはどうかと助言する。選手は納得できなければ、「いやだ」と突っぱねてもいい。
 問題はまだ結果らしい結果を出していない選手の場合だ。それでもコーチに逆らえるか。忠告を無視したら、クビになるかもしれないという状況でも自己流を貫けるか。むずかしいとおもう。

 自分にとって大切なことは何か。
 どんな形でもいいから一刻も早くレギュラーになることか。理想のフォームを追求することか。

 そういうことを考えていると折衷案みたいなものも出てくる。レギュラーになって結果を残してから、理想のフォームを追求すればいいではないか。これは反論しづらい。
 新人作家であれば、「まず売れるものを書けよ。そうすれば好きなことができるんだから」といわれる。

 柔軟がいいのか、強情がいいのか。人によりけりとしかいいようがない。最後は自分の勘を信じるしかない……というところで話を終わらせてしまっていいのか。もうすこし考えたい。

(……続く)

強情さが必要(一)

「人の話はどこまで聞くか」というのはむずかしい問題だ。
 助言する側はよかれとおもって、ああしたほうがいいこうしたほうがいいという。しかし助言された側からすれば、かならずしも自分に適したやり方ではないということはよくある。

 尾崎一雄著『わが生活わが文學』(池田書店)所収の「気の弱さ、強さ」は、そろそろ四十になろうというSというぱっとしない画家の話なのだが、助言のむずかしさを考えさせられる随筆である。

《Sは、友人や先輩に自分の仕事を批評されると、それをそのまま受入れる。批評は、ほめられるよりも、くさされる方が多いらしい。くさされると、Sは、なるほどと思ひ、その点を直さうとする。それまでの自分の方針を否定して、やり直したりする。
 私は、そんなことをしてゐたら、キリが無いんぢやないのか、と考へる。批評する人は一人ではない。いろんな人にいろんなことを云はれ、それをいちいち、もつともだ、と思つて、相手の批評、あるひは忠告通り、自分の仕事を直さうとしてゐたら、結局何も出来なくなつてしまふではないか——とさういふことをSに云つてやつた》

《作家は(画にしろ文章にしろ)、多かれ、少なかれ、自分が書きたいことを有つてゐて、それを自分のやり方で書き、あるひは描きたいのに決つてゐる。他人の批評や忠告に耳を傾けるのはいいが、それにコヅキ廻されてゐては、元も子も無くなつてしまふ。やはり、強情さが必要だと思ふ》

「強情さが必要」と助言されたSは「なるほどさうですね」とうなづいた。尾崎一雄は、すぐうなづかずに、すこしは抗弁してほしいとおもうのだが、その気持はSには伝わらない。

《Sが帰つてから、他人の批評に右往左往してゐたら何も出来ないことは、絵も文章も同じだな、と考へた》

 長年、わたしはこの問題を考え続けている。絵や文章だけでなく、あらゆる仕事にも、こうした問題はあるだろう。
 新人作家がデビュー作を酷評され、書くのをやめてしまった。よくある話だ。そんなことでやめてしまうのであれば、どの道、ダメだというのはありがちな意見だが、正論でもある。

 気弱な人に「気にするな、開き直れ」といっても、それができれば苦労はない。
 批評にすぐ右往左往してしまうのであれば、まずそのことを認める。弱さについて考えてみる。弱いから見える、感じる世界を書(描)く。それもひとつの道ではないか。

 自分が好きなものを嫌いな人がいる。当然、その逆もある。ただそれだけの話といってしまうのは乱暴だが、「単に好みが合わないだけではないか」と考えてみるのもいいかもしれない。

 こうした助言と批評には、「力関係」という要素が加わるケースもある。これが厄介だ。
 親と子、先生と生徒、上司と部下、コーチと選手のような、助言される側の立場が反論しづらいこともある。
 いわれたとおりにやらないと試合に出してもらえないという場合、自分が納得いかなくても従ったほうがいいのか、無視したほうがいいのか。
 強情であることが許されるかどうか。運に左右されるところもないわけではない。

(……続く)

2016/11/27

花森安治装釘集成

 わたしが花森安治の名前を意識するようになったのは、山口瞳のエッセイがきっかけだった。二十代後半くらいか。師と仰ぐ高橋義孝の本を花森安治に作ってもらおうとする話で……そのエッセイは「男性自身」シリーズのどこかに収録されているとおもうが、今は調べる余裕がない。
 以前、河田拓也さんのホームページに間借り連載をしていたとき、「書生論再考」というエッセイで花森安治の『逆立ちの世の中』(河出新書)のことを書いた。『借家と古本』(sumus文庫)にも収録している。『逆立ちの世の中』は五反田の古書展で買った。その後、この本を「どうしても読みたい」という友人に譲ってしまった。そのときは「また買えばいい」とおもったのだが、なかなか見つからず、苦労した記憶がある。今年、中公文庫で復刊している。

 今、みずのわ出版刊行の『花森安治装釘集成』(唐澤平吉、南陀楼綾繁、林哲夫)を読んでいる。壮観。ため息が出る。これだけ集めるのにどれだけ時間がかかったのだろう。

 本書所収の唐澤平吉の「蒐集のきっかけは無知から——あとがきにかえて」によると、『花森安治の編集室』を出したあと、唐澤さんは花森安治が装釘家として活躍していた時期があったことを知ったという。

《だが、いざ集めようにも装釘作品の全容がわからない。図書館で書誌データをしらべても、装釘者名まで記載していない。装釘が著作物として扱われていないからだ》

 花森安治が装釘した本は、かなり特徴があるので、一目で「花森本」とわかることが多い。見ればわかるが、見るためには手あたり次第に本の表紙を見て、奥付その他を確認しないといけない。出版社もジャンルも多岐にわたる。装釘家で本を集めるのは大変だ。

 わたしが怠惰なせいもあるが、花森が装釘した高橋義孝の本も古本屋で気長に探そうとして入手できないままだ。『花森安治装釘集成』を見て、どうしてもほしくなった。今、日本の古本屋で注文した。七百円だった。

 花森安治の話が出てくる「男性自身」は、山口瞳著『人生仮免許』(新潮社)だった。タイトルは「花森安治さん(一)」「花森安治さん(二)」。わかりやすくて助かった。

《『暮しの手帖』の花森安治さん、『文藝春秋』の池島信平さん、『週刊朝日』の扇谷正造さんは、若い編集者である私にとって、仰ぎみるような存在であり、そこにひとつの目標があったといっていいと思う》

《私は、二十代の初めの頃から、ドイツ文学者の高橋義孝先生の文章は、非常にいい文章だと思っていた。ドイツ文学や文芸学のことはまるでわからないが、先生の随筆や雑文に惚れこんでいた。
 それで、先生のお宅へ伺って、切抜きを見せていただいて、自分で勝手に一冊の本をこしらえてしまった。これをどこで出版するかという話になったとき、私は、口を極めて、暮しの手帖社を推薦した。それは、暮しの手帖社で出された花森さんの装幀による、田宮虎彦さんの『足摺岬』という書物が実に見事な出来栄えであったからである。当時、『暮しの手帖』は、まだ服飾雑誌のイメージが強かったので、先生は、奇異に思われたかもしれない。
 だから、高橋義孝先生の、最初の随筆集である『落ちていた将棋の駒について』という書物は、暮しの手帖社で発行された。いま、この書物は私の手許にはないが、山口君が狐憑きみたいに暮しの手帖社をすすめるのでという「あとがき」が附されているはずである》

 今回、読み返すまで「花森さんの装幀による、田宮虎彦さんの『足摺岬』という書物が実に見事な出来栄えであったからである」という箇所をまったく憶えてなかった。何度となく、読んでいるはずなのだが、『足摺岬』の装幀がどんなものか調べようとおもわなかった。

『花森安治装釘集成』には田宮虎彦の『足摺岬』の装釘も(三頁にわたって)収録されている。装釘も目次もきれいだ。

《「足摺岬」は、活字だけしか使わないで作った本だが、いざ出来てみると、いろいろ後から気がついて、情けない思いをしているが、勉強にはなった》(本作り/花森のことば)

 見ることができてよかった。ありがたい。『足摺岬』も読んでみたくなった。

2016/11/24

第三の価値観

《マインドフルネスは欲しいけれど、瞑想や祈りはお断り? それならフライフィッシングをすればいい》

 先日、ある原稿を書くための参考資料として読んだアリアナ・ハフィントン著『サード・メトリック しなやかにつかみとる持続可能な成功』(服部真琴訳、CCCメディアハウス、二〇一四年刊)にそんな一節があった。
 読む前は「フライフィッシング」という言葉に出くわすとおもわなかった。いちおう断っておくと、『サード・メトリック』は釣りの本ではない。
 引用した箇所のあと、次のような文章が続く。

《私の友人のなかには「ランニングが自分にとっての瞑想だ」「スカイダイビングが私のメディテーションだ」「ガーデニングが瞑想の時間だ」と言う人たちもいる。だがランニングシューズを履かず、パラシュートを開かず、シャベルを握らず、釣り糸を垂れずに、目指す心の状態を手に入れることはできないのか。肝心なのは心を今という瞬間に存在させ、落ち着いた状態に保ち、自分自身とつながるためのトレーニング方法を見つけること》

 わたしの場合、古本のパラフィンがけ、新聞や雑誌のスクラップの作業が瞑想に近いかもしれない。けっこう無心になれる。

「サード・メトリック」は、お金や権力ではない「第三の価値観」といった意味で、ワークライフバランスのすすめであり、心身の健康を見直そうという提言でもある。

《あまりに多くの人が仕事のために人生を——そして魂も——ないがしろにしている》

《働きすぎが生産性喪失に関係することは、どの国でもどの文化でも同じ》

《適切な睡眠によって改善できないものはないに等しい》

《科学的な根拠こそなかったものの、ヘンリー・デイヴィッド・ソローは歩くことの本当の効果に気づいていた。「脚が動き始めた瞬間、思考も流れ出すように感じる」と彼は書いている》

 よく寝てバランスのいい食事をして本を読んで散歩して釣りをしてのんびり暮らしたい。夢です。

2016/11/22

若くないのは楽

 今週、四十七歳になった。まだまだ先だとおもっていた五十歳も見えてきた。あと三年だ。

 若いころのわたしは若さを否定していた。否定というか、若さを求められることが苦手だった。
「若いんだから、もっと元気だせよ」といわれても、子どものころから寝ころんで本を読むのが好きだった。声が小さかった。「若いくせに活気がない」といわれても、どうしていいのかわからない。

 早く齢をとりたいとはおもわなかったが、若いというだけで「何も知らない」「経験がない」と見くびられる状況からはすぐにでも抜け出したかった。しかし三十代になっても若手扱いが続いた。

 四十代になって楽になった。白髪が増えた。腰が痛い。太った。すぐ疲れる。お酒を飲むとすぐ眠くなる。昔みたいに徹夜で原稿を書くこともできなくなった。

 齢をとれば、疲れているのが当たり前になる。調子がよくないのも当たり前になる。

 だからぐだぐだ、だらだらしていてもいい。若くないんだからしかたがない。

 苦手なことを頼まれたら、それが得意な人を探して紹介すればいい。そのほうが楽だし、うまくいくことのほうが多い。

 生きていれば楽なことばかりではないが、楽をする努力は怠らないようにしたい。頑張る。

2016/11/18

保守とリベラル

 わたしが『鮎川信夫拾遺 私の同時代 エッセイ1980〜1986』(文藝春秋、一九八七年刊)を読んだのは学生時代——一九九〇年ごろだったとおもう。「保守とリベラル」はロナルド・レーガンが二期目を目指す大統領選挙の年(一九八四年)に書かれたコラムだ。

《保守といわれるのは、アメリカでも、ながい間、格好のいいものではなかった。リベラルの方が、格好よかった。それが、そうでなくなったのは、新保守派がいちじるしく台頭してきた七〇年代も終わりに近づいてからである》

 保守が格好のいいものではないという感覚は日本では一九九〇年代のわたしが学生のころにも残っていた。保守=右翼というイメージも強かった。

《ところで、保守(コンサーバティヴ)といい、リベラルといい、ラジカルという、こうした政治用語は、曖昧に使われることが多い。保守といっても、日本やヨーロッパとちがって、アメリカは歴史の浅い国だから、歴史感覚や伝統意識にあまり捉われない。(中略)だから保守とは、アメリカの文化を最高だと信じ、アメリカ的な価値観を擁護するナショナリズムだくらいに解しておけば無難であろう》

《これに対して、リベラルの思想的基盤は、インターナショナリズムで、社会主義的である。公民権運動や福祉の面で多くの成果を挙げたが、何といっても、インターナショナリズムとしての〈社会主義〉が魅力を失ってきたのがひびいて、次第に衰退するようになった》

 当時のアメリカでは保守とリベラルの対立そのものがあやふやになり、政治家も、保守かリベラルか表明しなくなりつつあった。

《大統領ともなれば、万人から好かれなければならないので(そんなことは不可能だが)、とにかく政策の幅を大きくとって、選択の自由を拡げたほうが有利である》

 八〇年代のアメリカでは共和党だろうと民主党だろうと基本政策は変わらないものになっていた。
 今は保守とリベラルではなく、都市と地方、あるいは世代の対立のほうが大きい。時代や国がちがえば、保守とリベラルのあり方もちがってくる。「大きな政府」と「小さな政府」にしても、どっちが保守でどっちがリベラルなのかわかりにくい。

 鮎川信夫は「『レッド・ネック』の哲学」というコラムでも「保守とリベラル」について論じている。

《アメリカの保守主義が日本やヨーロッパのそれと大きく異なるのは、自由を尊ぶ点である。保守主義は「伝統に帰れ」ということを標榜するのがふつうだが、アメリカの場合、伝統に帰ると建国の昔にゆきつく。そしてアメリカの建国の精神とは、「自由を守る」ことにほかならない》

 映画『イージー・ライダー』でヒッピーの若者が、ラストシーンで地方の農民に殺されてしまう。「レッド・ネック」は「陽に焼けて首もとが赤くなっているという意味の蔑称」で、鮎川信夫はネオコン(新保守主義)の思想を「レッド・ネックの哲学」と指摘する。

《『イージー・ライダー』の例でいえば、ヒッピーの側には、自らの行為を正当化したり美化したりするのに過剰なまでの言葉があったのに、レッド・ネックの側は、単に無知で粗野な連中としてしか示されていなかった。(中略)しかし、彼らが言葉を獲得すれば、その行動は自ずから違ってくるはずである。リベラル派のインテリは彼らを軽蔑したが、ネオコンは彼らを軽蔑せず、きみたちは間違っていないという立場なのである》

《保守主義が思想に昇華した理由は、いうまでもなくリベラルが、七〇年代の後半になって急速に衰えてしまったということがある。リベラルの主張する自由は、結局のところアメリカという国の力を弱める方向にしか働かなかった》

 そして一九八五年に書かれた「『レッド・ネック』の哲学」では「反知性」というキーワードも出てくる。

《ユートピア主義に傾いて、人間性を変えたり、本能を拒否する社会制度をつくるのは愚かである。フランスの衒学的な抽象哲学やリベラル派の左翼主義にだまされるな。(中略)こうした「反知性」としてのイデオロギーの誕生は、ヨーロッパでは珍しいことではなかった》

 日本では「反知性主義=知性がない」と誤解されることもあるが、本来、観念に傾きすぎた思想にたいするカウンターの思想だった。

《思想というのは、結局は行為を正当化するための言葉なのだから、これからも、時代や社会の変化に応じて、アメリカ国民の生き方を活性化させるような新事態に即応する言葉をどんどん繰り出せるかどうかにかかっている》

 かならずしも鮎川信夫は「レッド・ネック」の哲学を肯定しているわけではない。

《六〇年代のラジカリズムはエスタブリッシュメントに対する否定感情だけで成り立っていたにすぎない。野坂昭如流の言い方を借りれば、恨み・嫉み・僻みの三大動機をバネとして体制を攻撃したわけだ。(中流)ラジカリズムの底にはポピュリズムがある。「人民主義」あるいは「大衆主義」ということになるが、毛沢東の文化大革命は、アジアにおけるその一つのサンプルである》

《ポピュリズムというものは、左右を問わず、中味はお粗末で、あまりいいものとはいえない》

《ここに、ネオコンが真に根づくかどうかにとってのもう一つの問題がひそんでいる。ネオコンも一種のポピュリズムだからである》

 三十年以上前の文章とはおもえない。すごい先見性だ。
 学生時代に読んだときはほとんど理解できなかった。今、読んでもむずかしい。『イージー・ライダー』をもういちど観ようかどうか迷っている。

2016/11/16

残りの半分

 ジェイムズ・レストン著『アメリカ、アメリカよ』(河合伸訳、河出書房新社、一九八九年刊)を読む。「ワシントン発ベスト・コラム49」という副題の付いた一九七〇年代から八〇年代にかけての政治コラムを集めた本だ。

《人間の経験のなかで最も苦痛を伴うのは変化と革命だというのが、一般の常識である。だがワシントンで昨今聞かれる話は、苦痛なき変化と苦痛なき革命についてのものばかりだ》

 この文章は『アメリカ、アメリカよ』所収の「苦痛なき革命」というコラムの一節である。初出は一九七一年一月。

《ニクソン・ドクトリンに基づいてアメリカは今後、海外での責務を縮小していくことになった。だが、これはペンタゴン(国防総省)でさえも歓迎するところだろう》

《大都市にも州にもこれまで以上に金が回り、国民にもさらに多くの権力と自由、働き口と健康な生活が約束され、平和な時代が訪れる。といって増税などはしないし、いずれは徴兵制度も廃止するのだそうだ》

 ジェイムズ・レストンはそんなアメリカの展望を述べつつ、疑問を投げかける。

《近年、というよりも過去数世紀の歴史は、人類はかなりの苦痛を味わわない限り、こうした夢には適応できないことを示している。人口はアメリカにおいても、就職口を上回る速度で増加している。人口とそれを支えるのに必要な金の分布は不公平なうえに無慈悲だし、もしも歴史が何かを教えているとすれば、それはわれわれもまた、世界の他の地域の人々がさいなまれている苦痛や葛藤を避けて通るわけにはいかない、ということではないのか》

 レストンはカナダのレスター・ピアソン元外相が国連に提出した報告書の言葉を紹介する。

《この地球もまた、ひとつの国家の場合と同様、住民の半分が奴隷で半分が自由、また半分が困窮にあえていでいるのに、残りの半分はまるで無制限も同然の消費を楽しもうとして夢中になっている状態では、とうてい生き延びることはできない》

 いつの頃からか、自分の暮らし向きのことばかり考えるようになった。このブログにしても、こんがらがった考えをすこしでも整理したい——自問自答のために書いているところもある。
 わたしは急激な変化ではなく、時間をかけてゆっくり世の中がよい方向にむかってほしいとおもっている。対立ではなく、歩み寄りを望んでいる。しかし先進国が「苦痛なき革命」を目指そうとすれば、そのツケは「残りの半分」の国々に回る。

 わたしは世界のことに興味をなくしている。それどころか日本のことについてさえ、今の自分があれこれ考えたところでどうにかなるものではないとおもいがちである。自分のような政治や経済への関心をなくしつつある人が、何を考えればいいのか。そこから考えなければいけない気がしている。

2016/11/13

分断

 アメリカ大統領選関連のニュースにずっと違和感があった。
 ドナルド・トランプとヒラリー・クリントンの紹介の仕方もそのひとつだ。
 ヒラリー・クリントンは「女性初の大統領を目指す」と紹介されていたのにたいし、ドナルド・トランプのほうは「過激な発言で知られる」とか「暴言王」といった肩書がついていた。報道の仕方が「公平」ではないとおもった。
 投票日前日、日本のテレビ局のレポーターは、トランプの演説を「内容がない」「矛盾だらけ」と馬鹿にしていた。

 今年の八月か九月ごろ、アメリカのメディアは「トランプの支持者は教育水準が低い白人」と分析(?)していた。仮にその分析が正しかったとしても「教育水準が低い」といわれた人々が「教育水準が低い」とおもわれたくないからトランプ支持をやめようとは考えないだろう。自分たちを「教育水準が低い」と断定する人間の意見に従いたいとおもう人はそんなにいないはずだ。

 たしかにトランプは差別主義者で排外主義者で親の七光りで不動産王にのし上がった傍若無人で厚顔無恥な愚か者かもしれない。
 だからといって、その支持者を「教育水準が低い」と分析するのはいやなかんじがした。分析されたほうはいい気はしないだろう。
 トランプの「壁を作れ」というスローガンを批判した人たちの中には、すでに強固な「壁」に囲まれた富裕層だけが集まった地域に暮らしてる人もいる。そこには移民の問題も差別の問題もない。

 トランプがアメリカの「分断」をまねいたという論調があるが、それはちがう。すでに「分断」は存在していた。それが今回の大統領選で明白になったにすぎない。反トランプ陣営の人たちは、トランプを毛嫌いするだけではなく、なぜ「分断」が生じてしまったのか、「分断」によって生じた溝を埋めるにはどうすればいいのか——を自問する必要がある。反グローバル主義は先進国全体の流行でもある。

 日本では「上級国民」や「マスゴミ」といった言葉を使う人たちが増えている。そうした言葉を好んで使う人たちがトランプ支持者と同じとはいわない。インターネット上には差別と排外主義が溢れている。他者に不寛容であることを「強い」と勘違いしている人も増えている。
 厄介な問題だ。批判の言葉をひとつひとつ見直していくことも「分断」を解消するには必要だとおもう。

2016/11/12

隠れトランプ

 大統領選後、ドナルド・トランプの勝因を分析するさい、「隠れトランプ」の存在が注目された。
 いちおう断っておくが、わたしはトランプ支持者ではない。トランプに賛意を表明すれば、即、差別主義者のレッテルを貼られてしまう。でもトランプとヒラリーの二択だと迷う人は多いだろう。どっちも嫌だ。

 ドナルド・トランプ著『トランプ思考 知られざる成功哲学』(月谷真紀訳、PHP研究所、二〇一六年刊)という本がある。この本は二〇一〇年九月に刊行された『明日の成功者たちへ』の改題作——トランプがブログやニュースレターの記事として書いた短文(エッセイ)を集めた本である。

《私はエッセイが好きで、だから短編小説にも、虚構の散文という違いはあれ、なじみがある。作家なら誰でもいうだろうが、短編小説は簡単な表現方法ではない。簡潔でなければならないからだ》(自分自身と自分の仕事に嘘をつくな)

 トランプはスティーヴン・キングの発言に注目する。今のアメリカの短編作家の多くは、自分の作品を本にしてくれそうな編集者、出版人をターゲットにしている——とキング氏はいう。

《短編小説が読者の啓発ではなく出版を目的として書かれているようだと気づいたキング氏は、的確な状況分析をしていると思う。いわゆる評論家の歓心を買うつもりで何かをすれば自分を安売りすることになるし、世間をばかにすることにもなる》

 また「物事を関連づけて考えられるようになろう」というエッセイでは次のようなことを書いている。

《オルダス・ハクスリーは一九五九年に「統合的な学習」という題名のエッセイを書いているが、その内容は今も古びていない。ハクスリーは知識と思考の間に橋を架ける重要性を訴えた。(中略)橋を架けることによって、自分の関心領域にとりたてて関係がなくても、目を向けてみれば役に立つかもしれないアイデアやテーマを取り入れて関連づけられるようになる》

 この考え方自体は広く知られたものだ。でもトランプは、ハクスリーからシェイクスピアの話を絡めて「橋を架ける」ことの大切さを語る。

《ラルフ・ウォルドー・エマーソンが「状況ではなく思いを信じるべき、これは歴史が賢人に与える教訓である」と書いた。問題ではなく目標に意識を集中させなければならない、ということを語った良い言葉である》(勝者は問題を、実力を証明する一つの方法と見る)

 トランプは文学だけでなく、アートにも精通している。メディアが伝える人物像とはずいぶんちがう。選挙期間中、暴言をまきちらしていたトランプと著作の中のトランプは別人のようだ。「橋を架けろ」といっていた人物が「壁を作れ」を選挙のスローガンに選んだ。これほどわけがわからない人物は滅多にいない。

2016/11/11

トランプ後の世界

 アメリカ大統領選でドナルド・トランプが当選した。選挙前から、トランプ優勢の予想はけっこう目にした。
 開票がはじまって、トランプ優勢が伝えられる中、ニュース番組のインタビューで(たぶん)金融関係の人が「ほぼほぼヒラリーだとおもいますよ」と答えていた。「そんなこといって大丈夫なのか?」と心配になった。
 トランプの勝利を「番狂わせ」みたいに報じるニュース番組にも違和感をおぼえた。後からいうのは簡単だが、正直、トランプが勝ちそうな雰囲気はあったとおもう。

 イギリスのEU離脱のときもそうだったが、反グローバリズム、反富裕層、反インテリ、反都会といった流れが強まっている。人権に制限を与える意見も活発になっている。いいかわるいかではなく、そうなってしまった。

 大統領選の前、ドナルド・トランプの本を何冊か読んだ。
 ある本の中ではトランプがノーベル文学賞を受賞する前のトルコ人作家のオルハン・パムクの作品を激賞していたエピソードが記されている。トランプはかなりの読書家で社交に長けた教養主義者という一面もある(そうは見えないけど)。
 ペンシルベニア大学大学院ウォートン校でMBAを取得した経歴をふくめ、選挙中は一切そうしたカードを使っていない(ように感じた)。逆に偏見や暴言、傍若無人さばかりが目立った。

 それはさておき、今、英米で起っている流れは、遠からず、というか、すでに日本にも来ている。
 人権、弱者救済、多様性——かつて「よい」とされていた価値観が崩れてきている。その価値観を支えるための犠牲を払いたくないという人が増えている。「きれいごと」を否定する人を批判したとしても反発が強まるだけだ。

 現状、安心と安全は限られた人にしか与えられていない。万人に生活の安定を行き渡らせられるほど、世界は豊かではない。
 わたしも自分のことで目一杯だ。生活が苦しくなれば、寛容さを失う。すくなくとも自分の善意や良心や正義感はアテにならない。
 それでもみんながすこしずつ我慢し、損を引き受けていかないと世の中はよくならないことはわかっている。「自分さえよければいい」という価値観が蔓延すれば、誰にとっても住みづらい社会になるだろう。

 トランプ後のアメリカがどうなるのかはわからない。わたし自身、混乱している。頭の中にひっかかっていることが言葉にならない。

……すこし冷静になったら続きを書く。

2016/11/06

古本まつり

 神田古本まつりで豊田泰光の署名本を買いそびれた話を書いた。その本は『トヨさんの新・長幼の序』(情報センター出版局、一九八六年刊)なのだが、署名がなければ、インターネットの古本屋で半額以下で買えるのではないかと判断した。わたしは携帯電話やスマホを持っていないので、その場でネットの相場を調べることができない。いつも勘頼りだ。

 たぶん千円以下なら迷わず買っていたとおもうが、『トヨさんの新・長幼の序』は千二百円だった。ただ、自分がこの本を手にとって、値段をチェックしたのは、あまり見かけない本だったからだ(というか、知らなかった)。

……結局、土曜日、また神保町に行った。もしかしたら売れてしまったかもしれない。そのときはそのときだ。

 豊田泰光は今年八月に亡くなっている。現役時代はまったく知らないが、野球解説者としては好きな人だった。西鉄ライオンズから国鉄スワローズに移籍していて、わたしが生まれた年に現役を引退している。

 小林秀雄の『考えるヒント』に国鉄時代の豊田泰光と酒を飲んだとき、スランプの克服法を語ったエピソードが出てくる。

《どうも困ったものだと豊田君は述懐する。周りからいろいろと批評されるが、当人には皆、わかり切った事、言われなくても、知っているし、やってもいる。だが、どういうわけだか当らない。つまり、どうするんだ、と訊ねたら、よく食って、よく眠って、ただ、待っているんだと答えた。ただ、待っている、なるほどな、と私は相槌を打ったが、これは人ごとではあるまい、とひそかに思った》

『トヨさんの新・長幼の序』は残っていた。よかった。「ちょっと高いかな」とおもって買わなかった本が、後で調べたら入手難とわかることがけっこうある。次の日行くとすでに売れてしまっていることも多い。迷ったら買う。何度も決心したはずのに、なかなか実行に移せない。

『トヨさんの新・長幼の序』には前述の小林秀雄の話の続きが綴られている。

《一流の打者とは、自分のどん底を知っている者を言うのだと思う。ともかく底までたどりついて、そこからはい上がる術を会得したものが、もう一度浮き上がれるし、一流打者になれる。ぼくが小林秀雄さんに言った「待つ」ということは、このどん底に行きつくまで待つということである》

2016/11/05

いつもの悩み

 夕方、神保町。古本まつりをぶらついていたら、NHKのカメラ(シブ5時?)がちょうど撮影中。逃げる。野村克也の持っていない本を一冊買う。豊田泰光の未読本もあったのだが、署名本。別に署名はなくてもいいなとおもったので見送る。やっぱり買っておけばよかった。迷ったら買わないといけない。

 何度も書いていることだが、目先の仕事に追われて、何かひとつのテーマにじっくり取り組めない。

 お金がないとできないこと、体力がないとできないこと、時間がないとできないこと……年々できないことが増えている気がしてならない。満足できるレベルに達するのに五年十年とかかるようなことには迂闊に手が出せない。
 若いころは時間はたっぷりあるとおもっていたし、あまり仕事をしてなかったから、ひまだった。どんなに疲れていても、一晩寝れば、気力も体力も復活した。
 ひまで体力があったころ、何をやっていたかといえば、毎日古本屋と中古レコード屋をまわって酒飲んでいた。あとゲームもやってた。徹夜で。その延長戦上に今がある。無駄ではなかったが、無駄なこともいっぱいした。でも無駄なことができるのが、若さだったり、可能性だったりする。

 今はどうしても限りある時間と体力の範囲でできることを考えてしまう。ゲームはしなくなったし、レコード屋でAの棚から順番に一枚一枚アルバムを探さなくなった。朝まで飲まなくなった。
 現状を維持しながら、新しいことをはじめるのは至難だ。でも今までどおりのやり方を続けていたら、そのうち通用しなくなる。
「一年くらい仕事せずに遊んで暮らしたい」とよくおもうが、仮に実行したとしたら、一年後、再び仕事にありつけるかどうかわからない。冷静に考えると、無理っぽい。

 働き続けながら、摩耗せず、枯渇せず、好奇心のおもむくままに新しいテーマに取り組み、適度に休み、毎日楽しく暮らしたいのだけど、むずかしいだよ。

2016/11/03

旅に出たい

 三十日、下北沢B&Bの世田谷ピンポンズさん、山川直人さんとのイベント、無事終了。
 山川さんが「字余りフォーク」についての話をしていたのだけど、そのあと、世田谷ピンポンズさんの曲を聴いたら、「字余り」だらけでおもしろかった。
 世田谷さんは、誰にも聴かせない音楽を十年くらい作り続けていた時期があったそうなのだが、そのことが流行と無関係な作風につながっているのではないかとおもった。

 十一月に入って急に寒くなる。腰痛の手前の手前くらいの兆候があったので、この秋、初の貼るカイロをつかう。
 これから四、五ヶ月——寒い季節は無理をしない方針でのりきりたい。

 南陀楼綾繁さんから『ヒトハコ』創刊号(二〇一六年秋)が届く。
 この一、二年、高円寺ひきこもり生活(西部古書会館でばかり本を買っている)だったのだが、読んでいると旅行したくなる。日本海側は二十年以上行っていない。新潟の「ブックバレーうおぬま」も気になる。

 来年はすこしのんびりできそうなので、これまで行ったことのない場所に行きたい。