『アメリカの鏡・日本 完全版』を読み進めていくにつれ、もっとも感心したのは、ヘレン・ミアーズの論理の強度だった。
その論理を支える軸は、西洋が許されるなら、日本も許されるべきだ——日本に罪があるというのなら、西洋には罪がないのかという考え方である。
《私たちは最初の占領軍指令で、日本の国教である国家神道を本来侵略的であるとして禁止した。私たちより極東の歴史に詳しいアジア人は、この皮肉に気づくだろう。なぜなら、私たちが神道を告発につかっている論理を証拠につかえば、キリスト教を侵略的で好戦的な宗教として裁くほうがやさしいからだ》
日本をアメリカの「鏡」として見る。日本に向けた批判はほとんど西洋に跳ね返る。
戦時中のプロパガンダの影響もあるが、多くのアメリカ人は、日本のことを有史以来、野蛮な国だとおもっていた。
その例に、豊臣秀吉のキリスト教迫害と朝鮮出兵を挙げている。
ヘレン・ミアーズは同じ時代に西洋はどうだったかと問いかえす。
十六世紀のスペインが南米で何をしたか。ヨーロッパのキリスト教の国家は、どれだけ殺し合いをしていたか。
さらに日本に訪れたキリスト教徒は、カトリックとプロテスタントで「内紛」状態だった。また日本人の指導者は、キリスト教の布教が、西欧列強の領土拡張に大きな役割を果たしていることも見抜いていた。
アメリカや西洋に向けた痛烈な批判に、溜飲を下げたくなるのだが、この本はそういう目的で書かれた本ではない。他国の文化を誤解と無理解に基づいて批判することの愚かさとプロパガンダの危うさを教えてくれる本なのだ。
《私たちは他国民の罪だけを告発し、自分たちが民主主義の名のもとに犯した罪は自動的に免責されると思っているのだろうか》
(……続く)