2017/10/05

アメリカの鏡・日本(四)

『アメリカの鏡・日本 完全版』読了。註釈も含め、読み飛ばしたくなる頁がまったくなかった。
 当時、どれだけ読まれたのかはわからないが、一九五三年にこの本が、原百代訳『アメリカの反省』として刊行されていたこともあらためてすごいとおもった。

 GHQの占領政策で日本人は「洗脳」された——という通説があるが、もしそうなら占領期が終わった途端、なぜ『アメリカの反省』と題したアメリカの占領政策を批判する本を刊行できたのか。

「GHQ洗脳論」に出くわすたびに、違和感をおぼえていた。どうすれば、これほど識字率が高く、出版産業が盛んで、世界屈指の古本文化を誇る国の人間を「洗脳」することができるのか。

 戦前の日本人は、アメリカの音楽や映画が好きだった。そもそも近代以降、「戦勝国」の文化や技術や制度を学び続けてきた国でもあった。何にもかも欧米が正しいと信じていたわけではないはずだ。
 戦時中は、日本を批判するような本はなかなか出版できなかった。だから、戦後になって、そうした言論が噴出した。ある種の反動にすぎない。わたしはそう考えている。

『アメリカの鏡・日本 完全版』の話に戻る。

 明治以前の日本人は、資源の少ない地震や台風の多い小さな国に暮らし、自己規律と節約を美徳としていた。資源に恵まれ、自由と浪費を愛するアメリカ人にはなかなか理解できない価値観ではないかとヘレン・ミアーズは問いかける。
 平和な日本を軍艦で脅し「開国」させたのは欧米列強だった。日本は、植民地化か近代化かの二択を突きつけられ、後者を選んだ。
 日本人は、健気なまでに忠実に西洋の教えを学んだ。法律を整備し、学校を作り、工業化を進め、軍隊を創設した。
 それでも不平等条約は解消されなかった。
 日清戦争と日露戦争に勝って、日本はようやく関税自主権を手に入れることができた。
 日本人は、自由や民主主義の教えは建前にすぎず、軍事大国になって、力をつけないかぎり、何一つ自分たちの要求が通らないこと——この世界のルールは、パワーポリティクス(武力政治)であることを学んだ。

《十九世紀末、欧米列強はアメとムチで日本を「指導」した。西洋の基準を逸脱すれば、厳しく折檻し、おとなしくしていれば褒めてやった。日本人が好戦的国民になるのに、ほとんど訓練は必要なかった》

 さらに日本人は、欧米列強が自分たちに教えた原則を彼ら自身はしょっちゅう無視していることを学習した。それでも領土の拡張するさい、日本は欧米列強のどの国よりも慎重に手続きをした。
 ヘレン・ミアーズは、当時の日本の状況を次のように指摘する。

《日本は近代的工業・軍事大国に必要な天然資源をほとんどもたない島国だから経済封鎖にもろい。資源的に脆弱な日本は、イギリスとの軍事同盟に意のままにされる操り人形だった》

 多くのアメリカ人が「貪欲で凶暴」とおもっていた日本は、「経済封鎖」の一手で詰んでしまう国だった(たぶん、今もですね)。
 というか、今の世界の大半の国は「経済封鎖」の一手で詰んでしまう構造になっている。日本の場合、「軍事同盟の意のままにされる」ことを防ぐ最善手は何か——を考えることは大きな課題だとおもうが、わたしには荷が重い。まあ、現状維持でいいかな。

(……いちおう完)