2017/10/09

竹槍事件

 阿川弘之著『大人の見識』(新潮新書)は、最初、タイトルを見たとき、ものすごく説教臭そうな本だとおもって敬遠していた。不覚だった。
 フライフィッシングに関する著作もある英国の外務大臣のエドワード・グレイの話が出てくると知って入手したのだが、阿川弘之の印象がずいぶん変わった。こんなに反骨の人だったのかと……。「瞬間湯沸かし器」というあだ名をつけられるような、短気で頑固な人だとおもっていた。

 戦時中の適性語廃止みたいなことを「滑稽なことが大まじめで通用していたのです」と一刀両断。

《ある学校の、校名に「英」の字が入っているのはよくないというので「英」を「永」に変えさせられた事例があるそうですが、そんなら東條首相の名前も「永機」に変えなきゃいかんだろうにね。それはしなかった》

 それから不勉強で知らなかったのだが、阿川弘之のエッセイで「竹槍事件」を知った。

 昭和十九年二月二十三日、毎日新聞の新名丈夫記者が「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋航空機だ」といった記事を書いたところ、東條が激怒し、「四十歳に近い新名記者を一兵卒として懲罰召集」した。さらに後に、東海大学創立者の松前重義(当時四十二歳)も東條を批判し、二等兵で召集されている。

《口では名誉の入営、栄えある出征といいながら、実のところ軍隊に取られるのは懲役に処せられるのと同じだと証明しているんですよ》

 それにしても反戦でも何でもなく、「精神論では勝てない、大切なのは科学だ」みたいな意見ですら、懲罰の対象になってしまうくらい戦争末期の日本の言論状況はひどかった。
 阿川弘之は「憲兵を使っての言論の弾圧ぶりはすさまじいものがあった」と回想している。

 戦中の日本は言論弾圧と暗殺がはびこっていた国だった。どんなに戦前を美化しようにもこうした史実は消せない。