2017/10/04

アメリカの鏡・日本(一)

 臼井吉見の書評で紹介していた『アメリカの反省』——ヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本 完全版』(伊藤延司訳、角川ソフィア文庫)を読む。マッカーサーは「プロパガンダだ」といって、占領中、日本語に訳すことを禁じた。
 GHQのメンバーで日本の「改革者」のひとりであるヘレン・ミアーズは、日本が軍事大国化していく過程を分析し、アメリカに「反省」を促す。いや、「反省」なんて生ぬるいものではない。

 占領期のことに興味を持ったとき、この時代のことを掘り下げていけば、自分の知らないとんでもない本があるのではないか——そんな漠然とした予感があった。この本がそうだ。ヘレン・ミアーズくらい論理の強度を持つ文筆家は、今の日本にいるのだろうか。

 外国人の書いた日本に関する文章は、それなりに読んできたつもりだが、『アメリカの鏡・日本 完全版』に匹敵するような本は、ほとんど記憶にない。ジョージ・ミケシュの日本論を読んだとき以来の衝撃かもしれない。日本の近代史に関心のある人だけでなく、アメリカ人にも読んでほしい。というか、読ませたい。

 伊藤延司訳の『アメリカの鏡・日本』は、一九九六年に単行本、二〇〇五年に新版と抄訳版が刊行されている。
 文庫化でようやく知ることができた。臼井吉見の書評を読み返したおかげだ。

 ヘレン・ミアーズは一九〇〇年生まれ。北京に滞在中の一九二五年、それから一九三五年に日本を訪れている。
 一九三五年のころ、日々、ラジオや新聞で「危機意識」を植えつけるための「根拠のない」「事実をねじ曲げた」プロパガンダが流れていた。彼女が会った日本国民のほとんどがそれを信じていた。

《日本人の頭に詰まっているのは脳ではなく、同じレコードを繰り返す蓄音機だった》

 ところが、一九三八年にアメリカに帰国すると、アメリカ人も同じ状態だったという。アメリカでは「枢軸国は世界を征服し、奴隷化しようとしている」という戦争プロパガンダが吹き荒れていた。そして議論らしい議論もなく、膨大な国防予算が議会を通過した。

《アメリカ人も日本人と同様、頭の中にもっているのは脳味噌ではなく蓄音機であることを知って驚いた》

 かかっているレコードはちがうが、危機感を煽る宣伝を浴び続けていると、脳味噌が蓄音機のようになる。日本人だから、アメリカ人だから——というわけではない。

 そしてヘレン・ミアーズは、日本の近代史を次のようにまとめる。

《近代に入ってわずかな間に、平和な鎖国主義から軍事大国主義へ急転換した日本の歴史は、四世紀にわたる西洋世界の歴史の縮図なのである》

(……続く)