五日の土曜日、朝七時台に郷里の家を出る。伊勢若松駅から伊勢中川駅まで近鉄の急行に乗る。高校三年間、このくらいの時間の電車に乗って津新町駅まで通学していた。
津新町駅のすこし先——岩田川の河口付近に中部国際空港に行きの津エアポートラインの港(津なぎさまち港)がある。いつか津の港から船で愛知県の知多半島に渡り東京に帰りたい。たぶん楽しいだろう。
旧伊勢街道、旧伊賀街道も母校の近くを通っている。
伊勢中川駅から特急に乗り換え京都へ。伊勢中川駅には……近いとはいえないが、松浦武四郎記念館がある。松浦は江戸末期から明治にかけての探検家であり、「北海道の名付け親」としても有名だ。雲出川近くの伊勢街道沿いの村の出身である。
鈴鹿から関西方面に行くとき、伊勢中川駅でよく乗り換える。ここ数年、駅のまわりを何度か散策している。近くに初瀬街道も通っている。
伊勢中川駅で乗った特急は奈良の大和八木駅で乗り換えなしの電車だった。
街道歩きのさい、三重と東京の間の降りたことのない駅を散策することを目標にしているのだが、三重と京都・大阪の間の町も行ってみたいところがいろいろある。。
京都駅からJRで茨木駅へ。後日、京都ではなく大阪(鶴橋駅)経由のほうが三十分くらい早くて三百円くらい安かったことに気づく。事前に調べておけばよかった。
目的地は大阪の茨木市立中央図書館。富士正晴についての講演会の講師をする。開場は午後一時半だが、三時間くらい前に着いてしまう。駅の東口を出て、阪急京都線の線路のあたりまで歩き、そこから遊歩道(元茨木川緑地、茨木市中央公園)を散策していたら、川端康成文学館がある。通りの名も川端通りだった。偶然か。
町の中心に遊歩道があるのは素晴らしい。のんびり歩いたにもかかわらず、図書館に訪れると約束した時間まで一時間以上ある。併設の富士正晴記念館を見る。企画展「茨木と武蔵野の遠い仲間〜富士正晴と埴谷雄高」を開催していた。埴谷雄高は中央線沿線の吉祥寺に住んでいた(家は何度か外から見ている)。わたしの父は台湾の新竹の生まれで、埴谷雄高の出身地と同じだ。新竹には大きな製糖会社があって、埴谷雄高の父は重役だった。そしてわたしの父方の祖父も台湾にいたころは製糖工場で働いていた……と父に聞いた。
この日の講演のため、A4用紙十五枚分の富士正晴の随筆についての原稿を用意した。それなのに、いやはや、まったく喋れず。けっこう喋ったつもりだったのだが。予定は一時間半で、途中、「喋りすぎて予定をオーバーしてしまったかな」と不安になり、司会の人に時間を聞くとまだ四十五分しか経っていなかった。自分としては二時間くらい喋った気がしていたのに。たぶん早口になっていたのだろう。過去の最短記録も四十五分だったと図書館の人に教えられる。
来場者の力を借り、三十分くらい話を続け、どうにか(なったとは言い難いが)終了した。あらためて人には向き不向きがあると知る。でも不思議と楽しかった。
会場には扉野良人さん、世田谷ピンポンズさんも来ていた。打ち上げに出て阪急電車で京都へ。車内でわたしはつり革につかまったまま寝ていたようだ。
(……続く)