2022/11/21

野方の話

 ひさしぶりに中野区大和町を散歩。セブンイレブン(中野大和町1丁目北店)ができている。今月一日にオープンしたばかり。それから妙正寺川沿いを歩いていたら、いつの間にか住所の番地が野方になった。環七あたりまで歩いて家に帰る。

 野方のもより駅は西武新宿線野方駅だが、番地によってはJR中央線の中野駅や高円寺駅のほうが近いところもある。高円寺駅から野方駅行きのバスは一時間に何本も出ている。

 散歩のあと、福原麟太郎の「散歩道」(『この道を行く わが人生観』大和書房、一九七一年)を読んだ。

《そのころはよく北の方へ向って歩いた。丸山小学校というのが近所の子供などの行っている小学校で、その前の道を下ると、小川があって、これが、中野区と練馬区の境になっていた》

 丸山小学校は二〇一一年三月閉校(現在は緑野小学校)。中野と練馬の区境の川は江古田(えごた)川だろう。江古田川は江古田公園のあたりで妙正寺川と合流する。

 福原麟太郎は江古田川を越え、さらに北に向って歩いて練馬駅へ。

《私はよくそこまで歩いて、あとタクシーで帰った》

『この道を行く』の「篭原観音その後」も野方の話——。

《私の家の近くの道を散歩していたら、中学校の校地の角のところで道が二股に分れる。そこに観音様の石像が立ったり倒れたりしていた》

《道しるべを兼ねたものと見えて、右なかむら道、左あら井道などと彫ってある》

 福原麟太郎は知り合いの中学の校長に「あの観音様にお堂を立ててあげたらどうだろう」と提案し……。

 地図(Google)を見ると中野区立緑野中学校の角に籠原観音の印があり、旧丸山小学校もすぐ隣にある。そこから数百メートル歩けば、練馬区豊玉中——梅崎春生が住んでいた町だ。おもっていたよりずっと近い。