雨。寒い。二日酔い。
ずっと読みたいとおもっていた新居格の『季節の登場者』(人文會出版、一九二七年刊)をインターネットの古本屋で注文した。「日本エツセイ叢書」の一冊だ。
届いた本のあいだに新居格の「マンモニズム想片」というエッセイの雑誌の切り抜きもはさまっていた。初出はわからない。わからないことを調べる時間がほしい。
《金さへあれば大抵のことは出来る。金は有難いものだと云ふ心理に人々は支配されるのも無理からぬと思へる。(中略)その代り、金がないと不便にして窮屈極まる》
拝金主義を批判しているエッセイなのだが、新居格は生活および精神の享楽を満たすことを否定しているわけではない。
戦時中、新居格は自分にお金があったら、地下に防空壕のある家を建て、そこでずっと本を読んでいたいといったエッセイを書いていた。
わたしもそういう夢をよく見る。別に地下室でなくてもいいが、現実と隔絶された場所でひたすら本を読んだり音楽を聴いたりし続けられたらと……。
『季節の登場者』の「序」で、新居格は「私の随筆は云はば私だけに意味する随筆であるかも知れない」と綴っている。
新居格は、友人に君はカフェなどでの漫談はおもしろいけど、文章は拙いといわれる。
《巧い人が巧いのは巧いのだが、拙いものがまづいのも、それはその人の木地そのままの丸出しであるが故に巧いのであるとするのである。自由で明けつ放しに書いてるつもりだ。癖もあらう、まづさもあらう、変でも妙でもあり、その他何でもである。時には滅茶苦茶であるかも知れないが、そんな点の好きな人達は或はその点で好きになつてくれるかも知れない》
変でも妙でもいい。というか、それをそのまま書けることが、わたしの理想の文章である。