新居格著『生活の窓ひらく』(第一書房、一九三六年刊)の「あとがき」で、自分は生活のために執筆してきたと告白する。
《ではあるが、如何に稚拙であつても、わたしはわたしだけのものでありたい、とは望んでゐた》
新居格は自著の「序」や「あとがき」で同じようなことをくりかえし書いている。何か儀式のようだ。
彼の文章を読むと、書くかどうか迷っていたことを拙くても書いてみようという気になる。新居格自身、そう自分に言い聞かせながら、書いていたのかもしれない。
拙い表現の中にも何らかの自分の欠片がある。巧く書けるようになるまで書かなかったら、そのあいだに考えていたことは消えてしまう。
失敗をくりかえしながら前に進むこと。すこしずつでもいいから書き継いでいくこと。
たぶん、わたしにはそういうやり方が合っている。
十代の終わりごろから今に至るまでの三十年くらいのあいだに、そのときどきには気づかない様々な変化があった。
できなかったことができるようになった変化とできたことができなくなった変化がある。
そのふたつの変化が自分の中で交差している。確信はないが、それはどちらも大事な変化だ。
(……続く)