天気予報、東京の最高気温二十八度。室温は二十五度くらい。暑い。
月曜日、荻窪。ささま書店に行く。編集工房ノアの品切本が並んでいる。大槻鉄男『樹木幻想』をはじめて見た。函入りだったとは。
久しぶりにタウンセブンで鯖の押し寿司を買う。もうすこし荻窪界隈を散歩しようかとおもっていたら、小雨。家に帰る。
高松在住の福田賢治さんが作っている『些末事研究』の三号が届く。この号の特集は「親と子」。福田さん、東賢次郎さん、扉野良人さんとわたしの座談会は、昨年六月に京都で収録した。
わたしはずっと三重弁で喋っている。文字にすると、けっこう違和感があるが、そのままにした。
昨年の五月末に父が亡くなって、それで東京と三重を行ったり来たりしていた。『些末事研究』の座談会の前日も凍結された父の銀行口座の件やら何やらで消耗していた。京都に行って、ようやく人心地ついた気がした。
今月のはじめに発売のインディーズ文芸創作誌の『ウィッチンケア』の8号にも「わたしがアナキストだったころ」というエッセイを書いた。
ここ何年かでいちばん苦心して書いた文章かもしれない。
『なnD 5』でも、インタビューというか、戸塚泰雄さんと五、六時間飲んだあと、帰り際にいろいろ質問されて、酔っぱらって喋ったことが収録されている。
すこし前に中古のベースを買って浮れていた。浮れたかんじがそのまま活字になっている。でも直さなかった。
文章を書いている途中に、ちがうことを書きたくなってしまうことがよくある。でも仕事の原稿でそんなことをしていると、期日に間に合わないし、次の予定にも支障が出る。
そうこうするうちに遊びの部分をカットし、ひとつずつ順番に仕上げることを優先するようになる。効率はいいが、楽しくない。アクセルではなく、ブレーキばかり踏んでいるような気分になる。
今はそのあたりのバランスをすこし変えたいとおもっている。うまくいかなかったら、また元に戻すつもりだ。