2017/04/16

春に考える(九)

 和巻耿介著『評伝 新居格』(文治堂書店、一九九一年刊)の冒頭付近に、新居格の直筆の歌が転載されている。

《路と云ふ路は羅馬に通ずれば
 ドン・キホーテよ でたらめに行け》(「短歌研究」昭和十二年六月号)

 新居格、四十九歳のときの歌だ。
 わたしは短歌の世界には不案内なので、この歌のよしあしはわからない。でも「でたらめに行け」という言葉には、新居格のおもいがこもっている気がする。
 年譜を見ると、五十歳前後から新居格は映画関係の執筆が盛んになる。新居格は、興味をもつと、どんどんのめりこむ。見習いたい。

 わたしは三十歳前後から、ゲームや音楽や漫画など、これまで好きだったものにブレーキをかけるようになった。
 限られたお金と時間と体力を何かひとつのことに注ぎ込まないとダメになる——という強迫観念にとらわれていたのだ。もちろん、ひとつのことに集中してよかったところもある。いっぽう行き詰まったときの逃げ場がなく、窮屈なかんじもあった。

 何かをするということは、その分、何かができなくなる。しかし無我夢中にのめりこんだ経験は、かならず別の何かにフィードバックされる。今はそうおもえるようになった。

 当初考えていたぼんやりとした着地点とはズレて(見失って)しまったが、ここ最近の心境の変化を書き残しておきたかった。

 続きはまた来年の春になったら考えたい。