そのときどきの自分の関心事と重なる本——そういう本を探そうと年がら年中、古本を買い漁っているのだが、そうそう都合よく見つかるものではない。
すこし前に井伏鱒二著『昨日の會』(新潮社、一九六一年)を西部古書会館で買った。今日は七月二十九日だが、この本に「七月二十三日記」という随筆がある。
福山市外加茂町で過ごしたときの話。バスで山野川に行き、夕爾君と卓爾君と釣りをする。夕爾君は木下夕爾、卓爾君は近江卓爾か。井伏は疎開中、この二人と親しくなった。釣りの後、宿で研究発表の会をする。
そこで夕爾君は「生の歌」という新作の詩を紙ぎれに書いて見せた。
《僕は生きられるだろう
僕は生きる
眠りのあと目ざめがくるように(以下略)》
木下夕爾は一九一四(大正三)年十月生まれ。一九六五年八月四日没。享年五十。まもなく没後六十年。「生の歌」を雑誌に発表したのが、『木靴』一九六〇年六月号。井伏の「七月二十三日記」には「生の歌」は「先月か先々月に作つたと云ふ」とある。ということは「七月二十三日記」は一九六〇年七月の話か。この随筆の初出の年がわからず、最初はもっと前の話だとおもっていた。
「生の歌」の最後の行「僕は自分の生を見知らぬ世界へ運ぶ」の「運ぶ」を「運んでゐる」か「運びつつある」か、迷っているという。
井伏は「このままで十分結構ぢやないですか」と答えた。
わたしは木下夕爾の俳句を読んだことがある。たしか古本の話が出てくる句があった。没後刊行された『定本 木下夕爾句集』(牧羊社、一九六六年)の序文を井伏鱒二が書いている。
木下夕爾の生没年を見ていて、梅崎春生(一九一五年二月生まれ。一九六五年七月十九日没)と同学年で亡くなった時期も近いことに気づく。