日曜、西部古書会館。大判函入の『街道を旅する』(日本通信教育連盟)を買う。「東の街道」「西の街道」の二冊セット。四キロくらい。重い。五百円だった。宿場町の写真を見ているだけで時を忘れる。奥付に刊行年が記されてなかったが、国会図書館のデータベースなどで「一九九六年」ということがわかった。日本通信教育連盟『街道歴史散歩』という冊子の刊行も同じころか。日本通信教育連盟は「ユーキャン」の前身。元は「東京人形学院」(一九五四年設立)だったと知る。ユーキャンに社名変更したのは二〇〇六年六月。
ほか『中野区の史跡』(中野区教育委員会、一九九四年)、『源氏絵 華やかな王朝の世界』(出光美術館、二〇〇五年)など。中野区の郷土資料の冊子、ひょっとしたら家にあるかもとおもったが、なかった。白黒だけど、史跡の写真も掲載。蛍光ペン(黄色)の線引あり。二百円。
鷺宮の不動堂の庚申塔(青面金剛庚申塔)は「新青梅街道となかの道(庚申塔の前の道路)との三叉路に建てられていましたが、新青梅街道の拡張工事のため現在地に移されたものです」とあった。一八〇〇(寛政十二)年に上鷺宮村の庚申講の人たちが建てた。
鷺宮はちょくちょく散歩しているが、新青梅街道のほうは行ってない。近いうちに散策したい。
西部古書会館、物語絵巻の図録もよく出る。空から描いたような絵がけっこうある。
日本シリーズの結果を見て、夜、早稲田通りを散歩する。お伊勢の森のバス停まで。早稲田通りも風がよく通る道だ。このあたりで高円寺から阿佐ケ谷になる。「お伊勢の森」はバス停以外にお伊勢の森児童公園にその名を残している。
お伊勢の森のバス停の後、馬橋公園に寄る。馬橋公園はかつては国立の気象研究所だった。そのせいかどうか高円寺界隈では空が広く星がよく見える。コロナ禍の前まではそんなに夜の公園を歩いてなかったので気づかなかった。喫煙所もある。なみの湯の煙突(光る)が見える場所がある。
一九八九年秋、高円寺で最初に住んだアパートはなみの湯の近くだった。アパートがあったところを通る。三十六年前。町の変化、自分の変化、どちらも感慨深い。