『瀬戸内海のスケッチ 黒島伝治作品集』(山本善行選、サウダージ・ブックス)を読む。
選者の山本さんは「売れるかなあ」と心配していたが、この作品集をきっかけに、はじめて黒島伝治の文章を読む人はいるとおもう。きっと驚くとおもう。こんな文章を書く作家がいたのかと。
《生れは、香川県、小豆島。
僕の村は、文学をやる人間、殊に、小説を読んだり、又、小説を書いたりする人間は、国賊のようにつまはじきをされる村であった》(「僕の文学的経歴」/同書)
ジャンルでいうと、プロレタリア作家ということになるかもしれないが、「黒島伝治の小説を読み始めると、その呼吸、リズムにからだをあずけるのが気持ちよく、気がつけば、からだがその物語の中にどっぷり浸かっているのだった」(山本さんの解説)という読書経験が味わえるだろう。
一八九八年生まれ。同世代の作家だと、井伏鱒二や横光利一がいる。尾崎一雄の一つ年上である。
この作品集には入っていないのだけど、「愛読した本と作家から」(巻末の解説で山本さんもこのエッセイのことに触れている)の書きだしはこんなかんじだ。
《いろいろなものを読んで忘れ、また、読んで忘れ、しょっちゅう、それを繰りかえして、自分の身についたものは、その中の、何十分の一にしかあたらない。僕はそんな気がしている。がそれは当然らしい》
たしかに、文章のリズムが心地いい。
そのほかのエッセイでも、地方の風土、季節感、暮らしぶりを綴った文章が素晴らしい。
何度となく作品は発禁になり、病も患っていた。すくなくとも平穏無事とはほど遠い生活だったが、黒島伝治の文章はゆったりしていて、とぼけた味わいもある。
一九四三年、四十四歳で亡くなった。
黒島伝治の資質は、戦前より戦後のほうが活かされたようにおもえる。
もうすこし長生きしてほしかった。
(追記)
『黒島傳治全集』(筑摩書房)の三巻の月報を読んでいたら、坂下強「黒島さんの憶出」の中に、黒島伝治のこんな言葉が紹介されていた。
《自分の書くものが世に受け入れられない時に無理をする必要はないのだ。文学の動きは必ず変ってゆく。そして、自分の書くものと世の中が合うような時代がくる》