2018/03/31

ロングセラーの文庫

 土曜日、西部古書会館三日目(今週は木曜から開催)。未読のライター本(「フリーライターで食べていくには」系の本)が何冊出ていた。ライターや作家向けの入門書は、一行でも役に立てば、元がとれるので古本屋で見つけたら買うことにしている。

『Sage(サージュ)』の一九八一年五月号「特集! 文庫本ロングセラー」も購入。各社の文庫のランキングが掲載されている。岩波文庫の一位はプラトンの『ソクラテスの弁明・クリトン』。同書は岩波文庫が創刊時の配本の一冊。

 各社の一位は、秋元文庫が若城希伊子『十五歳の絶唱』、朝日文庫が三浦綾子『氷点』、旺文社文庫が武者小路実篤『友情・愛と死』、角川文庫がイザヤ・ベンダザン『日本人とユダヤ人』、現代教養文庫がR・ベネディクト『菊と刀』、講談社文庫が五木寛之『青春の門』、集英社文庫が三浦綾子『裁きの家』、春陽文庫が山手樹一郎『江戸名物からす堂』、新潮文庫が太宰治『人間失格』、新日本文庫がエンゲルス『空想から科学へ』、創元推理文庫がジェラール・ド・ヴィリェ『SAS/伯爵夫人の舞踏会』、ソノラマ文庫がが富野喜幸『機動戦士ガンダム』、中公文庫が北杜夫『どくとるマンボウ青春記』、早川文庫がアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』、文春文庫がA・フランク『アンネの日記』——(※一九八一年のデータ)。

 当時、わたしは小学六年生だったが、三浦綾子がものすごく売れていたのはおぼえている。家にも三浦綾子の作品はほとんどあった(母がファン)。『塩狩峠』は、今、読んでもおもしろいのではないか。
 創元推理文庫のジェラール・ド・ヴィリェは現在すべて品切。『SAS/伯爵夫人の舞踏会』の古書価はエラいことになっている……と書いたのだが、わたしの勘違いでした(メールで教えてもらった)。すみません。

2018/03/30

文体

 インディーズ文芸創作誌『Witchenkare(ウィッチンケア)』9号で「終の住処の話」というエッセイを書きました。

 ここ数日、エッセイと私小説はどうちがうのかということを考えていたのだが、わからずじまい。自己申告で決めるものなのかもしれない。
「終の住処の話」は、今年のはじめ東西線の電車の車内で見たある不動産の会社の吊り広告をメモしていて、それをもとに書いた。いつもとちがう文体に挑戦してうまくいかず、いつもどおりの書き方に戻した。

 それから紀伊國屋書店の『scripta』で「下流中年」の話を書いています。社会に蔓延する「不寛容」をどう解消していくか。こちらはいつもどおりに書こうとして、ギクシャクしたかんじになってしまった。むずかしいテーマを書くとき、どういう文体で書いたらいいのか。むずかしいテーマである。

 今、自分のいる場所から何かを書く。「声」の届く範囲は限られている。読みやすさを考えると「声」の届く範囲を意識して書いたほうがいい。ただし一読者の立場だと、そこからはみだそうとしている文章のほうが好きだ。好きなのだけど、わたしはそういう文章を書くのが苦手だ。

2018/03/28

バスに乗る

 今日の最高気温は二十四度。ちょっと前に雪が降ったのに変なかんじだ。

 昨日は江古田で打ち合わせ(来月からの短期連載の話)。行きは高円寺からバスで練馬に出て江古田へ。今さらながら西武池袋線、東京メトロ副都心線、東急東横線と直通の「Fライナー」という快速があることを知る。横浜まで乗り換えなしで行けるのか。

 日頃、中央線(総武線)と東京メトロの東西線しか利用していないので都内の鉄道事情に疎くなっている。
 もっと疎いのが都内の路線バス事情である。
 江古田から帰りは中野行きのバスに乗った。新井薬師駅を経由するバスで、哲学堂公園の桜を見たり、いい雰囲気の商店街を通ったりして楽しかった。バス内の放送で「古本案内処」の広告が流れ、「買い取り」という言葉に反応してしまう。

 中野駅まで行かず、中野ブロードウェイ手前の新井中野通りで下車することにした。早稲田通りに入ってから渋滞で進まない。ひとつ手前の中野五丁目で降りたほうがよかった。行きの練馬行きのバスも練馬駅前が渋滞ですこし余裕を持って家を出たつもりだったのだが、待ち合わせの店への到着がギリギリになってしまった。ひとつ手前で降りたほうが、早かったとおもう。
 行き帰りのバスで気づいたのは、乗車してから停留所を二つか三つで降りる人がけっこういたこと。バスに乗り慣れているかんじだった。

 高円寺からのバスは永福町、野方、練馬、赤羽方面などがある。新高円寺からは吉祥寺に行くバスもあって一度乗ってみたい。

 おなかが空いていたので「中華料理 和」でラーメンと炒飯のセット。中華料理で「和」っていうのがおかしい(「和」は「かず」と読む)。
 三月中、一日千円もつかわない日が多く、自分には物欲がなくなってしまったのかとおもったが、杞憂だった。古本案内処とまんだらけでけっこう散財してしまう。

2018/03/26

祝祭の日々

 昨年刊行された本だけど、色川武大著『戦争育ちの放埒病』(幻戯書房)、伊丹十三著『ぼくの伯父さん』(つるとはな)の二冊の単行本未収録エッセイ集は、あらためて編集者のすごみを感じた本だった。読み終えるのがもったいなくて、喫茶店に行ったときにすこしずつ読み継いでいた。
『ぼくの伯父さん』を読み終わって奥付の刊行日の日付を見たら、二〇一七年十二月二十日。伊丹十三が亡くなったのが、一九九七年十二月二十日だから、没後二十年だったことに今更ながら気づく。

 すこし前にささま書店に行ったとき、Nさんが高崎俊夫著『祝祭の日々 私の映画アトランダム』(国書刊行会)を(興奮気味に)すすめてきた。わたしが映画をほとんど観ないことを知っているNさんが映画の本をすすめてくるというのはよっぽどのことだ。

『祝祭の日々』は、イーヴリン・ウォーと吉田健一の話からはじまって、映画と本、雑誌、時々ラジオの話が縦横無尽にくりひろげられる。知識と記憶の埋蔵量がすごい。先にちらっと「あとがき」を見たら樽本周馬さんの名前があって「やっぱり」と納得する。

 高崎さんは子どものころから映画関係の記事をスクラップしていて、そのまま映画関係の雑誌や本を作る編集者になった。虫明亜呂無著『女の足指と電話機』『ニセ札つかいの手記 武田泰淳異色短篇集』(いずれも中公文庫)、『親しい友人たち 山川方夫ミステリ傑作選』(創元推理文庫)なども高崎さんの編著である。

 同書の「クラス・マガジン『話の特集』が輝いていた時代」にこんな記述があった。

《私がもっとも熱心に「話の特集」を読んだのは、この一九七〇年代前半の数年間だったと思う。後に『東京のロビンソン・クルーソー』に収録される小林信彦のコラム「世直し風流陣」、虫明亜呂無の『ロマンチック街道』、色川武大の『怪しい来客簿』などの連載も夢中になって読んだ》

 わたしは一九九〇年代半ば、休刊直前くらいになってようやく「話の特集」を古本屋で探して読むようになった。当時、映画と音楽好きの同業の友人の河田拓也さんも七〇年代の「話の特集」の話をよくした。
 高崎さんの「話の特集」の話ではっとさせられたのが、次の指摘——。

《「話の特集」のエッセンスは、レイアウトを担当した和田誠の傑出した才能に負う部分が大きいこともわかってきた。(中略)いっぽうで、矢崎泰久好みの硬派なジャーナリズム精神は、たとえば、竹中労の「メモ沖縄」「公開書簡」のような連載に体現され、この〈遊び〉と〈反権力志向〉のフシギな共存こそが、一時期の「話の特集」の面白さを支えていたように思う》

〈反権力志向〉の硬派なジャーナリズムというのは、そのまま剥きだしの形で出されても、多くの人に読まれることはむずかしい。文化(遊び)の厚みがないと厳しい。九〇年代以降のリベラル言説の停滞は「〈遊び〉と〈反権力志向〉のフシギな共存」が崩れたこととも無縁ではない。今の硬派ジャーナリズムの世界は、冗談がいえない空気みたいなものが、蔓延していて息苦しい。

 話は変わるが、『祝祭の日々 私の映画アトランダム』を読むすこし前にペリカン時代で安田南の話をしていた。この本にも安田南の話が何度か出てきて、よくあることだが、いいタイミングで読めて嬉しかった。

2018/03/21

月夜の喫煙

 起きたら、霙。寒い。ようやく春らしくなってきたとおもったのに。
 数日前から寝つきがよくなくて、毎日睡眠時間がズレる。季節の変わり目はよくそうなる。

 東京市外杉並町高圓寺六六九。『新居格創作集 月夜の喫煙』(解放社、大正十五年刊)の巻末に記されていた新居格の住所だ。発行者は、山崎今朝彌である。山崎今朝彌は、アナキストの岩佐作太郎や幸徳秋水とも親交があった弁護士で、学生時代、玉川信明さんの大正思想史研究会でその名前をちょくちょく聞いていた。

『月夜の喫煙』も冒頭の「作者の言葉」があいかわらず素晴らしい。わたしは新居格の「まえがき」が大好きである。あと題名もいいとおもう。

《これはいづれもわたしの心にひそむ感情の投射である。私は作家ではない。だが、私には人生を——それがかなりつまらないものであつても、——人生的に見ようとする傾向が少し計りある。それがこうしたものを書かせたのだ。私は私の書いたどの作品にたいしても大した自信は持てぬ、また持たうなぞと思はない》

《私は私のかきたいと思ふことを書いた計りだ。それでいゝのか、いけないのかは懸念しない、よくても、わるくても仕方がない。こんなのが私の作品、そしてそれだけが作者としての言葉》

 新居格の本は一貫して「自分は自分の書きたいものを書いただけだ」というようなことが記されている。新居格の本を読むたびに、そうした文章を目にする。

《地底から清水が湧き出すとでも云ひたひやうに、物事をほんとうに考へることの出来る明澄さが心の奥底から浮び上がつてくるやうな気がした。そのこころが考へる、そしてさびしい》(月夜の喫煙)

「そしてさびしい」が唐突でおかしい。

2018/03/19

自伝の事典

 二〇〇八年一月号からはじまった『小説すばる』の「古書古書話」が先月号終了——。月刊誌で十年連載を続けられたのはほんとうにうれしい。
 今月号からは「自伝の事典」という連載に変わりました。第一回目は佐藤春夫。タイトルに「事典」と付いているが、作家、漫画家、ミュージシャンといった人たちの自伝(評伝)を中心に取り上げていく予定です。
「古書古書話」のときも何度となく自伝を取り上げていた。
 不遇な時期をどう乗り切ったかというのは、昔からわたしの関心事のひとつで、自伝を読んでいるときもそのあたりのエピソードがいちばん気になる。
 あとデビュー作や出世作が出る直前もおもしろい。

 不遇といっても、後からふりかえると、その時期があったからこそ、成長できたという話はいくらでもある。
 わたしも二十代半ばから三十歳にかけて、仕事がなくて、本やレコードを売りさばきながら、どうにか生活をしていた。そのころ、知り合った人たちのおかげで、三十代は楽しくなった。ひまだったから、本もたくさん読めたし、自炊の腕も上がったし、倹約、節約の知恵も身についた。

 浪人とか落第とか中退とか失業とか、その渦中にいるときはしんどいことが、自伝ではいちばんおもしろい部分になる。

2018/03/15

枕元の本棚

 十四日、どうにか確定申告をすませ、気が抜ける。阿佐ヶ谷から高円寺まで歩いた。

 今、東京堂書店の入口右側のカフェスペースで『絶景本棚』(本の雑誌社)のパネルが展示されている。わたしの枕元の本棚の写真もあります。けっこう恥ずかしい。

 吉行淳之介、山口瞳、古山高麗雄、色川武大、尾崎一雄、木山捷平、梅崎春生、内田百閒、辻潤……。
 すこしは入れ替わっているのだが、十年以上、枕元の本棚の本はほとんど動いていない。

 三十代以降は、海外のコラム、野球と将棋と釣りの本が増えた。漫画はものすごく減った。

 同じような作家が好きでも似たような本棚になるとは限らない。不思議である。

2018/03/13

悲しい釣り

 月曜日、荻窪・ささま書店。福山市教育委員会(井伏鱒二追悼一周年事業実行委員会)の『井伏鱒二の世界』(一九九四年刊)を買う。限定五〇〇部の内二七号。
 二十年くらい前から文学展のパンフをちょこちょこ集めているのだが、これは知らなかった。大判の本を見逃しがちなのは、置き場所がなくて見て見ぬふりをしてた時期が長く続いたからかもしれない。井伏鱒二の字(書)は味わい深い。愛用していた将棋盤や釣り竿の写真も収録されている。

 火曜日、神保町で仕事帰り(ひさしぶりに対談のまとめをすることになった)、鳥海書房で伊藤桂一の『釣りの風景』(六興出版)を買う。平凡社ライブラリーの版は持っていたのだが、六興出版のちょっと大きめの新書サイズの随筆集はつい手にとってみたくなる。神田伯剌西爾で読みはじめる。御茶ノ水から総武線の各駅停車で高円寺まで没頭して読んだ。「悲しい釣り」は何度読んでもいい。

《釣りは、ふつう、たのしい遊びだが、沈んだ気分をまぎらすために、釣り場へ出かける人も多いのである。この世で、志を得られないとき、自分で自分を慰める最良の手段として、釣りが残されている。釣りしかないだろう》

 伊藤桂一は同郷(三重)の作家で二〇一六年秋に九十九歳で亡くなった。『フライの雑誌』に追悼エッセイを書いたときにも同箇所を引用した。釣りにかぎらず、ひとりでも楽しめる趣味は救いになる。

2018/03/06

アワの一粒

 尾崎一雄の『沢がに』(皆美社)は、もともと署名なしの本を持っていたのだが、七、八年前に署名本を見つけ、買い直した。どこで買ったのかは忘れてしまった。この本の「生きる」という随筆が好きで、何度読み返しているかわからない。

《巨大な空間と時間の面に、一瞬浮んだアワの一粒に過ぎない私だが、私にとってはこの世こそかけ換えのない時空である。いつの世でも、いろんなさまたげがあってそうはいかないけれど、すべての生きものは、生まれたからには精いっぱい充実した時をかさね、やがて定命がきて自然と朽ちるようにこの世を去りたいものだ》

 尾崎一雄の小説や随筆は、ほとんど身辺の話を材にとっているのだが、そこから時空や宇宙、あるいは自然の話に飛ぶ。
 自分という「点」を掘り下げながら、同時に巨大な「面」「空間」を書く。

 自分のことばかり考えると、どんどん狭い穴に落ちていく気分になる。でもそんな自分も「巨大な空間と時間」の中では「アワの一粒」にすぎない。そう考えると、人とはちがうやり方だろうが何だろうが「とりあえず、生きてりゃいい」とおもえてくる。

 若いころから、わたしは「ふつう」に生きるのがしんどかった。むしろ若いころのほうがつらかった。朝起きることができないし、午前中は、ほぼ調子がよくない。いまだに人ごみが苦手で、周囲と足並を揃えようとすると、それだけで疲れてしまう。
 今も同じだ。ただし五十歳ちかくまでどうにかこうにかやってきた。
 平均からはズレた生き方かもしれないが、休み休みでも十年二十年三十年と続けていれば、自分なりの道ができてくる。
 そういう生き方があるということを尾崎一雄から学んだ。

2018/03/03

人生設計

 土曜日、西部古書会館。金曜日が初日だったから二日目。昨年の秋くらいから読書欲が低迷気味だったのだが(仕事が難航していた)、三月になってすこし回復してきた。

 昔から「何のために働いているのか」みたいなことを考えすぎるのは精神衛生によくない気がしている。
 自分の住みたい町でなるべく快適に暮らしていきたい。あとは、本が読めて、週二日か三日、飲み屋で酒が飲めて、年に二、三回、二泊三日の国内旅行ができれば、それでいい。

 郷里にいたころから「将来、おまえみたいなやり方は社会で通用しない」といわれ続けてきた。今も「老後はどうするの?」「親の介護はどうするの?」と訊かれると言葉に詰まる。
 そもそもいつまで生きるのかさえわからない。だからこそ、それなりに備えが必要なのかもしれないが、わからない未来よりも今のほうが大事だ。日々の暮らしが厳しくなったら、そのときは全力で改善に取り組みたい。