2025/07/29

生の歌

 そのときどきの自分の関心事と重なる本——そういう本を探そうと年がら年中、古本を買い漁っているのだが、そうそう都合よく見つかるものではない。

 すこし前に井伏鱒二著『昨日の會』(新潮社、一九六一年)を西部古書会館で買った。今日は七月二十九日だが、この本に「七月二十三日記」という随筆がある。

 福山市外加茂町で過ごしたときの話。バスで山野川に行き、夕爾君と卓爾君と釣りをする。夕爾君は木下夕爾、卓爾君は近江卓爾か。井伏は疎開中、この二人と親しくなった。釣りの後、宿で研究発表の会をする。
 そこで夕爾君は「生の歌」という新作の詩を紙ぎれに書いて見せた。

《僕は生きられるだろう
 僕は生きる
 眠りのあと目ざめがくるように(以下略)》

 木下夕爾は一九一四(大正三)年十月生まれ。一九六五年八月四日没。享年五十。まもなく没後六十年。「生の歌」を雑誌に発表したのが、『木靴』一九六〇年六月号。井伏の「七月二十三日記」には「生の歌」は「先月か先々月に作つたと云ふ」とある。ということは「七月二十三日記」は一九六〇年七月の話か。この随筆の初出の年がわからず、最初はもっと前の話だとおもっていた。

「生の歌」の最後の行「僕は自分の生を見知らぬ世界へ運ぶ」の「運ぶ」を「運んでゐる」か「運びつつある」か、迷っているという。
 井伏は「このままで十分結構ぢやないですか」と答えた。

 わたしは木下夕爾の俳句を読んだことがある。たしか古本の話が出てくる句があった。没後刊行された『定本 木下夕爾句集』(牧羊社、一九六六年)の序文を井伏鱒二が書いている。

 木下夕爾の生没年を見ていて、梅崎春生(一九一五年二月生まれ。一九六五年七月十九日没)と同学年で亡くなった時期も近いことに気づく。

2025/07/23

十貫坂周辺

 土曜昼、高円寺の西部古書会館。ガレージのところで『観たい 聞きたい 記録(のこ)したい なべよこ観察隊』(中野区鍋横地域センター、一九九四年)。東高円寺駅、新中野駅界隈をよく散歩するようになって、“なべよこ”もなじみの場所になった。散歩圏の「ご近所本」を見つけると嬉しくなる。同冊子の付録(?)の「十貫坂周辺」という記事中、「丸谷才一著『低空飛行』の中に『ぼくの仕事部屋の窓から首を出すと、ちようど真下に中野十貫坂といふゆるやかな坂が見える』とあり、氏は昭和42年頃から数年、十貫坂に面したマンションに住んでいたということです」という記述も。

『低空飛行』(新潮文庫、一九八〇年)の「十貫坂にて」を読むと「数年前に、杉並と中野の境のところにあるアパートに引越した」と記されている。
 丸谷才一は一九二五年八月二十七日生まれ。来月生誕百年。このエッセイでは、十貫坂の地名ついて「十貫目の荷物を持つて登ればちよつとこたえる。といふくらゐの由来なのだろうか」と推理する。同冊子によると「大量に積んだ大八車が十貫目(39kg)を超えると坂が登れなかったからだとか、中野長者の埋めた銭十貫文を掘り出したので坂の名になったなどいくつか説があります」とのこと。

 他に『文化財シリーズ 板橋・熊野・仲宿・仲町 地区編』(板橋区教育委員会、一九九一年)、『無限大』特集「『異人その他』を読む」(一九八四年冬、日本アイ・ビー・エム株式会社)、『出雲に於る小泉八雲 改定増補版』(松江八雲會、一九三一年?)、大町桂月遺稿『十和田湖』(龍星閣、一九五二年)など。『出雲に於る小泉八雲 改定増補版』——奥付は昭和六年十一月と記されているが、昭和一桁に刊行された冊子にしては紙がちょっと新しい感じがする。とりあえず、刊行年は保留。大町桂月遺稿『十和田湖』は、青野季吉「ささやかなる心象」なども所収。大町桂月は福原麟太郎が愛読していたと知り、読んでみたくなった。

 図録や冊子を探そうと棚を眺めていると知らないものばかりで楽しい。

 この日、夜七時前、中野の大和町八幡神社の大盆踊り会(DAIBON)を見に行く。マツケンサンバ、盛り上がる。生ビール飲む。
 昨年末に大和町に仕事部屋を引っ越した。大和町八幡神社から妙正寺川沿いの道を歩いてマルエツ中野若宮店に行くのが散歩コースの定番になった。

 中野区大和町は瀬戸内寂聴が住んでいた。

(追記) 「付録」とおもっていた小冊子は一九九九年版の『観たい 聞きたい 記録(のこ)したい なべよこ観察隊』と気づく。九四年版の半分のサイズ(ページ数も少ない)、最後のページが「書き込み欄」(メモ帳)になっていて奥付はその前にあった。

2025/07/19

期日前投票

 高円寺駅の南口を散歩する。ひさしぶりに新高円寺のドトールでアイスコーヒー。二階の窓際、青梅街道が見える。

 毎日散歩しているので、途中、いくつか参院選の演説を聞いた。国という大きな枠組ではなく、地域のことを考えると、多くの人がつつがなく過ごせるための地味な整備——修繕、修復は政治の大切な仕事である。ただ、そういうことは選挙の争点にはなりにくい。

 金曜、仕事部屋に本(図録)を運ぶ。その帰り、階段で足を滑らせ、後ろにひっくり返る。ただ、背負っていたノートパソコン用のリュック(空になっていた)がクッションになり、無傷ですんだ。たぶん運がよかった。

 そのあと参議院選挙の期日前投票に行く。東京都選出と比例、投票までの間、新聞、インターネットなどの予想を参考に検討したが、今回、当落予想がむずかしすぎる。

 家に帰って、臼井吉見著『あたりまえのこと』(新潮社、一九五七年)の「良書と悪書」というエッセイを読んでいたら「新シイ本ガ出タト聞イタラ、古イ本ヲ読メ」という一文があった。
 小泉八雲の読書論の言葉だそうだ。臼井は「いゝ言葉」「りっぱな言葉」と称賛している。小泉八雲、読みたくなる。
 同書の「すぐれた一冊に味わう楽しみ」でも、臼井は小泉八雲の読書を論じている。八雲は、古典をくりかえし読むことの大切さを強調していた。

 それから臼井は吉田兼好の『徒然草』の次の言葉を紹介する。

《「ひとりともしびのもとに書をひろげて見ぬ世の人を友とするこそ、こようなぐさむわざなれ。書は文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇」と書きつけた兼好の言葉ほど、読書の真髄を道破しているものはない》

「見ぬ世の人を友にする」は『徒然草』の第十三段の言葉。中村光夫もこの言葉が好きでエッセイで何度か紹介している。

 木曜日、芥川賞と直木賞の発表——二十七年ぶりに「該当作なし」。

 同書「作家と文学賞」というエッセイでは「自主性に乏しい日本の読書界では受賞作家は一せいに注目される結果になり、受賞と同時に執筆依頼が殺到し、それに翻弄されて、なけなしの才能を底まではたいてしまうものが多く、そこをきりぬけて自分を成長させることのできるものは十人のうち一人か二人にすぎない。(中略)悠々と自分の文学の成熟を待つ余裕など決して許されないのである」と記す。

 選挙のさい、文学賞の選考委員のような気持で候補者を選ぶというのも面白いかもしれない。迷った末、「将来性に期待し……」と心の中で呟き、ある候補に票を投じた。

2025/07/08

社会のカガミ

 七月四日(金)、午前十時半、西部古書会館。西部古書会館は土日開催が多いのだが、今回は金曜が初日だった。

 この日は『特別展 北前船』(船の科学館、一九九三年)、『奥州道中氏家宿 開宿四〇〇年記念』(ミュージアム氏家、二〇〇一年)、『中山道板橋宿と加賀藩下屋敷』(板橋区立郷土資料館、二〇一〇年)、太田文平著『寺田寅彦の作品と生涯』(七曜社、一九六二年)などを買う。古書会館のあと、桃園川緑道を散歩して寝る。起きたら夜。毎日、睡眠時間がズレる周期に入った。一日の大半、ぼんやりしている。

 気を引き締めるため、鮎川信夫著『一人のオフィス 単独者の思想』(思潮社、一九六八年)を再読する。

《議会制民主主義に対する失望、不信が、ただちに全体主義や独裁制へのあこがれに通じるとはおもっていない。しかし、議会制民主主義に対する国民の幻滅を土壌にし、独裁が育ってくることを忘れてはならない。戦前において、軍閥の進出を許したのもそれであったのである》(「国会は社会のカガミ 『政治』ばかりが早くよくなることはない」)

 同コラムの初出は一九六六年。六十年近く前のコラムだが、どの時代にも通じる意見だろう。
 全体主義や独裁は右にも左にもある。中道にもある。最近、「極右」でも「極左」でもない「極中道(エキストリーム・センター)」という概念を知った。
「無駄をなくそう」「効率をよくしよう」みたいな一見穏当そうな考えですら徹底(反対派の粛清など)すれば、大いなる脅威になる。
 人は自分の認識を「普通」かつ「妥当」だと考えている。だから自分にたいする批判者を「異常」と見なす。さらに一歩進むと批判者だけでなく、自分の考えに賛同しない人間を「敵」と規定するようになる。

 昨今は自分の「普通」や「正しさ」を補強する材料には事欠かない。さらにインターネット上には偽画像や偽動画が溢れている。

 今のわたしは政治不信以前に情報不信になっている。

 今月の参院選の投票先はまだ決めていない。

2025/07/04

静観

 七月。ちょっと前にコタツ布団をしまって夏用の肌掛けを出した気がする。今週はやや夏バテ気味である。人類が働ける気温ではない。
 自分の体調のバロメーターはコーヒーがうまいかどうか。味もそうだが、体がカフェインを受けつけないときは要注意だ。今週のはじめコーヒーが飲めなかったので、睡眠優先の生活を送った。昨日あたりから回復した。

 先週の土曜、西部古書会館、均一祭(初日二百円)。午前十時に行く。
『司馬遼太郎・街道をゆく」エッセンス&インデックス 単行本・文庫版両用総索引』(朝日新聞社、二〇〇一年)など七冊。「エッセンス&インデックス」は読み物の部分が四百五十一頁、索引が三百十二頁。
「街道をゆく」関係だと「司馬遼太郎『「街道をゆく」人名・地名録』(朝日新聞社、一九八九年)という本もある。「人名・地名録」は『街道はゆく』全四十三巻中の三十一巻までの索引で九百頁くらい。この本も西部古書会館の均一祭で買った。二冊で一・七キロちょっと。重い。

 物語を楽しむ読書と文章を味わう読書はちがう。『街道をゆく』はどちらでもない。知らない名前、知らない土地が出てくる。それらが頭の片隅におぼろげに残る。知らなかった名前や土地がほんのすこしなじみになる。自分の知っている場所と知らない場所のバラつき――傾向のようなものが朧げと見えてくる。雑駁なままとっ散らかっていた知識がふとした瞬間、何かとつながる。すぐつながることもあれば、五年十年……もっと長い時間かかることもある。

 人名にせよ地名にせよ、点と点がつながる感じが好きなのだとおもう。

 話は変わるが、昔の作家、あるいは学者は時代なり社会を「文明」という括りで考える人が(今と比べると)多かった。司馬遼太郎の随筆も「文明」という言葉がよく出てくる。

 戦後八十年、冷戦後三十数年——今の時代も文明の曲がり角に来ているのかもしれない。時代の評価はその渦中にいるときにはわからないことが多い。
 日本の経済が低迷しているのは、政治のせいか、少子高齢化のせいか、グローバル企業のせいか、新興国の追い上げのせいか……おそらく全部絡んでいる。どこの国も混乱している。戦乱がないだけでもよしと考えるべきか。

 先が見えない。動き回る体力がない老体は静観するのも一策か。怠ける言い訳か。