毎日新聞の夕刊「ラジオ交差点」で一月三日放送の「令和に復活!コサキンでワァオ!です、ワァオ!」(TBSラジオ)を紹介した。文字数の関係で番組後半の小堺一機さんと関根勤さんの会話について書き切れなかった。終始くだらない話で盛り上がっている中、六十六歳の小堺さんと六十八歳の関根さんが、自分らくらいの世代は一歩、いや、二、三歩引いたところでやっていかないと——という話をしていた。
バカバカしいことをやるのが好きだけど、やりすぎると若手の出番を奪う。昔と同じつもりでいても、若い芸人やスタッフからすれば、彼らは芸歴四十数年の大ベテランである。軽いノリでふざけていても相手を萎縮させてしまうこともある。
それで「二、三歩引いたところで……」という話になる。
小堺さん、関根さんのような有名人にかぎった話ではなく、年をとるとそういうことも考えないといけなくなる。
四半世紀以上前の話だが、当時、対談や座談会の構成の仕事をよくしていた。
仮に六十代のその専門の世界では権威の学者(重鎮先生)と三、四十代の学者(新進先生)の対談があったとする。対談は一時間半。開始早々、重鎮先生の独演会状態になり、新進先生は「はい」と「そうですね」しかいわない——そうした状況に陥ることが度々あった。
さすがにそれでは記事としてまとめるのがむずかしいから、途中でこちらも「新進先生はどうおもわれますか」「さきほどの件をもうすこし説明してくれますか」と話をふる。ところが新進先生が口を開こうとした途端、重鎮先生が「さっきのあれはね〜」と全部喋ってしまうのである。
よくあることだが、非常に困る。そういうときどうしたかといえば、一時間半の対談を一時間で無理矢理終わらせ、そのあと新進先生にいくつか質問して、その回答を強引に対談に組み込むという技をつかった。
ようするに対談や座談会の場で重鎮先生は一歩ではなく、二、三歩(できれば四、五歩)下がり、話の聞き手に徹するくらいでちょうどいいのである。
五十歳前後の同業者あるいは自営業の人たちと話していると「まだまだわれわれは一兵卒で……」みたいなことをいってたりするし、いまだに若手扱いされたりすることもある。もちろん自分もそうだ。だから二十歳くらい年下の同業者にたいして「ちょっと先輩」くらいの立ち振る舞いをしてしまうことがよくある。当然、相手は困惑の表情を浮かべる。それはよくないことだなと小堺さんと関根さんの話を聞いて反省した。