2015/12/31

年末日記

 今年は大掃除はせず、のんびりする。ここ数日、スーパー、薬局は混んでいた。薬局では貼るカイロを買った。

……『フライの雑誌』107号が届く。最新号の特集は、「再発見・芦ノ湖の鱒釣り」。単なる「鱒釣り」ではなく、わざわざ「芦ノ湖の鱒釣り」と絞り込んでいるところが、『フライの雑誌』らしい。

 芦ノ湖(神奈川県箱根町)は「フライフィッシングを一般の釣り人に広めた、歴史的にも文化的にも重要な湖」とのこと。
 かつての芦ノ湖は「初心者を安心して釣れて行ける釣り場」として人気だった。
 一九九〇年代はニジマスの成魚の放流が(異常なくらい)盛んに行われていた。
 そして今の芦ノ湖は——。

 この号でわたしは加村一馬著『洞窟オジさん』(小学館文庫)について書いた。いちおう釣りの話も出てくる。今年読んだ本の中では、一、二を争うくらいおもしろかった。単行本は十年以上前に出ていたのだが、文庫になってはじめて知った。

 同誌は釣り人(少数派)の立場で世界と対峙し、おかしいとおもったことはおかしいという。長いものに巻かれない。過激だけど、まっとうな雑誌だとおもう。「わたしみたいな世の中の外れ者のおじさんと、いつまでも一緒に釣りして遊んでいるようでは、人として困る」「ハヤをどれだけ釣っても、社会にはなんの役にも立たない。自分が楽しいってだけだ」(いずれも堀内正徳「オイカワ日記」/『フライの雑誌』107号掲載)といった編集発行人のボヤキを読むのも毎号愉しみ。

 二十九日、ペリカン時代で「弦八(木下弦二、春日ハチ博文)」のライブを見る。よかった、すごかった。ふたりとも人とはおもえないような指の動きだった。ふと「この人、何やっているんだろう」とおもう瞬間が何度かあった。いいもの見た。
 最近、弦二さんのソロアルバム(『natural fool』)の収録曲「遅刻します」のことを考えている。聴くたびに曲の印象が変わる。

 三十日、毎年恒例のTBS「プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達」を観る。今年はパ・リーグの選手で、結婚や第一子が生まれる直前に戦力外になった選手をとりあげている。
 同じくらいの成績でも戦力外になる選手とならない選手がいる。厳しい競争の末、プロになっても五年十年と続けられる選手は限られている。戦力外になる選手を見ていると、調子のいいときであれば、一軍で通用する力は充分ある。しかし、調子があんまりよくないときに、だましだまし乗りきる技術が足りないようにおもえる。

 そんなことを酒飲んでテレビを見ているだけのおっさんがいってみたところで何の意味もないわけだが、さらに余計なことをいわせてもらうと、プロ野球選手の妻は、結婚してすぐ仕事をやめないほうがいいとおもう。

2015/12/30

できる範囲

 限られた時間の中で何かをする。そういう生活を続けているうちに、できないことをやらなくなってきた。「できる範囲」ですむことばかり選んでいる。
 できるかできないかわからないことに挑戦するより、今の自分ができることをしたほうが効率がいい。すくなくとも、その効率のよさは期日の迫った仕事には役に立つ。

 ひさしぶりに楽器にさわる。指がおもいどおりに動かない。それでもヘタなりに自分の「できる範囲」はある。だが、もともとの技量が低いから「できる範囲」がすごく狭い。初歩の初歩のところで躓いている。ほとんど何もできないに等しい。

 何でもそうだが、「できる範囲」をひろげるためには、できるかどうかわからないことをやってみるしかない。
「もうすこし若ければ」
「時間があれば」
 言い訳ばかり浮かんでくる。「そんなひまがあったら仕事しろよ」ともおもう。

 いっぽう「できる範囲」のことでも、くりかえしているうちに、すこしずつうまくなることもある。
 料理に関していえば、二十歳のころより、今のほうがいろいろなものが作れるし、手際もよくなっている。別に寝る間を惜しんで勉強したわけではない。毎日、簡単な料理をひたすら作り続けていたら「できる範囲」も広くなった。簡単な料理も、今のほうが早くできる。

 どんなことでも続けてさえいれば、それなりに技量は上がる。
 続けるためには、無理はできない。しかし、初心者のうちは、あるていど無理しないと「できる範囲」は広がらない。
 その無理のさじ加減も「できる範囲」が狭いとわからない。
 すぐできるようになるもの、三年くらいかけないとできないもの、十年やってもできるかどうかわからないもの……。

 年をとると、やってみる前から「できない」とわかることが増えてくる。人生の残り時間を考えると、何でもかんでも手を出すわけにもいかない。時間もないし、体力もない。

 今の自分には「できない」けど、未来の自分は「できる」ようになっている。
 そうおもえるかどうかはけっこう重要なことかもしれない。

 とりあえず、来年の課題にしたい。

2015/12/26

西部古書会館

 ひさしぶり午前中に目がさめる。今年最後の西部古書会館に行く。
 ここ数年、八〇年代の本の“古本感”が出てきた気がする。八〇年代はリアルタイムでおぼえている本とまったく知らない本の差が激しい。

 上京したのが一九八九年で西部古書会館にはその年の秋くらいから通いはじめた。当時は、大正時代とアナキズム関係の本を中心に読んでいたから、同時代の本の記憶があまりない。
 それからしばらくして吉行淳之介と鮎川信夫を読みはじめ、文学や詩に興味がひろがった。二十代後半、私小説と中央線文士、あと将棋の本ばかり読んでいた。

 二十代のころに読んだ古本の半分くらいは西部古書会館で買った本かもしれない。
 行き当たりばったりに本を買ってきたつもりでも、そのときどきの傾向がある。その傾向は、時間が経ってからわかることが多い。

 一人の作家、一冊の本によって、ガラっと読書傾向が変わったような気がしても、案外、それ以前に読んだ本の影響がある。

 なかなか読みたい本が買えない時期、仕事が行き詰まった時期に読書傾向が変化する。
 現状を打開しようとして、これまで読んでこなかった本、知らないジャンルの本に手を出す。

 それはそれでけっこう楽しい。

2015/12/21

ギンガギンガ

 年末というかんじがまったくしないまま、十二月下旬。
 日曜日、ギンガギンガ十周年を見に行く。高円寺ショーボート。オグラ&ジュンマキ堂バンド、しゅう&宇宙トーンズ、ペリカンオーバドライブ。いつもの三組。わたしは十年見続けたことになる。変わったもの、変わらないもの、ぜんぶひっくるめて味わい深い。

 年をとると(多少は)耳が肥える分、音楽に感情移入する力みたいなものが落ちてくる。読書もそうかもしれない。

 歌っている姿、演奏している姿を見ているだけで嬉しい。どの曲も心に響く、自分の殻みたいなものが溶けていく——昔は、しょっちゅう、そんなふうに感動することがあったなとおもったりしながら、この日のライブを楽しんだ。

 音楽の世界は広い。その中の限られた小さな世界しか知らない。ある時期にたまたま知り合って、その音楽を知って、わたしはそこに留まった。たぶん、留まったことにも意味がある。

 音楽の感想でも何でもないのだが、この人たちと同時代、同じ国に生まれてよかったとおもった。

2015/12/20

年末恒例アンケート

 神保町。東京堂書店のベストセラーランキング『BOOK5』(トマソン社)が二位。わたしも「年末恒例アンケート 今年の収穫」に参加した。「本」と「本以外」の収穫について。「本以外」で内堀弘さんと“同じ日”の出来事を書いていた。

 たぶん、こういう本のアンケートに答えたのはライター人生初。これまで依頼されたことがなかった(裏方は二十年くらいやっている)。

 今年読んだ小説(古本)ではノーマン・マクリーン著『マクリーンの川』(渡辺利雄訳、集英社文庫、一九九九年刊)がよかった。この本、原題の『リバー・ランズ・スルー・イット』にタイトルを戻して“完本”の形で復刻したほうがいいとおもう。売れるかどうかはわからないが。

 アメリカのスポーツコラムでは、アイラ・バーカウ著『ヒーローたちのシーズン』(新庄哲夫訳、河出書房新社、一九九〇年刊)も今年の収穫だ。
 それなりに自分としては網羅しているつもりのジャンルでも、まだまだ未読の本がある。そういう本を古本屋で目にすると「えーっ?」ってなる。修行が足りないという気持になる。

2015/12/18

居場所の話 その六

 今いる場所から抜け出し、自分の居場所を作る。
 十代、二十代はじめのころは「特別な何か」にならないといけないとおもっていた。でも、二十代半ば、後半になると、世間知らずなりに現実が見えてくる。
「自分ではなく、まわりが間違っている」という思考も薄れてきた。
 仕事や人間関係が長続きせず、貧乏生活を送っているうちに「やっぱり、俺もどこかおかしい」とおもうようになった。

 ただ、自分がおかしいとおもう状況は、相手が強者で、こちらが無名の弱者という力関係の問題であることも多い。
 自分がいえばボツになる企画も、有名人がいえば通る。有名でなくても、それなりに信頼関係があれば通る。そういうことはいくらでもある。
 仮に、自分の意見はまちがっていなくても、自分の立場を弁えていないとその意見は通らない(もちろん、運がよければ通ることもあります)。
 そういう世の中の仕組をわかっていなかった。

 いろいろ経験を積んでいくうちに、仮にA社ではだめだった企画がB社では通ったり、担当者との相性次第でまったく別の結果になったりすることもすこしずつわかってくる。
 百人中九十九人につまらないといわれても、一人おもしろいといってくれる人がいれば、そこで成立する世界もある。

 渡辺京二さんのいう「ニッチ」「自分に適した穴ぼこ」もそういう小さな世界ではないかとおもう。

 十人に二、三人はおもしろいとおもってくれるような才能であれば、小さな世界を目指す必要はない。まわりもほっとかないだろう。
 わたしはそうではなかった。

 どうすれば「自分に適した穴ぼこ」を見つけ、そこで生きていくことができるのか。

(……続く)

居場所の話 その五

 渡辺京二の『無名の人生』(文春新書)を読んでおもったことのひとつに、無名——あるいは平凡といってもいいのかもしれないが、それで生きていくことも、人によっては楽ではないということだ。

 本好きは、ひとりでいる時間が長い。むしろ、ひとりのほうが楽な人も少なくないだろう。読みたい本の数が、百や千という単位になれば、それだけ長く、ひとりの時間をすごすことになる。
 どこに行っても、早く家に帰って本が読みたいとおもう。もしくは布団の中でごろごろしたい。

 集団生活に適応できなかった人間の強がりもあるが、知らない人に囲まれて、何をしていいのかわからない時間をすごすくらいなら、本を読んでいたいというおもいは、はっきりある。
 問題は家でごろごろ本を読んでいるだけでは、仕事にならない。働かなくても食うに困らない生活が望めない以上は、最低限の人付き合いは必要になる。

 わたしは十人二十人という集団における社交はかなり苦手だが、一対一ならどうにかなる。頑張れば。
 社交性に自信がないタイプの人は、集団の中で自分の役割がわからない、もしくはわかっていても、その役割を果たせない。
「おまえはここではこういう人間として振る舞え」という場の圧力にどうしても抵抗感がある。押し付けられる役割がたいていロクなものではないとおもっている。事実そういうことが多い。

 押し付けられる役割を嫌がっている空気は黙っていても周囲に伝わる。
 むこうはむこうで、あいつは自分たちに反感を持っている、バカにしていると感じとる。残念ながら、そのとおりだったりする。

 まわりから自分の望まぬ役割を押し付けられないためには強くなる、偉くなる——無名ではなく、特別を目指す、そういう道を歩むしかないのではないか。変わり者として開き直るしかないのではないか。

 長年わたしはそう考えてきた。

 無名のままでは平凡なままでは生きていけないとおもっていた。

(……続く)

2015/12/15

何もない(とおもっている)人の話

 村上かつら『淀川ベルトコンベアガール』(全三巻、小学館)を読んだ。連載は二〇〇九年〜二〇一一年。二〇〇三年に短期連載された「純粋あげ工場」(『CUE(キュー)』三巻、小学館に収録)が元になっている。

 大阪の油あげを作る工場に住み込みで働く十六歳の“かよ”。あるとき、その工場に名門といわれる高校に通う“那子”がアルバイトに入る。かよの実家は福井県のシャッター商店街の洋服の仕立屋——店はいつ潰れてもおかしくないかんじ。那子は高校のイケてるグループに所属しているが、まわりとの経済格差やら何やらあって、どうも居心地がよくない。

 一見、恵まれた境遇におもえても、つらいことはいくらでもあるし、どう見ても恵まれていない境遇はやっぱりつらい。それでも「自分には何もない」とおもっているふたりがすこしずつ変わりはじめる。「何もない」とおもえるときこそ、夢とか希望とか、そういうあやふやなものが必要になる。あやふやなものをあやふやでないものにするにはどうすればいいのか。

 自分には何があって、何がないのか。それがわからないときがある。自分では当たり前(たいしたことない)とおもっていても、そうではないこともある。

 あとがきも含めて『淀川……』があまりにもよかったので、さかのぼって『CUE』も読んでみた。この作品も何もない(何かをなくした)人たちの物語だ。『CUE』は演劇の話で「なにもない」からこそ「なんにでもなれる」という道(そんなに単純な話ではないが)も示されている。

『CUE』と『淀川……』は、演劇と豆腐の工場のちがいはあれど、「何もない」とおもっている場所から一歩踏み出すというモチーフは重なる。ただし、その一歩のために必要なものはすこしちがう。

 自信というのは自分を信じる力でもある。さらにいうと、自分の信じ方にもいろいろある。
 自信があろうがなかろうが、誰が何といっても好きだからやる——というのがいちばん強い自信だろう(すみません、言い切る自信がなかった)。

2015/12/11

詩の入口

 午前中に目がさめ、散歩。西部古書会館に行く。昨日から歳末赤札古本市が開催中。
 今年は西部古書会館の古書展に行けるだけ行こうとおもっていたのだが、十月、十一月は何度か行きそびれてしまった。そろそろ本を減らさないといけない。

 一週間くらいかけて、Pippo著『心に太陽を くちびるに詩を』(新日本出版社)を読んだ。知らない詩人、知らない詩もあった。杉山平一「わからない」、佐藤惣之助「船乗りの母」は、詩の広さと深さを伝える名エッセイだ。
 六年くらい前、わめぞの「外市」で“文系ファンタジックシンガー”という肩書のPippoさんと会った。思潮社で働いていたときに尾形亀之助の特集号にかかわっていたと聞いた。それからしばらくしてポエトリーカフェをはじめた。すでに七十五回。これだけ続ける熱意——詩の伝道師として「詩の入りやすい入口を作ろう!」としてきた積み重ねが、『心に太陽を くちびるに詩を』につながっている。
 この本も「詩や詩人に親しみや興味を持ってもらえるように書こう」ということを心がけたらしい。

 ある詩人の詩について、Pippoさんは「小さな贈り物」と書いている。
 いい詩を読むと「ありがたい」という気持になる。心がすこしあたたかくなる。そんな詩がいっぱいつまっている。

 しばらく読んでなかった詩集をいろいろひっぱりだした。
 部屋が散らかってしまった。

2015/12/07

居場所の話 その四

 渡辺京二の面白さを教えてくれたのは『些末事研究』の福田賢治さんだった。何年前かは忘れたが、高円寺の飲み屋でそんな話になった。『女子学生、渡辺京二に会いに行く』の刊行が二〇一一年九月だから、それよりすこし前だ。この本にはあらゆる頁から刺激を受けた。

 たとえば、こんな言葉——。

《人間という生き物は、光から影まで、要するに、闇まで、振幅が大きいわけで、その全振幅というのを全面的に肯定しながら、それぞれの居場所を作ってやるということがやっぱり大事だと思うんですね》(「自分の言葉で話すために」/『女子学生、渡辺京二に会いに行く』)

 この引用部分の前後も大事なことを語っている(ぜひ読んでほしい)。
 人間の社会は規律や道徳によって縛られている。そうした縛りがないと社会が無茶苦茶になる。

 では、そこからはみだしてしまう人はどうすればいいのか。矯正か排除か。その二択しかないのか。矯正(更生)を拒むと排除される。排除されても自業自得といわれる。
 市民社会には「このくらいの変わり者だったら許してやろう」という寛容さは存在する。しかしある一線をこえてしまうと排除や追放の憂き目にあう。
 一線をこえた本人だけでなく、擁護する人間も叩かれる。「その処分はちょっと厳しすぎるんじゃないか」という意見すらいえない雰囲気がある。

 悪を徹底して排除すれば、善だけの住みよい世の中になるのか。そんなことはありえない。

 渡辺さんは「光と闇」ではなく、「光から闇まで」という言葉をつかっている。当然、光と闇のあいだには、影の部分(グレーゾーン)がある。影の部分にはなだらかな濃淡がある。いわゆる「日陰者」といわれる人たちの多くはその部分に棲息している。「日陰者」の中には陽のあたる世界に行きたいとおもっている人もいるだろうし、ちょっと薄暗い日陰のほうが居心地がいいとおもっている人もいるだろう。闇の側に向かう人もいるだろう。

 光か闇かの二択になると「日陰者」の居場所がどんどん減ってしまう。

(……続く)

2015/12/06

居場所の話 その三

 いい日もあれば、別になんてことのない日があり、あんまりよくない日がある。
 大人になってよかったことのひとつは、あまりよくない日があっても、それがずっと続くわけではない……とおもえるようになったことだ。

 田舎にいたころ、中学がすごく荒れていた。校内で先輩に挨拶しないと殴られる。挨拶の声が小さくても殴られる。とくに理由もなく、殴られる。教室の窓ガラスがすべて割れ、後ろのほうでシンナーを吸っている生徒がいる。爆竹が投げ込まれる。校舎の屋上から自転車が降ってくる。
 教師はシンナーを吸ったり爆竹を投げたりしている生徒を見て見ぬふりして、普通の生徒を殴ったり、足で顔を蹴ったりしていた。

 今でもあれは何だったんだろうとおもう。
 とにかく今いるところから抜け出したかった。

 大人になれば、自分の意志でいやな場所から逃げられる。いつでも好きな場所に引っ越しもできるし、仕事もやめたって次の仕事を探せばいいだけだ。「自分に適した穴ぼこ」を探すだけでなく、勝手に作ることも可能である。
 ライターの仕事をはじめたころ、「好きなことばかりやっていたらだめだ」と怒られた。たしかに、好きなことばかりしていたら、食っていけなくなった。やりたいことができるようになるための我慢とただ耐えるだけのくだらない我慢がある。ただ耐えるだけの我慢は、どんなにやってもいいことはない。

 そのあたりの見極めができるようになるのに、けっこう時間がかかった。

《人は教育というものに、あまり過大な期待はもたぬがいい。つまらぬ教師につまらぬ授業を受けたから、おれの天才がのびそこなったといえる人がいたら、お目にかかりたい》(「私塾の存立」/渡辺京二著『未踏の野を過ぎて』弦書房)

 渡辺京二は“落ちこぼれ”専門の塾をやっていた。
 そこに職人の親をもつ子どもが英語を習いにきた。彼はものおぼえがわるく、学ぼうという意欲のようなものが感じられなかった。

《たまりかねて私が、おまえはそんなに勉強がきらいなら、生きてて何がたのしみなんだと問うと、川で泳いでいて、あおむけに浮かんで空を眺めるのがいちばんたのしいという。こういう子が、なぜ知識を強制されなければならないのか。英語をおぼえようとしないでも、水に浮かんで空をみつめているとき、彼の感覚は、この世界についてなにごとか学んでいるにちがいないのである》(同上)

 わたしは学校に「自分の居場所」を見つけられなかったし、就職しなかったから会社のことはほとんど知らない。
 学校や会社でなくても、いろいろなことが学べる。本や映画からも学べるし、自然からも学べる。誰かに強制されたことではなく、自分が楽しいとおもえることから何かを学ぶ。どんなことでも、掘り下げていけば、どこかで広い世界とつながる。

(……続く)

2015/12/05

夜道

 東京ローカル・ホンクの木下弦二さんのソロアルバム『natural fool』(MR-026 マインズレコード)が発売。小冊子「natural fool読本」(谷川俊太郎、覚和歌子、星野博美、荻原魚雷、川村恭子)にエッセイを書いた。

 先日、吉祥寺スターパインズカフェでアルバム発売記念ライブに行ってきた。
 いいライブを観たり、いい音楽を聴いたりしたあとは、もうそれだけいいとおもってしまう。

「ブラック里帰り」「昼休み」「夜明け前」——弦二さんの歩みが刻まれているかのようにおもえる曲だけでなく、今回のアルバムでは「夜道」が聴いているうちに好きになった。

 やさぐれた気分で夜道をうつむきがちに歩く。それでも「この道を歩くだけ」。東京ローカル・ホンクは「歩く歌」が多い。MCでも歩いているときに曲ができるとよく話している。弦二さんの作る「歩く歌」は、疲れていたり迷っていたりしても、とにかく前に進もうとする。「夜道」もそう。でも「夜道」のよれよれ歩くかんじは中年にならないと作れない。元気を出しなよという励ましもあれば、別にいつも元気でなくてもいいよという慰めもある。『natural fool』はそのバランスが絶妙だなと酔っぱらって歩いた吉祥寺の夜道でそうおもった。

2015/12/03

毛鉤と狩猟

 フライの雑誌社の新刊、牧浩之著『山と河が僕の仕事場』が届く。明け方、読みはじめ、おもしろくて眠れなくなる。

 牧さんは職業猟師+西洋毛鉤釣り職人。一九七七年神奈川県川崎市生まれ。
 大学卒業後、就職せずにバーテンダーのアルバイトをしながら釣り三昧の日々。あるとき、インターネットで自作の毛鉤を出品したら、おもいのほか高値で売れた。「どうせやるなら、中途半端なことはしたくない。」とフライ製作販売に専念する。

 海外ではプロタイヤー(毛鉤を巻いて商売している人)の毛鉤を買う人も多いが、日本では、自分でフライを巻くのが主流——しかし、牧さんは「他と同じことをやってちゃ意味がない」と海釣り用のフライの品揃えを充実させる。

《渓流に何年、何十年と通うベテランでも、きっと海は初心者だから、フライは完成品を買いたいという人がいるはず》

 その後、結婚し、妻の実家の宮崎県高原町に移住、毛鉤職人兼猟師になる。シカの毛が、毛鉤の材料として使えることを知り、猟師もやることにした。最初は猟師の道具は何を揃えたらいいのかもわからない。

 やがて釣りの経験と狩りの経験がつながる。

 好きなことを仕事にする。「自分には無理」とおもうか「どうなるかわからないけど、やれるかも」とおもうか——それが最初の分かれ道だろう。はじめはわからないことばかりでも、続けていくうちにいろいろな人と出会い、知識や技術が身についてきて、すこしずつその先の道が見えてくる。

 釣りにかぎった話ではないが、(たいていの)マニアの人は生き方が限定されている。限定されている分、選択肢が少ない。まわりからどんなに「無理」だとおもわれても、ほとんどの選択肢が「無理」なのだから、好きなことなら「無理」を承知でやるしかない。

 そんなことを考えたり、おもいだしたりした。いい本だ。

(追記)
 刊行日は十二月十五日。現在、予約受付中。

水木サンの自信

 先月末に、水木しげるが亡くなった。九十三歳、大往生。
 水木しげるの自伝漫画やエッセイが好きでよく読み返している。
 ことごとく学校を落ちたり辞めたりするエピソード(定員五十人の学校に五十一人受験し、ひとりだけ落ちたことも……)も好きなのだが、紙芝居、貸本の時代の貧乏話がいい。しょっちゅう質屋に行っている。働いても働いても、お金が出ていってしまう。

《亭主 「貸本漫画家の中には、努力しても食えずに死んでいった人が大勢いたからね。でも、水木サンは絵が好きだったから、やめようとは思わなかったね。やっぱり、『自分には才能がある!』とわかっとったんです。ワッハッハ!」
 女房 「あなたは、いつもそうやって、ずっしり、どっしり構えてますよねえ。『ついて来い』なんて言わないけど、この人についていけば大丈夫だと思えました。だから、ずいぶん救われました。雰囲気が明るかったんです。オナラの話で盛り上がったりしてね(笑)。お金はなかったですけど、惨めな気持ちには微塵もなりませんでした》

《女房 「あなたのお仕事は、自分を信じる力がないと、やっていけないですからね」
 亭主 「信じてはいたけど、最初は原稿料が安くてねえ。えらい大変だった(笑)。でも、水木サンみたいに実力ありすぎると生き残るんじゃないでしょうかねえ。ワッハッハ!」》
(おしどり夫婦特別対談/『ゲゲゲの家計簿』上・下巻、小学館より)

 一九五一年、様々な職業を経て、紙芝居作家になり、三十五歳のときに上京し、一九五八年、『ロケットマン』で貸本漫画家デビュー。一九六五年に「テレビくん」で講談社漫画賞を受賞した四十三歳くらいまで、貧乏時代が続いた。「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメ化は一九六八年、四十六歳のときだった。

 水木しげるは「常に努めて怠らぬものは必ず救われる」というゲーテの言葉を信じていた。
『ゲゲゲの家計簿』では、子どもが生まれミルク代にも事欠いていたときも、「ぼくには悲愴感などなく、生きることへの“自信”があった」と綴っている。

2015/11/29

「持続可能」ということ

 一日の大半は、古本を読んだり、酒を飲んだりしている。
 自分をとりまいている状況がもっと逼迫してきたら、今みたいな生活は送れなくなるだろう。そうならないために戦うべきなのか。
 どんな世の中になっても、のんびりぼんやりしながら、だらだら暮らしたい。そういう戦い方もあるのではないか。

 二十代前半のわたしはいわゆる「社会派」だった。仕事を干され、生活が苦しくなり、それどころではなくなった。
 当時、環境問題の分野では「持続可能性(英:sustainability)」という言葉がキーワードだった。今でもよくつかわれている言葉である。わたしは生活においても思想においても、持続できるスタンスを構築しなければならないと考えていた。

 強靭な肉体や精神力を前提とした生き方はできない。
 人間、病気もするし、年もとる。
 だから、弱っているときの自分を想定して、仕事や遊びの予定を組む。
 しかし続けることばかり考えていると、安全策ばかり選んでしまう。今まで通り、いつも通りの暮らしを維持したい。そうおもっているうちに、大きな変革を望まなくなる。

 少々嫌なことがあっても我慢する。「持続可能」な生活のためには忍耐と寛容が必須である。
 真面目に穏やかに暮らしているうちに、すこしずつだけど、仕事が長続きするようになった。
 その結果、「保守化」する。すぐ守りに入ってしまう。そういう落とし穴もある。

 そのあたりのバランスはすごくむずかしい。

2015/11/26

神保町

 今年は十一月半ばすぎてもあったかいなとおもっていたら、急に寒くなった。
 夕方、神保町。小諸そばでから揚げ二個サービス中のとろろ丼とうどんのセット、神田伯剌西爾でマンデリン。神保町に行くたびに、夏でも冬でも小諸そばのから揚げうどん(温)を注文しているのでお店の人に「今日はちがうんですね」といわれる。

 東京堂書店、『閑な読書人』(晶文社)が平積になっていた。吉上恭太著『ときには積ん読の日々』(トマソン社)と隣同士というのも嬉しい。
 今回の本はもっと早く刊行する予定……というか、当初は今年の春くらいに出すつもりで作業していたのだけど、途中で行き詰まって、この時期になってしまった。

 帰り中野駅で途中下車、薬局で葛根湯(冬の必需品)を買い、古本案内処に寄る。棚を見ていたら、声をかけられ、横を見たらトマソン社の松田友泉さんがいた。
 こんなところで会うかなとおもったが、こんなところだから会うのだろう。すこし前に岡崎武志さんも来ていたらしい(個人情報漏洩)。

 このあいだ、はじめて郵便局のレターパック(一八〇円)をつかった。厚さ二センチまでのものなら、一八〇円で送ることができる。ところが、穴の空いた定規にレターパックを通そうとすると、ギリギリひっかかる。最初は「ダメですね」といわれた。で、しかたなく、レターパック代を切手に交換してもらおうとしたら、郵便局の人「なんとかしてみましょう」と本を押しつぶすかんじで通してくれた。二センチというのは、本を送るには微妙な厚さであることがわかった。

2015/11/25

陀仙忌

 二十三日、午後一時すぎ京都駅。旅行客多い(わたしもそのひとりだが)。出町柳まで行って、古書善行堂。安西水丸『エンピツ絵描きの一人旅』(新潮社、一九九一年刊)、『私の本の読み方・探し方』(ダイヤモンド社、一九八〇年刊)を買う。
 一九七〇年代〜八〇年代のアンソロジーは見かけたら買うようにしている。
 善行堂で古書ダンデライオンひとり古本市のチラシをもらい、急遽予定(カナートでスガキヤのラーメンを食べる)を変更し、丸太町のアイタルガボンに行く。隣が誠光社(堀部篤史さんが新しくはじめる書店)で開店準備の追い込み作業中だった。

 丸太町から歩いて徳正寺。この日は「陀仙忌・辻潤遺墨と大月健の夜」。辻潤の書と愛用の尺八を見て、大月さんの京大の図書館の話、草野球と釣りの話を聞く。
 辻潤の命日は一九四四年十一月二十四日(とされている)。
 岡山から藤井豊さん、高松から福田賢治さんも来ていた。会の最初から酒。さらに打ち上げも飲み続ける。辻潤の会らしい。

 わたしは学生時代に辻潤を知った。アナキズムを入口に辻潤を読み、そこから読書が広がった。辻潤がきっかけで知り合った人も多い(扉野良人さんもそう)。

 深夜ラーメンを食べに行く。楽しい夜だった。

 翌日、メリーゴーランド京都で宇野亜喜良個展を見て、六曜社でコーヒーを飲んで、そのあと東京に帰る。
 京都滞在時間は二十四時間ピッタリ。来年は二泊三日くらいの旅行をもうすこししたい。

2015/11/21

居場所の話 その二

——渡辺京二の『無名の人生』の居場所の話の続き。
 居場所を作るにはどうするか。どんな居場所を求めているのか。そういうことをすこし考えてみたい。

 わたしが居場所をもっとも切実に求めていたのは中学・高校時代だ。田舎にいて、親もとにいて、金もない。ちょっと人とちがうことをすると、何かと文句をいわれる。だからずっと肩身がせまかった。
 今ならそれなりの居場所を作れるかもしれないが、十代のころはむずかしかった。

 そこにいると自分が「何もできない」「だめな人間だ」とおもう、おもわされるような場所がある。二十代に転々と仕事を移っていたとき、同じような仕事内容にもかかわらず、力の半分も出せないことがあった。
 未熟でいろいろな技術がなかったせいもあるが、それだけではなく、毎日怒られて、得意なことを否定され、苦手なことばかりやらされるような環境だと、そこにいるだけでつらくなる。からだも弱ってくる。

 そこにいて「自分はダメだ」とおもうか「どうにかなりそう」「なんとかなるかも」とおもえるか。その差はすごく大きい。時間と共にそのちがいから派生する影響も大きくなる。
 明らかに自分に合わない仕事や人間関係はある。共同作業より地道にこつこつ一人でやる作業のほうが向いている人もいる。
 昔のわたしは仕事ができないのに屁理屈ばかりこねているからよく怒られた。でも仕事ができなかった理由の半分くらいは、職場との相性、共同作業の適性がなかったからだとおもっている。

 渡辺京二+津田塾大学三砂ちづるゼミ著『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(文春文庫)の「はみだしものでかまわない」で、ちょっと生きにくさを抱えた人がどうするかという話が出てくる。

《僕らに開かれているのは、やはり小さいところでいいから、自分たちが生きられる場所を作っていく。教育だとか、障害者の問題とか、いろいろ出てきましたけれども、大きな制度作りということは一面では必要だとしても、一番決め手になるのは、自分自身が周りの人といっしょに、お互いに力になりあえるような、そういう生きる場所を作っていくということだと思うんですね》

(……続く)

2015/11/19

閑な読書人

 日曜日、わめぞのみちくさ市。みちくさ市連続講座「『商品と作品』のあいだ」(ゲスト:森山裕之さん(編集者・ライター) 聞き手:中野達仁さん 司会:武田俊さん)を見に行く。ミニコミ『ミエナイザッシ』から『QJ』、『マンスリーよしもとPLUS』に至るまでの編集人生を語っていた。みちくさ市ではSUGAR BABEと10ccのCDを買う。

 帰り、池袋の往来座で串田孫一の未入手だった本を買い、ブックギャラリーポポタムで高野文子作品原画展を見る。会場すごい人だかり。『黄色い本』『ドミトリーともきんす』の原画、絵本などが展示していた。

 今週二十一日に晶文社から『閑な読書人』という本が出ます。一七〇〇円+税。装丁と絵は南伸坊さん。
 過去十年分くらいの雑誌やミニコミ、メルマガに発表した文章とブログの文章——『進学レーダー』の連載「魚雷の教養」や早稲田古本村通信での「男のまんが道」、未発表の杉浦日向子の原稿も収録しています。
 集大成……といえるかどうかはさておき、そのくらいのつもりで作りました。
「1、フリーライター 2、古本の時間 3、魚雷の教養 4、男のまんが道 5、程よい怠惰」の五章。

 世の中には自分と似た読書傾向の人はいる。しかし、まったく同じ読書体験をしている人はいない。同じ本を読んでも同じ読み方をするわけではない。百人いれば百通りの読書生活がある。
 私小説を読み、詩を読み、コラムを読み、漫画を読み、家事をして、酒を飲む。もちろん、仕事もする。

 読んできた本の道をふりかえると行き当たりばったりの連続だ。たぶんこの先もそうだろう。

2015/11/09

居場所の話 その一

 時間ができたら書きたいとおもっていたことが書けずにいる。書かないと忘れてしまって、どうでもよくなる。
 一年以上前に、渡辺京二著『無名の人生』(文春新書)を読んだ。最近、読み返して、忘れていたことをおもいだした。

《いかに管理された社会、出来上がった社会であっても、みずから出かけていって自分の居場所を見つけてほしい。そこには必ず、自分に適した穴ぼこがある。そういうニッチ(生態学でいう棲息の位相)を発見し、あるいは創りだしていくことが、世の中を多様にし、面白くすることになるはずです》

 自分に適した場所はどこか。そこで何ができて何ができないか。できないことができるようになるためには何が足りないか。足りないものはどう補えばいいか。
 それを考え続けることが、「ニッチ」といわれる世界で生きることではないかと。「ニッチ」を発見し、そこに生きてきた人たちがいて、その人たちが切り開いた道がある。その道があることでもっと先の世界を目指すことができる。

 考えたことは書き残しておかないと、その続きを考えることはむずかしい。書き残しておけば、自分がたどりつけない答えを誰かが見つけてくれるかもしれない。
 なんでこんなことを書いているのだろうとしょっちゅうおもうのだが、未完成でも何でもいいから書き続けないかぎり自分自身が先に進めない。失敗を重ねながら、すこしずつ先に進む。いきなり理想にはたどりつけない。

 自分の居場所をどうやって見つけるか。そういう場所を見つけなくても生きていける人はいくらでもいる。自分に適した場所でなくても生きていけるタフな人になるという方法だってなくはない。でも、その方法がつらくてしかたがない人は自分の居場所を作るしかない。そんなことをぐるぐると考えていた。

 まだ途中だけど、この話はもうすこし続ける予定。

2015/11/04

些末事研究 vol.2

 高松在住の福田賢治さんが編集している『些末事研究』のvol.2が出ました。

特集 「地方と東京」

「ずらす」       まえがきにかえて

「東京から福岡へ」   木下弦二
「終わらないバカンス」 内田るん
「反東京音頭」     東賢次郎
「家と季節」      石神夏季
「五右衛門風呂」    福田賢治

鼎談「地方と東京」 荻原魚雷×藤井豊×福田賢治

(全58頁)

http://samatsuji.com/

 わたしは福田さん、藤井豊さんとの鼎談に参加しています。話したのは一年前。ちょうど藤井さんが新宿のベルクで個展をやっていて、福田さんは東京から高松に引っ越す直前だった。
 後半はだいぶ酔っぱらって、主語が「僕」から「オレ」になっているが、そのままにした。
 福田さんは同い年で『思想の科学』に関わっていた。わたしも大久保にあった編集部には何度か遊びに行っていたのだが、当時、福田さんとは会っていない。

 もともと頭でっかちの自分が「生活」や「日常」を意識したものを書くようになったのは、鶴見俊輔さんの影響である。
 思想をどう生活に根づかせ、自分の行動になじませるか。そういうことを考えるきっかけになった。

2015/10/30

ここ数日

 日曜日、コタツ布団を出す。十一月まではコタツ布団を出さずに乗りきりたいとおもっていたのだが、無理だった。
 長袖のヒートテックを着て、背中に貼るカイロをつける日も近い。

 ドラフトが終わり、日本シリーズがはじまる。いまだに日本シリーズの前にドラフトが行われることに慣れない。
 ヤクルトはようやく一勝。山田哲人選手の三連続ホームラン。山田選手はドラフトでは外れ外れ一位だった。
 ドラフトの結果は五年後にならないとわからない。
……と、ここまで書いて放置していたら、日本シリーズが終わった。ホークス、強かったわ。勝てそうなかんじがしなかった。

 毎年六、七人の新人が入団する。ほかにもFAや戦力外の選手を獲得するから、五年間でだいたい三十人から四十人の新戦力が加わる。支配下登録できる人数は限られているから、増えた数だけ減る。
 プロ野球の世界では五年で半分くらいの選手が入れ替わる計算になる。
 厳しい世界だけど、フリーランスの世界だって似たようなものだ。職種や業種にもよるが、やっぱり五年で半分くらい入れ替わる。

 トマソン社の新刊、吉上恭太著『ときには積ん読の日々』を読む。力の抜け具合が絶妙なエッセイ集。本と音楽、あと野球の話もおもしろい(吉上さんは野球雑誌の編集者だった)。
 文章のリズムがゆったりしている。本人と文章がぴったり重なっているというか、重なろうとしているというか、読んでいて不思議な気分になる。
 吉上さんが人前で歌うようになったころ、山川直人さんが吉上さんにいった言葉もよかった。

 山川さんの新作『一杯の珈琲から』(ビームコミックス)をすこしずつ読む日をすごしていた。至福だった。

2015/10/21

読みかけの本

 明方、足が冷える。コタツを出すかどうか迷う。洗濯、新聞雑誌の切り抜き、本の整理、掃除、プロ野球のCSを観たり、ドラフト情報や野球賭博ネタを追いかけているうちに時間がすぎてしまう。

 十九日(月)、東京堂書店で岡崎武志さんと小山力也さんのトークショー。岡崎さんは『気まぐれ古本さんぽ』(工作舎)、小山さんは『古本屋ツアー・イン・首都圏』(本の雑誌社)、『古本屋ツアー・イン・ジャパン それから』(原書房)を刊行——。

 この五年、十年のあいだに無数の古本屋が閉店し、そして開店している。
 今回刊行された三冊は、古本界を貴重な記録、ある種の考現学の本としても読めそう。
 この日、古本の魔道(修羅)の世界に魅入られた人の話を聞いて、他人事ではないところもなきにしもあらずだったが、あらためて、古本屋通いに精を出そうと心に決めた。

 加藤典洋著『戦後入門』(ちくま新書)を読みはじめたのだが、注釈いれると六百頁超。まだ読み終えるのに時間がかかりそう。

 あとビル・ブライソンの『アメリカを変えた夏 1927年』(伊藤真訳、白水社)の刊行を知る。こちらも注釈込みで六百頁超の大著だが、ビル・ブライソンの本は読まないわけにはいかない。

 新刊と古本の読書バランスをどうするか思案中。

2015/10/07

ポポタム10周年記念ロックフェス

東京・目白のブックギャラリーポポタムが二〇一五年四月に開店十周年を迎えたことを記念し、音楽と飲食を楽しむロックフェスを開催——。


出演アーテストは、ポポタムズ、BOEES、HERNIA15、柴田聡子、松本素生、ジョニー大蔵大臣。
(わたしはポポタムズとして参加します)

2015年11月1日(日)
会場 桜台pool(西武池袋線から徒歩一分)
練馬区桜台1-7-7 シルバービルB2F
14:30 open
15:00 start

●前売りチケット ¥2200円(税込)
※入場時に1ドリンクオーダー(時間内出入り自由)

●ポポタム10周年記念ロックフェス・山本精一画Tシャツ付き前売チケット
¥4460(税込)


詳しくは、
http://popofes.tumblr.com/

2015/10/03

歓喜の夜

 十月二日、神宮球場外野自由席(ライト側)でヤクルト阪神戦を観る。
 マジック1。勝てば(引き分けでも)ヤクルトの優勝。
 午前九時「チケットとれないかな」とパソコンを起動していたところ、フリーの編集者の塚田さんから「二枚とれました」と電話があった。

 午後五時前に球場入りするもライト側はほぼ満席。優勝が決まるか決まらないかの試合を観るのははじめてだ。
 ヤクルトは二年連続最下位だったし、「今年はCS争いができたらいい」とおもっていた。九月に首位になって以降も、ほとんど楽な試合はなかった。今年は僅差で勝ったり負けたりの試合が多かった。

 二日の試合も一対一で延長戦、十一回の裏、二アウト一塁三塁で雄平選手の打球が内野を抜けた瞬間、大歓声が巻き起こった。
 もしこの試合、負けていたらペナントの行方はどうなったかわからない。残り試合はかなり厳しかっただろう。この一ヶ月くらい、二〇一一年の終盤、中日に追い抜かれたときのことが何度も頭をよぎっていた(あの年はショックで体調を崩した)。
 優勝が決まった瞬間は「この先、これ以上の試合は観れないかも」という気持になった。もしかしたら自分の野球人生(正確にはヤクルトファン人生ですが)のピークかもしれない。

 一九七八年にヤクルトは初優勝、一九九二年に二度目の優勝するまで十四年かかっている。わたしがヤクルトのファンになったのは、幼稚園がつばめ組(年中)だったという理由なのだが、三重にいたころはヤクルトファンが少なくて(たいてい学年でひとり)、しかも最下位の常連だったから、野球好きの友人にはよくバカにされていた。

 ここ数年、野球のファンって何だろうと自問自答している。応援したからといって、何がどうなるわけでもない。試合だけでなく、ドラフトから引退、引退後まで選手の生活まで考え続けている時間はいったい何なのかと……。

 でもそんなことはどうでもよくなった。 

 雄平選手のサヨナラのあと、優勝セレモニーとビールかけも球場で行われ、最後まで観る。この光景を目に焼き付けておこうとおもった。何かつらいことがあったときにおもいだせるように。

 家に着いたのは深夜一時ちょっと前。それからペリカン時代で飲んだ。

2015/10/02

雑記

 火曜日、阿佐ケ谷。フライの雑誌の堀内さんと金魚釣り。前回一匹だったけど、今回は三匹釣れた。すこし成長している(四十代以降、上達の喜びが味わえるのは嬉しいものだ)。そのあと古本屋をまわって、堀内さんおすすめの中杉通り沿いの喫茶店に行く。うまかった。散歩がてらにまた寄りたい。
 そのあと飲み屋二軒ハシゴする。堀内さんは釣り以外の話もおもしろい。文学の話をしていても「いわれてみれば」と頷いてしまう。矢口高雄の入手難の作品が電子化されていることも教えてもらった。

 紀伊國屋書店『scripta』の連載(中年の本棚)は「『家族八景』と『中年の未来学』」というエッセイを書いた。

 WEB本の雑誌の「日常学事始」も更新——。

 山田風太郎のエッセイで、ラジオでプロ野球を視聴中、自分が応援している球団が守備の時間はスイッチを切るという話があった。

 その気持はよくわかる。一点差でリードの終盤、相手チームの先頭バッターが塁に出る。ノーアウト一、二塁。一打同点、長打なら逆転。痺れる場面だ。頼む、抑えてくれ。居ても立ってもいられない。
 拭き掃除をはじめたり、食器を洗ったりする。

 ペナントレースも残り数試合、落ち着かない日々が続く。

2015/09/23

連休中

 日曜日、わめぞのみちくさ市。目白駅から歩いて、雑司が谷へ。けっこう近い。

 ハニカミわめぞ賞ズの箱に、水木しげるのエッセイがあって嬉しくなる。『水木しげるの幸福論』の「幸福の七カ条」は、しょっちゅう読み返している。

 この日、午前中から取材を受けていたのだけど、古本(や読書)のスランプについて質問された。

 おもうように本が買えない時期、読めない時期というか周期はある。ひとりの作家、あるいはひとつのジャンルを追いかけていると、最初のうちは次々と未読の本を読破していく快楽があるが、しばらくすると、入手難の本ばかりになってきて、そこで勢いが止まってしまう。

 そうなると、別の作家、別のジャンルに移行して、また未読の本を読みあさる。そんなことをくりかえしているうちに、部屋が本だらけになって、新しい本を買うたびに、どの本を売るか悩むようになる。
 スランプというか、読書の停滞期に陥るパターンはだいたいそんなかんじだ。

 だから、気持よく本を買える状態を作ることが大事なのだが、それがむずかしい。

 この日の夜はペリカン時代で杉野清隆さんのライブ。素晴らしいの一言。音も最高だった。飲みすぎた。

 あとはずっと仕事しながら、ラジオでプロ野球を聴いたり、ネットでひいきの球団と対戦相手の情報を追いかけたりしてすごす。仕事が終わらず、心労がつのる。

 疲れたら、『フライの雑誌』の最新刊をパラパラ読む。まさか釣り雑誌を読むことがもっとも心の安らぎになる日が来るとは……。
 この号の特集は「身近で深い オイカワ/カワムツのフライフィッシング」。オイカワはヤマベとかハエとか呼ばれる川魚。わたしの父はシラハヤ(シラハエ)と呼んでいた。子どものころ、近くの川でいちばん釣っていたのはシラハヤだったことをおもいだした。

2015/09/18

京都と三重

 日曜日、昼すぎの新幹線で京都へ。車内で山田風太郎の『秀吉はいつ知ったか』(ちくま文庫)を読む。
 ひさしぶりに六曜社でコーヒーを飲み、丸太町まで歩いてヨゾラ舎に行く。古本とレコード、CDが充実。ヨゾラ舎は東賢次郎さんに教えてもらった。それから出町柳まで歩いて、レンタサイクルで古書善行堂、ホホホ座をまわる。そのあとカナートのフードコートで寿がきやのラーメン(わざわざ京都で食べなくても……)。

 夜、五条麩屋町のcafeすずなりで東さん、扉野さんと待ち合わせ。『浮田要三の仕事』(りいぶる・とふん)の制作にかかわっていたという門戸さんと飲む。酒も料理もうまかった。来月、オグラさんのライブもあるとのこと。なんとなく高円寺にいるような気になる。

 翌日は三重に行く。約二年ぶり。親も年をとってきたので、ときどき帰って様子を見ておきたい。
 自分にはとくに郷愁のようなものはないつもりだったが、近鉄愛は強い。近鉄沿線の名張から津にかけての景色を見ていると、やっぱりいいな、と。
 京都からだと高速バスのほうが、早くて安いのだが、だいたい近鉄の特急に乗っている。白子駅で急行に乗り換え、伊勢若松で乗り換えて——郷里の町へ。

 駅前の居酒屋はなくなってた。とりあえず鈴鹿ハンターに行って、ゑびす屋のうどんを食う(メニューが変わり、味もすこし変わったか?)。靴下その他の衣類、田舎あられ、コーミソースなどを買う。
 あと県道沿いの白揚が一時閉店中だった。

 秋花粉がまったく治っていなかった。東京では、ブタクサが減ってかなり楽になっていたのだが、鈴鹿に着いたとたん、目がかゆくなる。

 家では親戚の近況を聞いたり、親の老後のことを話し合ったりする。母に三回くらい「太ったな」といわれる。

 翌日、午前中に家を出て東京に帰る(花粉症さえなければ、四日市あたりで途中下車してから帰る予定だったのだが)。

 二泊三日くらいの旅行をもうすこしできるようになりたい。

2015/09/12

忘れ物

 ひさしぶりの晴れ。神保町を散歩。神田伯剌西爾でコーヒー、小諸そばでから揚げうどん。野球の本と昔の選手名鑑などを買う。夜、飲む。酒、弱くなったかも。

 都内で震度五弱の地震。杉並は四くらいか。床に積んでいた本が崩れる。

 生活の立て直し——も大事だが、たとえば、五年後、今の調子で仕事を続けることができるかと考えると不安がある。

 昔、どこかでプロ野球のピッチャーの決め球には寿命があるという話を読んだ。
 相手もプロだから、当然、何年も同じ球では通用しない。また決め球の威力も二、三年で落ちてくる。

 三割打っていた野手が、翌年二割五分くらいになることがある。弱点を研究されて、そこを攻められているうちに、自分本来の打撃が崩れてしまう。

 スポーツにかぎった話ではないが、現状維持はむずかしい。何かしらの改良を重ね続けないかぎり、現状は維持できないと考えたほうがいい。

 本を読んでいて、お茶を飲もうかと台所に立つ。そのとき、無造作に読みかけの本をどこかに置いてしまう。そのあと続きを読もうとすると、本が行方不明になる。最近、そういうことが続いた。
 部屋から一歩も出ていないし、自分が動いた場所は限られている。だからすぐ見つかるはずなのに、探してもどこにもない。

 以前、古本好きの知り合いが、買ったばかりの本を電車に忘れたという話を聞いたとき、自分にはそんなことは起こらないとおもっていた。今のところ、電車に忘れたことはない。しかし、この先、いつかそういうこともあると覚悟している。

 電車に忘れたことはないが、コンビニに本を忘れたことはある。つい昨日ことだ。
 レジでお金を払うとき、レジの前の小さな出っぱりに本を置いた。商品を受け取り、お釣りを財布にしまう。
 そして、そのまま帰ってしばらくして、本がないことに気づいた。まさか、コンビニに忘れるとはおもわないから、家中、探した。でも見つからない。
 翌日、ダメ元で昨日帰りに寄ったコンビニに行ってみたら、レジの後ろにブックカバーのかかった本がある。
「すみません、本……」
「これですか」
 あってよかった。昨日神保町で買った豊田泰光著『チェンジアップ』(三笠書房、二〇〇〇年刊)だ。もし見つからなかったら、インターネットの古本屋で買い直すかどうか迷っていた。

 たぶん脳の配線がちょっとおかしくなっている。

2015/09/10

何のために

 雨続き、日課の散歩も抑え気味。頭が重く、からだも怠い。一日中、眠い。台風のニュースを見ながら、漫画を読む。

 わたしの考え方、生き方には、ある種の個人主義が根づいている。昔から人と歩調を合わせるのが苦手だった。自分さえよければいいとはいわないが、「まずは自分」を大事にしなくてはと考えてしまう。
 世のため、人のためといっても、自分が病気で寝込んでいたら、それどころではない。

 それでも災害のニュースを見ていると、個人主義の脆さを痛感する。
 安全と健康という土台がなければ、個人主義は通用しない。個人主義を成立させるインフラがあって、はじめてひとりで暮らしていくことができる。

 インフラがあっても、年をとり、体力気力が衰えたら、個人主義なんてこともいってられなくなる。自力でどうにかできることには限界がある。

 以前は、なるべくそういうことは考えずにすませてきた。四十代半ばにもなると、自分の衰えに向き合わざるをえない。

 人生観や社会観も変わってくる。ここ数年、大きな変化を求めなくなっている。小さな改善や修正で乗り切れるのであればそうしたい。
 気がつくと、安定志向、保身に自分が絡めとられている。

 二十代のころは、ひまな時間を休息にあてるという発想がなかった。寝る間も惜しいくらい遊びたかった。

 今は部屋でゴロゴロしていたい。

 そういう生活を見直したい。

2015/08/31

八月の終わり

 一昨日昨日と高円寺は阿波踊りで人がいっぱい。午前中から太鼓と笛の音が響いて、早起き。土曜日、神保町に行くが、帰りは高円寺駅から出られないとおもい、中野で下りて、歩いて帰る。

 西荻ブックマーク、夏葉社の島田さんとのトーク無事(?)終了。島田さん、話がおもしろくて助かる。一冊一冊、自分の作りたい本を作ってきて、でもそれだと会社としてはたいへんで、これからどうしたらいいのか……という人生相談みたいな話から、スポーツの話(島田さんはサッカー、わたしは野球好き)になる。話はバラバラだったような気がする。

 自分のやりたいこと、好きなことをやるためには、そうでないことも多少はやらないといけない、というか、やらないと食べていけないところがあって、そのバランスをどうするかというのは、わたしにとっても悩みの種だ。いまだにどうしたらいいのかわからない。

 この先、食べていけるかどうかという不安は、出版にかぎった話ではない。小さな出版社も零細フリーランスも、人と同じことをやっていてはダメだ、というところは共通している。どう同じことをしないか、ズレていくかというのは、むずかしい問題で、ズレすぎてしまうと誰にも伝わらなくなる。
 新しいものではなく、古いものでも、その時代時代に合った古さがある。

 対談のあと、いろいろ考えたいことが増えた。

2015/08/30

いつも通り

 涼しくなってきて、二日連続で十時間くらい寝る。本読んで仕事して酒飲んで、同じことをくりかえしの日々をぼやいていたこともあるが、いつも通りの生活を送れるのはわるくない。

 疲れがたまってくると、いつも通りのことができなくなる。何もできず、だらだらと寝てばかり。病人みたいな日々をすごしていると、自分が当たり前におもっていたマンネリ生活すら、けっこう体力がいることに気づく。

 好きな珈琲や酒だって、健康でないとまずい。本を読んでいても、目が疲れてくる。ラジオのプロ野球中継を聴いているだけで、心を消耗してしまうのは、ペナントレースも終盤になって、一戦一戦の重みが増したからだろう。ひいきの球団が、勝とうが負けようが自分の人生には何の関係ない——とおもうこともあるが、ファンの心理はそれほど単純ではない。

 いつも通りの力を出す。それがスポーツの世界では、すごくむずかしいことだ。それができることが、長く一軍で活躍できる条件といってもいい。

 もうすこし気力が回復したら、この続きを書きたい。

2015/08/17

西荻ブックマーク

第87回 西荻ブックマーク「古本と詩と出版と 荻原魚雷・島田潤一郎トークイベント」

【日時】2015年8月30日(日)
開場16:30/開演17:00
【料金】 1,500円 要予約
【会場】 ビリヤード山崎
東京都杉並区西荻北3丁目19−6
http://yamazakibilliard.nighttalker.net/

【出演】荻原魚雷・島田潤一郎

[イベント概要]
この6月に新刊『書生の処世』(本の雑誌社)を刊行。アメリカンコラムに私小説、ノンフィクションからマンガまで、さまざまな本が登場する同書には楽しく暮らすヒントをもとめて読書する日々が綴られています。

今回のブックマークはこの4年ぶりの著書刊行を記念して、魚雷さんに登場していただきます。お相手は夏葉社・島田潤一郎さん。同時期に夏葉社で復刊された詩集『小さなユリと』(黒田三郎)には魚雷さんの解説も収録されています。
意外にも、公の場でのトークは初となるおふたり。2015年の出版と本の世界をめぐって、リラックスしつつも充実したお話が聞けそうです。ぜひおいでください!

西荻ブックマークHP
http://nishiogi-bookmark.org/

2015/08/10

原民喜

 ひさしぶりに午前中に目がさめる。仕事の原稿が行き詰まっている。
 高校野球を観て、西部古書会館に行く。文庫、文学展のパンフ、随筆集など。

 仕事のあいま、原民喜著『幼年画』(サウダージ・ブックス)を読む。解説は蟲文庫さん。一九三五年から一九四一年にかけて書かれた初期の短篇、一九四八年の「朝の礫」などが収録されている。

 戦後何年、原爆といった先入観なしに読む。好奇心旺盛な少年の目で日常生活が綴られている。本人自身、ずっと子どもみたいな人だったそうだ。
 文章は軽やかで一九三〇年代に書かれたとはおもえない。

 年譜を見ると、原民喜は二十歳でスティルナーや辻潤を読み、ダダイズムに興味を持ち、その後、左翼運動に傾倒する。「昼寝て夜起きるという生活の中で読書や創作に専念」していた。家は裕福だったが、たぶん生活能力はあまりなかった。

 先月、岩波文庫から『原民喜全詩集』も刊行された。
 詩も素晴らしい。

2015/08/05

猛暑日

 昨日、五日連続の猛暑日。観測史上初の記録とのこと。たぶん今日も。いつまで続くのだろう。

 毎日、熱中症のニュースが流れている。熱中症の予防のために水分補給を呼びかけている。しかし水分を取り過ぎると、からだがだるくなる。その適量の見極めがむずかしい。
 
 冬のあいだは、ひたすら体調を崩さないことを優先する生活を送っている。夏もそうしたほうがいいのかもしれない。もうすこし体力がほしい。

 体力温存と気力回復のために横になっているうちに眠くなる。朝寝(わたしのいつもの睡眠)、昼寝、夕寝と一日三回くらい寝てしまう。

 さすがにこれだけ暑いと食欲も減退する。蕎麦、素麺など、さっぱりしたものばかり食べてしまう。

 夕方、買い物。ひさしぶりに牛肉を買う。

 昔は辛いものが苦手だった。年々、すこしずつ克服し、汁ものを作り、とうがらし入りの酢を入れる。
 しょうがやにんにくもよく使う。困ったら、しょうが。疲れたら、にんにく。はじめのうちは「からだのために」とおもっていたのだが、食べて続けているうちに、好きになった。

 塩こしょうとオリーブオイルとにんにくという組み合わせはかなり好きな味だ。この味付けで、牛肉、ほうれんそう、しめじなどを炒める。麺を足せば、そのままスパゲティになる。

2015/07/27

休みがちの日々

 今年は秋花粉、けっこうひどいかも。漢方でどうにか症状はおさえつつ、月末の仕事をのりきる。中島らもは月四十三本エッセイを書いていたという話を読んだことがあるが、ちょっと考えられない。執筆量だけでなく、それだけ仕事があることも。

 自分のペースでできることをやるしかない。疲れをためないこと。
 夕方、散歩。毎日三十分は歩くことにしている。

 すこし時間ができたので、漫画を読む。

 佐々大河『ふしぎの国のバード』(現在一巻まで、ビームコミックス)は、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』の漫画化。バードが日本に来たのは一八七八年、四十六歳のときだが、漫画だと、ちょっと(かなり?)若いかんじで描かれている。一巻では横浜から日光まで。これは完結まで追いかけることになりそう。

 あと岩本ナオ『雨無村役場産業課兼観光係』(全三巻、フラワーコミックスα)も読んだ。二〇〇八年に刊行された漫画なのだが、この作品のことは知らなかった。
 主人公は、東京の大学を出て、生まれ故郷の村役場に就職。郷里は「山岡県」となっているが、岡山だろう。のどかさと息苦しさがまざりあったかんじが絶妙に描かれている。

2015/07/21

酷暑の日々

 連日、最高気温三十五度、室温もずっと三十度以上、さすがにしんどい。ノートパソコンがすぐ熱くなる。すごくくしゃみが出る。花粉症の薬(漢方)が効いたのだが、薬を飲んで四、五時間経つと、またくしゃみが止まらなくなるかんじは、完全に秋の花粉症っぽい。たぶん、そう。

 日曜日、昼、荻窪。古本屋をまわって、タウンセブンで食材などを買う。夜は下北沢のモナレコードで中村まり、パイレーツ・カヌーのライブを見に行く。超満員。いい音を浴びまくって、元気になる。今、パイレーツ・カヌーは、アメリカと京都の遠距離バンドになっている。

 ライブのあと、Bar森でちょっとだけ飲む。

 昨日、今日と仕事部屋の本の入れ替え。汗だくになる。

 すこし前に飲み屋で、オ−トバイの話になって、あだち充は『750ライダー』の石井いさみのアシスタントだったという蘊蓄を披露するも、だんだん自信がなくなってきて、勘違いだったらどうしようと焦る。さっきウィキペディアで調べたら、いちおうそれらしい記述があって、一安心。ここ数年、おもいこみ勘違い蘊蓄を語って、恥をかくことが多い。気をつけたい。

2015/07/14

香川で

 十二日(日)、朝から神戸に行って、三宮からジャンボフェリーで高松へ(だいたい四時間半)。二時間くらい寝て、うどんを食って、船内うろうろして、テレビで野球を観ているうちに高松港に到着——。

 高円寺界隈の飲み友だちの福田賢治さんが、香川に引っ越して(といっても、しょっちゅう高円寺に来て飲んでいるのだが)、「近所に温泉がある」というので遊びにいった。港まで車で迎えに来てもらい、讃州堂書店に行って、へちま文庫、仏生山温泉、四国食べる商店(酒場)などを案内してもらう。
 前に、仏生山界隈におもしろい店がいろいろできていると聞いていたのだが、想像以上だった。そのあと福田家で飲む。次々とごちそうが出てくる。

 朝六時くらいに目がさめてしまったので近所を散歩する。地図を作りながら(曲り角に目印をつけるだけ)、仏生山公園に行く。そのあと福田一家とカフェ・アジールで朝ごはん。船で豊島(「てしま」と読む)に行く。電動アシスト自転車を借りて、美術館に寄って、途中、ビールを飲んだりして、島を一周(したのかどうかわからない)。ここ数年、瀬戸内海の島に行くのは念願だった。

 再び、高松に戻ってBOOK MARUTEに行く。それから瓦町界隈で飲んで(名前は伏せるが、うまくて安い店だった)、また仏生山温泉に入って、さらに家飲み。近所に温泉がある暮らしというのは夢のようだわ。

 今日、高松空港からジェットスターで東京に帰る(東京−高松で五千円くらい)。
 機内に持ち込める荷物は七キロまでなのだが、重さ測ったら八キロ弱。わずか一キロ差で荷物代が+二千円くらいかかるというので、一キロ減らそうと、みやげの調味料(醤油など)か古本を置いていくかどうか悩んでいたら、「ポケットに入れば大丈夫」といわれ、鞄の中の重そうなものを約一キロ分、ズボンとシャツのポケットに無理矢理入れて、どうにかクリアーした。今後、格安飛行機で帰るときは古本を買いすぎないよう気をつけたい(もしくは本は宅配便で東京に送る)。

 成田からバスで東京駅。八重洲地下街でコーヒーを飲んで、日本橋から東西線で高円寺帰る。京都も高松も猛暑だったが、あまり疲れていない。高松滞在中、至れり尽くせりだったからか。

 楽しすぎて、これから仕事に気持を切り替えるのがちょっとしんどい。

京都で

 十一日(土)、sumusトークショーのため、京都へ。出町柳まで出て、古書善行堂、ホホホ座、メリーゴーランドをまわって会場の徳正寺に。

 わたしが『sumus』の同人になったのは三号、二〇〇〇年の春から。三十歳のときだ。岡崎武志さんから『sumus』の創刊号と二号はもらっていて、「この雑誌で自分は何をすればいいのか」とすごく悩んだ。
 同人はみな読書家、さらに怖い読者がついている——。いっぽう、わたしは半失業中で、アルバイトをしながら、古本やレコードを売って、どうにか食いつないでいる身だった。しかしそういう境遇だからこそ書けるものがあるはずだと……。

 同人になって、メンバーの中で自分のできることを探したことは得難い経験だったとおもっている。
 それから依頼された仕事をこなすだけでなく、どこかで自分の書きたいものを書いていかないとダメだとおもうようになった。もちろん、自分のやりたいことだけやろうとしても、なかなかうまくいかない。たぶん、それだけでは食っていけない。
 趣味と仕事の比率みたいなものがあるとすれば、すこしずつ自分の好きなことの比率を上げていくこと。もっとも「無理かな」とおもうような仕事でもやってみたら、けっこう楽しかったということもある。

……というようなことは、トークショーでは喋っていない。暑くてちょっとぼーっとしていた。

 この十年くらいのあいだに、南陀楼綾繁さんは一箱古本市をはじめたり、山本さんは古本屋になったり、いろいろ変化があった。わたしも参加していなかったら、今、本にかんする文章を書いていたかどうかわからない。

 二次会のち、岡崎武志さんが忘れたシャツを届けにディラン・セカンドに行く。そのあと扉野さんともう一軒、楽しくなって飲みすぎる。

2015/07/08

ここ数日

 日曜日、阿佐ケ谷よるのひるねで世田谷ピンポンズのライブ。新しい曲、歌いこまれているかんじだった。大学時代に作ったという曲もよかった。喋っているときと歌う声がぜんぜんちがう。やっぱり、生で観るとおもしろい。

 月曜日、コクテイルで世田谷さんと飲む(この日、別件で午後五時から飲んでいた)。ペリカン時代でハシゴ酒、翌日午前三時まで。もしかしたら、余計なことをいったかもしれないが、軽く受け流してもらたい。

 火曜日、七夕。赤旗の書評、『本の雑誌』の連載、sumusトークライブのときに出品する古本の値付けなどをした後、また飲む。プレゼントは西部古書会館で買った本ではない何か。

 このところ、ずっと飲むか仕事するかの二択の日々だ。単行本を作っているあいだは、(ずっと神経がひりひりしたかんじで)余裕がなく、なるべく人と会う約束その他をしないようにしていた。あちこちに不義理を重ねた。同業者の中には、いつでも変わらず、気さくな人もいる。慣れもあるのかもしれないが、慣れるほど本を出していない身としては、この件に関しては改善される見通しが立っていない。

2015/07/04

借金でも首位

 昨日勝率五割だったヤクルトと阪神が負け、セ・リーグ全球団が借金に。もちろん、プロ野球史上初のことである。一位から五位までのゲーム差が〇・五しかない(これも前代未聞の珍事)。首位と最下位の差も四ゲーム。まだまだわからない。

 交流戦でセ・リーグの球団がパ・リーグの球団に大きく負け越し、リーグの借金は十七。しかし、まさか、全球団借金が実現するとはおもわなかった。インターネット上では「セ界恐慌」「ギリシャリーグ」なんて言葉も生まれている。

 来週は京都行き。それまでに仕事を片づけたい。しかし野球が気になって……。

 いろいろ読みたい本もある。
 時間がほしい。

2015/06/30

もたない男と買わない男

 中崎タツヤ著『もたない男』が新潮文庫にはいったので再読する(この本のことは『書生の処世』でもとりあげています)。

 とにかくモノを捨てる。捨てすぎる。仕事場の写真を見ると、引っ越し前か後とおもうくらいガランとしている。
 しかも捨てるのと同じくらい買い物も好き。すぐに捨てたくなることがわかっているのに買ってしまう。いろいろ矛盾している。自分の原稿まで捨ててしまう(原稿をとりこんだパソコンも)。そこまでいくと怖い。その怖さもこの本のおもしろさである。

《捨てる、捨てないは、不安と自由に関わる問題です。
 ものを捨てれば、ものに縛られず、制約が少なくなって自由になりますが、どこか不安になるところがある。
 一方、もっていれば安心はするけど、ものに縛られる》

 わたしも常々この問題について考えている。モノは何もしないと際限なく増えていく。とくに本が増える。だから、どこかで歯止めをかけたい。
 ある時期から本棚からあふれた分は売って、読みたくなったら買い直すという方式に切り替えた。衣類も一着買ったら一着捨てる。食器もそう。ほどよい量をキープしたい。

 しかし「捨て欲」に火がつくと、後先考えずにモノを捨てたくなる。ゴミの日の前日、捨てられるものはないか部屋中を探しまわることもある。

 昨年、文庫化された鈴木孝夫著『人にはどれだけの物が必要か ミニマム生活のすすめ』(新潮文庫)は、新しい物をほとんど買わない(貰うか拾う)生活、そしてその思想を綴った本。単行本は一九九四年、二十年以上前に出ている。

《世界の「経済のパイ」を大きくするのではない。資源エネルギー、そして環境の許容度はもうこれ以上大きくは出来ない。途上国の生活水準を上げるためには、先進国が更なる経済発展を遂げ、そのスピルオーバー・エフェクト(余剰波及効果)に期待するしかないという、一部経済学者たちの考えは、地球というパイの有限性についての認識が全く欠如していると言わざるを得ない》

《大切なことは、私一人だけがやっても意味がないとか、たった一人の力で世の中の大きな流れを変えることなど出来はしないなどと、消極的にならないことだ。現在の社会が全体として向かっている方向、社会が毎日生み出している環境汚染や資源の浪費は、結局のところ私一人ぐらいがと思う極く普通の人が集まって作り出していることを忘れてはいけない》

 なるべく物を持ちたくない。古い物を大切につかいたい。
 その気持はわたしにもあるし、そうおもっている人は増えているような気がする。

 この考え方が、世の中の主流とまではいかなくても、一定の勢力になったとき、社会はどうなるのか……ということに今、興味がある。

2015/06/28

スムースまつり

 来月、スムースまつりが開催されます。スムース詩集をつくるということでわたしも書いた。たぶん「詩」になっていない。
 わたしが『sumus』に参加したのは二〇〇〇年の春、三号から。高円寺の「テル」(もうない)という飲み屋の常連だった岡崎武志さんに誘われた。最初は尾崎一雄の話を書いた。三十歳。アパートの立ち退き。ライターを続けるか、関西に行って、もういちど風呂なしアパートからやりなおすかどうかで悩んでいた。結局、高円寺に留まることにしたわけだが、京都に遊びに行ったとき、「こっちはもっと食えんで」という林哲夫さんの一言は大きかったかもしれない。
 もう十五年前か。前回、ブックマーク名古屋のスムースの会のときは、ほとんど喋れなかったので今回は前回の倍くらいは喋りたい。

7月11日(土) 16時〜徳正寺でsumus再結成トークライブを開催。林哲夫、岡崎武志、山本善行、生田誠、南陀楼綾繁、荻原魚雷、扉野良人の7人のメンバーが勢揃い。入場料1500円(おみやげ付)。定員七〇名(予約の方優先、ご予約はメリーゴーランド京都 mgr-kyoto@globe.ocn.ne.jp まで)。

7月11日(土)〜22日(水)まで、メリーゴーランド京都で林哲夫さんの個展が催されます。

詳しくは「ぶろぐ・とふん」にて。
http://d.hatena.ne.jp/tobiranorabbit/20150625

2015/06/24

『書生の処世』のこと

 新刊『書生の処世』(本の雑誌社)が出ました。『本の雑誌』の連載「活字に溺れる者」をまとめた本です。雑誌連載時は見開き二頁、単行本は四頁——『本の雑誌』二〇一一年一月号から二〇一四年十二月まで掲載された順番に並んでいます。担当編集者は『活字と自活』の宮里潤さん、デザインは戸塚泰雄(nu)さん、イラストは堀節子さんです。

 あいかわらず、本の話と身辺雑記なのですが、今回はこれまでの本よりも新刊本を多くとりあげています。書き下ろしのコラムも四本入っています。

 十代、二十代のころみたいに一冊の本を読んで自分の考え方が大きく変わる……というようなことは減った。『書生の処世』は、何もする気がしなくて、部屋でごろごろしながら、読んだ本の話が多い。でも三十代以降、暇つぶし、気休めの読書というものも奥が深いとおもうようになった。調子があまりよくないときに気楽にパラパラ読める本には、ずいぶん助けられてきた。『書生の処世』も誰かにとってのそういう本になってほしいとおもっています。

《まず、起きてすぐ流し台に行って給湯器の熱いお湯で両手の親指と人さし指のあいだをもみながら洗う。そうすると、からだがあたたまってきて、目がさめると教えてもらった》(トップストリートの病)

《金とひまの問題をずっと考え続けている。あまりにもそのことを考えすぎて、働いたり遊んだりする時間がなくなることもある》(ワーク・ライフ・アンバランス)

《我を忘れるくらい夢中になってはじめて面白さが味わえることはわかっていても、なかなかそういう状態にならない》(好奇心の持続について)

《何かをはじめたばかりのころは、やればやるほど、新しい技術が身についたり、記録が伸びたりする。ところが、半年か一年くらい経つと、練習や勉強の時間に比例して、上達の手ごたえをかんじることができなくなる。
 心理学用語では、そうした停滞期のことをプラトー現象(高原現象)という》(プラトーの本棚) 

 書き下ろしのコラムでは「ゼロからプラスではなく、マイナスからゼロへ。それがこの本のテーマのひとつではなかろうかと今、気づいた」と書いています。連載中は毎回読み切りのつもりで書いていたのですが、一冊にまとめることで見えてくるものがあります。自分で読み返していても新たな発見がいくつかありました。

 たぶん仕事で大成功したいとおもっている人には役に立つ本ではないなと……。

2015/06/18

世界の名画展

……髙瀬きぼりおさんから展覧会の案内が届く。きぼりおさんとは高円寺の飲み屋で知り合った。いつも話がおもしろい。陽気だけど、頑固。絵以外にも鞄とか財布とか木の箱の何かよくわからないものとかを作っているアーティスト。

キボリコキボリオの
【世界の名画展】
2015年6月20日〜28日(月・火は休み)

会場:ギャラリーみずのそら(〒167-0042 東京都杉並区 西荻北5丁目25−2)
http://www.mizunosora.com/

時間:12:00-19:00 (月・火は休み 最終日は17:00まで)
ギャラリーみずのそらを美術館にみたて、キボリコキボリオのふたりが模写した世界の名画を展示します。ピカソのゲルニカなら右と左から、フェルメールの真珠の 耳飾りの少女なら上と下から、といった具合にふたりが同時に画用紙へ描き進めるというスタイルで模写される名画。画材はほとんどクレヨン。とある19世紀 名画では金色の絵の具や金紙も。

巡回展
2015年7月2日〜21日
GLAN FABRIQUE ギャラリー(大阪府茨木市)

キボリコキボリオというのは画家の髙瀬きぼりおと、グラフィックデザイナーの島谷美紗子によるふたりユニット(ちなみに夫婦)。雑貨制作やレコードレーベル活動も。
http://kiborikokiborio.blogspot.jp/

2015/06/16

交流戦

 月曜日、雨天中止の振り替え試合、東京ヤクルト、千葉ロッテ戦を観に神宮球場に行く。
 ひさしぶりに内野自由席。いつもより安い。
 レフトスタンドのロッテファンの応援がすごかった。ずっと大合唱。ずっと跳ねている。ララララ〜角中。バモス、クルーズ、オオオオ、なんとかビクトリ、なんとかクルーズ。おもわず、一塁側にいるのに歌いそうになってしまった。あの応援は、守備側のチームにも多少影響を与えるのではないか。打球音がほとんど聞こえない。

 三回おきにジャック・ダニエルのジンジャーエール割り(内野一塁側の売店にしかない)をひたすら飲む。試合はロッテ勝ち。ヤクルトは交流戦負け越し。ただ、テレビやラジオではなく、球場で観ると負けても不思議と悔しくない。
 チャンスでひいきのチームの選手が三振しても、「あれは打てんわ。球、見えんもん」とおもってしまう。守備練習のときなら捕れそうな球を外野手が捕れず、三塁打になって、それが決勝点……。でも球場で観ると「いや、捕れそうなところまで追いついただけでもすごいわ」とおもってしまう(捕ってほしかったけど)。
 采配は結果論とはいえ、五回途中、一点リードの場面で先発の古野正人投手を変えたときは嫌な予感がした。五回までは古野が投げて、六回、秋吉、七回、ロマン、八回、オンドルセク、九回、バーネットの継投だったら、どうなっていたか。それでも負けていたかもしれないが、まだ納得がいった。

 帰りはすこし歩きたい気分だったので千駄ケ谷まで歩いた。

 今日は夕方から歯科医院に行った。麻酔をしたので、まだ口に違和感が残っている。昔とちがって、歯の治療はずいぶん痛みが軽減された。麻酔の注射自体が、あまり痛くないのだ。最初以外、途中から刺されているのがわからなくなる。

 一日中、クルーズ選手の応援歌が頭の中でくりかえし流れていた。名曲かもしれない。

2015/06/14

休日

 今月の『本の雑誌』の連載は「辻征夫の年譜を読みながら」。しめきり直前まで何を書くか決めていなかったのだが、黒田三郎の『小さなユリと』(夏葉社版)の解説を送った後だったので、その勢いで詩の話を書いた。

 黒田三郎と辻征夫は、比較して読んだわけではないが、詩のつくり方は似ているような気がしている。

 話は変わるが、今月、古沢和宏著『痕跡本の世界 古本に残された不思議な何か』(ちくま文庫)が出た。古沢さんは、喋り出したら止まらない犬山市の五っ葉文庫の店主。いずれは東海地方のスターになるでしょう。

 本に残された痕跡のおもしろさだけでなく、古沢さんの本の取り扱い方もちょっとおかしい。わたしは諸葛孔明の署名本の話がお気にいり。
 痕跡といっても、書き込みだけではない。本の状態(頁が折れていたり、変色していたり)から、その本の読者の癖、本がどんなふうに読まれたかを分析(妄想)する古沢さんの眼力も、その力をもっと他に使いようがないのかとおもうくらい冴えまくっている。

 日曜日、西部古書会館、大均一祭二日目。全品百円。値段を見ずに、一行でも読みたいとおもった本を買う。

 交流戦、セ・リーグ全敗……こんな日もある。

2015/06/13

しょうちゃん展

 金曜日、四谷荒木町の番狂せで『青木さんちのしょうちゃん展〜亡くなった父の隠し部屋から絵がみつかったので父に内緒で展示します』(六月三十日まで)を見る。

 数日前に、神田伯剌西爾で浅生ハルミンさんとばったり会って、今月の『新潮』の青木淳悟さんのエッセイのことを教えてもらい、読んだら、これはいかねばとおもって行ってきた。
 絵は期待(かなり期待していた)以上によかったし、おもしろかった。スーパーのチラシが透けていたり、やたらと女性の臀部が描かれていたり、絵から不思議な力がだだ漏れ。「Yバック姿でテニスプレイ」といったシュールなタイトルも素晴らしい。
 店では青木淳悟さんにお会いし、『匿名芸術家』にサインしてもらう。

 JRをつかわず、丸ノ内線で新高円寺で帰る。ひさしぶりに電車で寝てしまい、乗りすごしそうになる。

 土曜日、西部古書会館の大均一祭の初日(全品二百円)に行く。明日は全品百円。珍しく午前中に起きたのは、午前十時に歯医者の予約を入れてたから。最近、飲む回数が減っていたのは、前の晩飲みすぎて、歯医者に行くのは避けたいとおもっていたから。といいつつ、昨日は飲んでしまったのだが、そういうこともある。

 佐藤正午著『書くインタビュー』(小学館文庫)の1を読みはじめる。いろいろな意味で、怖い。

2015/06/11

途中下車(しなかったけど)

 旅行中に考えていたことをいくつか記しておきたい。

 新幹線で往復するのはやめようとおもったこと。予定がつまっていて、どうしても新幹線に乗らないと間に合わないというとき以外は、行き帰りのどちらかは鈍行か別の路線に乗りたい。途中下車、大事だ。

 郡山の古書てんとうふが、店舗をしめた。仙台に行った帰りには、かならず……ではないが、なるべく寄りたいとおもっていた古本屋だった。
 今あるからといって、いつまでもあるとは限らない。そんなことは四十五年も生きていれば、いやというほどわかっているつもりだったが、古書てんとうふはいつまでもあるとおもっていた。

 会津鉄道に乗ってよかった。平日の昼だったせいか、一両編成の車輌の四人掛けの席が余るくらいの人しか乗っていない。たぶん、乗客の平均年齢は、七十歳をこえている。
 福島と栃木を結ぶ野岩鉄道の経営もきびしそうである。

 鬼怒川温泉付近には、廃業した大型ホテルが並んでいて、電車の窓から見ているだけでも、かなり荒んでいることがわかった(「鬼怒川温泉」「廃墟」で検索すると、そういう画像がたくさん出てくる)。
 作ったはいいが、取り壊す金がなくて、そのまま放置されている建造物は、今、日本にどのくらいあるのだろう。観光地の駅前に、朽ちたホテルが乱立している状況というのは、かなり異様な光景だ。「失敗遺産」として、きちんと研究すれば、後世の役に立つかもしれないとおもったが、わたしの手には負えそうにない。

 つげ忠男の『自然術 釣りに行く日』(晶文社、一九九〇年刊)に、「奮戦・鬼怒川釣行」という釣行記がある。

《とにかく、鬼怒川と聞けば、わたしの脳裏にはとっさに溪流が走り、ついでに、温泉だの、団体旅行だの、サア、ヨイヨイの宴会だのが思い浮かぶわけだが、まさか、その川スソが別の表情を持っていて、そこでヘラが釣れるとは思いもしなかった》

 利根川水系の鬼怒川、さらにその支流の男鹿川は、釣り人にとって人気のエリアで管理釣り場もいくつかある。
 川が好きなのに、そこにどんな魚がいるのかわたしは知らない。川に「別の表情」があることも知らない。

 ただ、新幹線で往復していたら、鬼怒川温泉界隈のことを考えることもしなかった気がする。

 鬼怒川温泉からすこし先の龍王峡駅のちかくに、釣り堀があることを知った。龍王峡も途中下車したいとおもった場所だった。

2015/06/08

仙台と会津

 ひさしぶりに旅行した。仙台と会津若松。仙台はBook! Book! Sendai——わたしの仙台通いがはじまったのが二〇〇八年の夏だった。book cafe 火星の庭で「文壇高円寺古書部」という古本コーナーをつくったもらったのもそのころである。
 あいかわらず、六月の仙台は心地いい。六日の昼すぎに着いたのだが、ちょっと寒いくらいだった。

 火星の庭の前野さんに「仙台で文学を売りたい」といわれて、自分に何ができるかと考えた。「文学が売れない、どうしよう」ではなく、「売りたい」という言葉が前野さんらしいというか、本にかかわる人間は、そうあるべきだとおもった。
 そのときに考えたのは、文学の世界の「入口」になるような本を読んでほしい、知ってほしいということだった。本は一冊読んで終わりではなく、一冊の本が百冊、千冊につながることもある。
 火星の庭でトークショーをしたとき、吉行淳之介と鮎川信夫の話をした。ひとりの詩人や作家を読んで、その同時代の人たちを追いかける。その人たちが影響を受けた前の世代の作家がいて、さらに影響を与えた作家がいる。追いかけはじめたら、キリがない。キリのなさが、おもしろい。

 吉行淳之介を読めば、当然、吉行エイスケを知る。エイスケを知れば、仙台とも縁の深い詩人の尾形亀之助につながる。昔、仙台の西公園には尾形家があった。亀之助がためこんだ飲み屋のツケを仙台の尾形家に行くと、亀之助のお父さんが、馬に乗って出てきたというエピソードが残っている。
 鮎川信夫を読めば、黒田三郎を読まないわけにはいかず、黒田三郎を読めば、黒田三郎が好きだった宮城出身の菅原克己にたどりつく。

 仙台にちょくちょく通うようになって、東北のことも気になりだした。本を読んでいても、自分が行ったことがある地名が出てくるだけで、近くにかんじる。
 知っているか知らないかって、ふだんの生活にはたいして役に立たないことでも、それによって自分の関心や好奇心がひろがる。

 今回のBook! Book! Sendaiで、前野さんはいったん身を引くみたいなことをいっていたが、大掛かりなイベントではなくてもいいから、仙台とほかの土地の人の行き来する受け皿役は続けてほしい。

 Book! Book! Sendaiのあとの打ち上げで飲みすぎ(訂正=打ち上げの前に行った焼鳥屋で飲みすぎ)、高橋創一さんの家に泊まる。翌日、広瀬川沿いを散歩する。仙石線が五月三十日に全線復旧したと聞いて、何の用もないのに乗ってきた。石巻まで行く電車の時間は合わなかったので高城町駅まで。そこから松島海岸駅まで歩いて、また仙石線に乗って仙台に戻る。

 火星の庭でコーヒーを飲む。店内にジャングルブックスさんもいた。火星の庭で見つけた福田蘭童の『わが釣魚伝』(二見書房)を読みふけっていたら、帰り際、挨拶されたのに気づかなくて、すみませんでした、ジャングルさん。

 夕方、仙台から会津若松へ。こちらも何の用もなかったのだが、今回の旅行は会津鉄道を利用して東京に帰りたかった。
 仙台から各駅停車で郡山へ。郡山駅に着いたのは夕方六時前。この時間から会津若松に行って、大丈夫なのか。とりあえず、多少土地勘のある郡山に泊まり、明日、会津若松に行こうかと一瞬迷ったのだが、ちょうど会津若松行きの電車が来たので、駆け足で乗ってしまう。
 磐越西線の電車の窓からの眺めは町からだんだん山になる。宿はあるとおもうが、店は営業しているのだろうか。こういうときに携帯電話をもっていない身としては不安なのだが、こういう不安を味わえるのが携帯電話をもちたくない理由でもある。

 午後七時すぎ、会津若松駅に到着——。駅前のビジネスホテルをおさえ、駅前でメシを食う。店内からはソースかつ丼を会津若松のご当地グルメにしようと画策している気配を感じたのだが、ふつうのしょうゆラーメンを注文した。とりあえず、夜十一時半くらいまで飲めることもわかった。ホテルで温泉(スーパー銭湯みたいなやつ)の無料券をもらったので、そこに行ったら、旅の疲れがどっと出て、夜十時すぎに寝てしまう。

 会津若松からは会津鉄道、東武線、JRなどを乗り継げば、東京に帰ってこれることだけはわかっていた。ホテルでもらった会津線の時刻表には、会津若松から新宿駅までほぼ直通の路線(特急スペーシア利用)があることを知った。夕方五時くらいに東京に帰ることを考えると、特急を利用したほうがよさそう。

 翌日、まず会津若松から会津田島に行く。会津田島駅周辺を二時間くらいぶらぶらする。駅に会津鉄道の記念乗車券のポスターが貼ってあったので「何の記念ですか?」と聞いたら、駅員さんがいろいろ説明してくれて、買わざるをえない雰囲気になり、「AIZUマウントエクスプレス号の鬼怒川温泉駅乗り入れ10周年記念」の乗車券を買うことに……。
 帰路、印象の残ったのは会津田島駅から数駅の野岩鉄道の湯西川温泉駅(栃木県日光市)だ。トンネルの中に駅がある。すごく気になる。特急の切符を買ってなければ、途中下車したかった。昔の自分なら特急券なんか買わなかったはずだから、間違いなく降りていただろう。旅の勘が退化している。

(……続くかも)

2015/06/06

書くことがない(けど)

 すこし前に、書くことのない日のことを書こうとして書かなかったことがあったが、書くことのない日というのは、たいていは仕事をしていた日だ。

 仕事のあいまに本を読んだり、家事をしたりしている。そのことは何度も何度も書いている。書くに値する変化はない。しかし、書くに値することなんてことをいいはじめたら、それこそ何も書けなくなる。
 今もそうだが、あえて書くに値しないようなことが書きたいときもある。
 日記ではなく、仕事の原稿でも、書いても書かなくてもいいことを書いてしまう。レイアウトの都合で文字数がオーバーする。そういうときは、その部分を削ればいいから楽だ。文章もすっきりする。しかし、書いても書かなくてもいいところこそ、残したいとおもう。

 昔は、よくそのことで編集者ともめた。
「どう考えてもいらないでしょ?」
「どう考えてもいらんから、いるんです」

 わたしが偉くなりたいとおもうのは、こういうやりとりをしたときだ。偉くなって威張りたいのではない。十人いたら九人は「この部分いらないんじゃない」とおもうことが書きたいし、残したいのである。偉くないのに、偉そうなことをいわせてもらえば、すっきりした文章を書くほうが、楽なのである。

 唐突な言葉が出てきたけど、何のフォローもなく、読んでいる側は、ほったらかしにされる。そういう詩が、昔からわたしは好きだった。意味不明や難解とはちょっとちがう。でもわたし自身、そのちがいをまだわかっていない。

 文章の中には書こうとおもって書いた部分と書く気はなかったのに書いてしまった部分がある。
 書き手からすれば、後者のほうが愛着がある。それこそ書こうとおもって書いた部分は、その気になれば、いつでも書けることなのだ。

 音楽を作ったり、絵を描いたりしている人と話をすると「そうなんだよ」と意気投合する。おおまかな括りで、表現者というのは、自分の創造性というものをコントロールしたくないという欲求がある。

 わたしは不安定で不鮮明な、もやもやもした気分がなければ、文章を書こうとおもわない。 

2015/06/04

自分が生まれなかった世界

 仕事が一段落したので、石黒正数の『それでも町は廻っている』の十四巻を読んだ。この巻で、自分が生まれなかった世界にまぎれこんでしまう歩鳥の夢かなんだかわからない話があった。歩鳥が生まれなかった世界で、消えてしまっていたものは……。これはけっこう考えさせられた。

 仮に自分がこの世に生まれなかったとしても、歴史が変わるわけではない。でも自分の本はなくなるし、今、やっている連載のスペースは、別の誰かが書いている。ちょっと読んでみたい気もする。
 自分のことをまったく知らない人には何の変化もなくても、いつの間にか知らないうちに、身近な人には何かしらの影響を与えていて、それによって、人生が微妙に変わることもあるのかもしれない。何も考えずにいった一言が、誰かの人生を左右することだって、ないとはいえない。

 子どものころ、学校の帰り道に、いつもとちがう角を曲がって、別の道を通ったら、運命が変わるのだろうかとよく考えた。大人になってからも、似たようなことを考える。
 どちらを選んでも、たいしたちがいのないことでも、小さな選択の差が積み重なると、大きなちがいになるのではないかと……。

 家にこもって仕事をしているときも、このまま原稿を書き続けるか、気晴らしに飲みに行くか、しょっちゅう迷う(だいたい飲みに行くのだが)。

 古本屋をまわっていて、疲れたから帰ろうとおもいながら、もう一軒、足をのばしたら、ずっと探していた本が見つかった。これまでそういうことが何度かあった。

 書いているうちに何の話がしたかったのか忘れた。  

2015/06/02

フライの雑誌の最新号

 今月末に発刊予定の単行本の追い込み作業をしている。『本と怠け者』(ちくま文庫)以来、四冊目の本になる予定だ。

 実は、『フライの雑誌』の最新号のプロフィールの欄に新刊の告知を載せてもらったのだが、単行本の初稿のゲラが出るか出ないかというタイミングで、タイトルが変更になってしまった。幻の題名が知りたい方は、ぜひこの号を見てください。正式なタイトルはまた後日……。

 105号の特集は「日本の渓流の『スタンダード・フライロッド』を考える」。仕事のあいま、『そして川は流れつづける』(フライの雑誌社、二〇〇二年刊)をすこしずつ読んでいた。『フライの雑誌』の創刊号から五号までのエッセイと釣行記をまとめた本。釣り素人のわたしは、この雑誌をエッセイがおもしろい雑誌として読んでいる。
 いつも真っ先に読むのは真柄慎一さんの文章である。この号の題は「コート掛け」。仕事が忙しかったり、引っ越しが重なったりして、解禁日がすぎても釣りに行けない愚痴を綴っている。

《「俺はなんのために働いているのだろう。」
と何も考えなしに思ってしまう。
 働かなければ生きていけないし、釣りにも行けないのだが、ふと口をついてしまう》

 特集の「対談 歴史に見るスタンダード・フライロッド』」には、日本のフライ市場は二十年前のフライフィッシング・ブームのころと比べて、百分の一に縮小しているという証言があった。
 つい最近まで、わたしは日本にフライフィッシング・ブームがあったことすら知らなかったのだが、市場規模が百分の一になる中、専門誌を刊行し続けているのはすごいことだ。

 それからこの号でいちばん熟読したのは横浜市のフライフィッシングなごみの遠藤早都治さんのインタビュー「“最初の一本”の選び方」である。

 遠藤さんは「僕は新しいことにトライしよう、愉しもう、という方のお手伝いをするのが大好きなんです」と語っている。
 このインタビューは、初心者向けの竿の選び方の話なのだが、そこにとどまらない。あらゆるジャンルに初心者はいる。たぶんベテランの相手をするより、夢と希望と勘違いだらけの初心者との接し方がいちばんむずかしい。甘やかすだけでなく、厳しさや奥深さも教えなくてはならないから。

 どんなにマニア向けの雑誌でも、初心者に門戸が閉ざしている雑誌はダメだとおもう。

ニュータウン

 世田谷ピンポンズの新しいアルバム『ニュータウン』が届いた。世田谷さん(という呼びかたでいいのだろうか)が、話をして歌っているところを見て、詩や文学(私小説)、古い漫画が好きな人であること、声がややかすれて割れていて、心地よかったことはおぼえている。しかし、どんな人なのかよくわからない。ミュージシャンにかんしては、わたしの第一印象はアテにならないことが多い。

 ここ数日、神経がひりひりする日が続いていた。世田谷さんの音楽を聴いてちょっと落ちついた。すごく緻密に作られた音であることもわかった。だから今のところ自分の印象とはそんなにかけ離れてはいないのだが、これからもっとヘンな部分が出てくるのではないか、と……。そういう余韻というか気配もある。

 しばらく聴き込むことになりそう。

2015/05/28

夏葉社の新刊

 昨晩、夏葉社の島田さんと高円寺で飲んだ。今月、橋口幸子の『いちべついらい 田村和子さんのこと』、黒田三郎の詩集『小さなユリと』が夏葉社から刊行された。
 今回の夏葉社版の『小さなユリと』は、一九六〇年に刊行された昭森社の『小さなユリと』の完全復刻。表紙の絵は黒田ユリ。奥付の発行日の五月二〇日も同じである。

 二十代のころ、吉行淳之介と鮎川信夫を知って、それから第三の新人と「荒地」の詩人の作品を追いかけるようになった。吉行淳之介でいえば、父エイスケの交遊関係もあるし、「荒地」の詩人でいえば、彼らが翻訳した海外の詩や文学にまで関心は広がる。

 わたしが最初に読んだ黒田三郎の本は『死と死のあいだ』(花神社、一九七九年刊)というエッセイ集だった。この本の中の「詩をして語らしめよ」で、天野忠、杉山平一、大木実、会田綱雄、菅原克己といった詩人を知った。黒田三郎は一九一〇年代生まれの詩人(天野忠は一九〇九年生まれだが)をこんなふうに評している。

《詩を通じて知るかぎりでは、一様に皆、シャイな性格のようである。シャイであるだけでなく、切ないくらいにやさしいところがある》

 この言葉はそのまま黒田三郎の詩にもあてはまる。
 島田さんは「黒田三郎を知らない読者に読んでほしい」といっていた。わたしもそのつもりで『小さなユリと』の解説を書いた。

2015/05/26

ペース配分

 とくに書くことのない日のことを書いてみようとおもっていたら、昨日の昼、茨城南部で震度五弱(震源地は埼玉)、都内も震度四――。
 自宅の本棚の上に積んでいた文庫本と新書がパラパラと落ちてくる。仕事部屋の木造アパートのほうは一冊も本が崩れていなかった。建物は軽いほうが、揺れに強い。地震の多い日本で木造住宅が普及したことには理由がある。

 平屋の長屋で生まれ育ったせいか、平屋住宅が好きだ。今でもできれば、二間か三間の小さな木造の平屋の家で暮らしたい。といっても、長屋に住んでいたころは、二階以上の部屋に住むことに憧れていたのだが。

 上京して最初に住んだのは東武東上線沿線の下赤塚の父が勤めていた工場の社員寮で部屋は一階だった。その年の秋、高円寺に引っ越して、それから築三十年以上の木造の風呂なしアパートを転々とした。その間、ずっと二階だった。二〇〇一年夏、二度目の立ち退きで古い木造アパートに懲りて、鉄筋のマンション(家賃は高円寺の相場からすると安い)に引っ越した。
 上京以来、はじめて日当たりのいい部屋に住んだ。最初の一年で自分がすこし健康になったことを体感した。年中ひいていた風邪もあまりひかなくなった。風邪をひかなくなったのは日当たりだけが理由ではない。鉄筋の部屋に引っ越す一年前から、毎日新聞の夕刊でコラムを週一で連載することになったことも大きい。
 週一の連載をするようになり、体調管理に気をつかうようになった。体調管理といっても「疲れたら休む」「からだを冷やさない」「酒を飲みすぎない」くらいなのだが、何も考えてなかったころと比べれば、それだけでもかなりの改善につながったとおもう。

 不定期の仕事ばかりしていたときは、忙しい時期とひまな時期の差が激しくて、忙しい時期(たいてい月末)のあと、ほぼ体調を崩した。
 ライターの仕事にかぎっていえば、本を読むとか文章を書くとか、いろいろ勉強はあるが、若いころはペース配分や体調管理を疎かにしがちだ。でも疎かにすると、長く続けられない。
 わたしはそのことを学んだのは三十歳すぎてからなのだが、持続ということを軸にものを考えていけば、大きくまちがえることはないとおもうようになった。ただし、持続は保身に傾きやすいという欠点もある。

 持続と保身の話はいずれまた、何も書くことがおもいつかなかった日に書いてみたい。

2015/05/24

ここ数日

 土曜日、神保町。澤口書店で藤田榮吉著『鮎を釣るまで』(博文館、一九三二年刊)を買う。はじめて二階で珈琲を飲む。帰りに東西線に乗ったら、吊り広告に五月二十一日から発車メロディを順次導入とあって、なんだろうとおもっていたら、九段下駅で爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」の「九段下のなんちゃらちゃら~」の部分が流れた。

 家に帰ると『BOOK5』の最新号が届いていた。今回の特集は「古本即売会へようこそ!」。都内だけでなく、名古屋古書会館の倉庫会、福岡の古本市なども紹介している。ものすごく充実した内容だが、編集後記に全部売れても赤字と書いてあった。ちょっと心配。

 東京新聞の書評、紀伊國屋書店の『scripta』、『小説すばる』の連載を書く。週末飲めない日が続く。

 日曜日、西部古書会館。『雑学少年アメリカ百科』(責任編集=松山猛、黒川邦和、平凡社、一九八三年刊)など。『雑学——』の帯付はじめて見た。『BOOK5』の特集で、古本屋ツアー・イン・ジャパンの小山さんが西部古書会館の二日目の様子を書いていた。観察眼が鋭い。さすがに棚の数は、数えたことなかった。

2015/05/15

五月は夏だ

 水曜日、神保町。本の雑誌社をたずねる。すぐ近くの古本屋、文省堂書店は四月十二日に閉店していた。外の均一棚の二冊百円の文庫、店内の一冊百円の単行本にはずいぶんお世話になった。閉店直前まで月に数回は訪れていたのだが、四月に入ってからは行ってなかった。
 神田伯剌西爾でコーヒーを飲んで、澤口書店で野球本を買う。

 今月の『本の雑誌』ではマイク・マグレディ著『主夫と生活』(伊丹十三訳、学陽書房、新装版はアノニマ・スタジオ)、佐川光晴著『主夫になろうよ!』(左右社)を紹介した。『主夫になろうよ!』は、わたしがこれまで読んできた「主夫本」の中でも最高傑作だとおもう。細かい脚注もふくめて、編集も手間がかかっている。

 五月にもかかわらず、日中の最高気温が三十度ちかい日が続いている。
 ここ数日、すでに真夏と同じ格好である。
 布団も薄い夏用のものに切り替えた。

 一九九〇年代の前半くらいまでは毎年六月上旬までコタツを出していた。六月上旬にコタツ布団をしまい、十月中旬か下旬にコタツ布団を出す。だいたいそんなかんじだった。
 わたしは夜から朝まで起きているのだが、朝の四、五時は冷える。二十代のころは日当たりのわるい木造アパートに住んでいたから寒かった。
 当時はエアコンもなかった。夏は首に冷蔵庫で冷やしたタオルを巻いて仕事をしていた。
 それでも夜は窓をあけていれば、涼しい風が入ってきた。

 コタツ布団をしまうのが、六月から五月になったのは二〇〇〇年代にはいってからである。
 三月、四月は寒い日もある。春らしい季候は一ヶ月あるかないかといったかんじだ。秋も同様である。

 一九七〇年代には、地球は再び氷河期に突入し、寒冷化が進むという説がけっこう囁かれていた。富士山大爆発の本がベストセラーになった。米ソ冷戦時代は子ども向けの雑誌でも、第三次世界大戦や核戦争の話が載っていて、世界中の核兵器の数、中性子爆弾、BC兵器(生物・化学)などを図入りで解説されていた。

 未来予測はむずかしい。わたしもよく外す。自分のことですらわからない。高校三年のころは将来、自分が東京で暮らすことになるとはおもいもしなかった。現役のころは東京の大学は一校も受験していない。
 ライターになった当初はジャーナリスト志望だった。同業の先輩には「原稿は足で書け」「断定できないことは書くな」と教えられてきた。
 なんでこんなふうになってしまったのだろう。

2015/05/13

身辺雑記

 早朝、地震。岩手震度五強。東京もけっこう長く揺れた。

 昨日は台風。ナイターは中止。スワローズは連敗中。でも去年の今ごろは借金二ケタだったとおもえば、まだマシだ。ノーアウトで出塁したランナーがまったく進まない。打線のつながりがない。四年くらい前のノーヒットで点をとる野球を完全に忘れてしまったみたいだ。

 梶原一騎原作の作品が電子書籍化されていることを知る(『男の星座』とか『プロレススーパースター列伝』とか)。グループ・ゼロという会社は、どんな会社なのだろう。上村一夫作品も激安で電子化している。

 高円寺の南口に串カツの店ができていた。まだ入ったことはないが、メニューにかすうどんがある。肉の油かすが入ったうどんで、わたしの大好物なのだが、東京ではあまり見かけない。串かつの店だが、かすうどんだけ食いに行きたい。

 WEB本の雑誌の「日常学事始」は七回目。見切り発車、いつネタが尽きるかわからない綱渡り連載である。身辺雑記はネタが尽きてからが勝負だと覚悟している。
 日常学事始 http://www.webdoku.jp/column/gyorai/

 ずっと続いていた早起きが、ようやく終わり、昼起きに戻る。

2015/05/06

私事と仕事

 連休中、とくに予定なし。ずっと掃除している。

 日曜日、阿佐ケ谷に散歩。北口の航海屋でラーメンを食う。基味と新味があるのだが、わたしは新味派。久しぶりにスターロードのほうまで行く。南口のアーケードで食材や調味料などを買い、青梅街道を通って帰る。

 一週間ちかく、午前中に目が覚める日が続いている。日中、あまりにも原稿が書けなくて、自分には早起きは合っていないと痛感する。

 キンドルの月替わりセールで白山宣之の『地上の記憶』(双葉社)をダウンロードする。白山宣之(1952年〜2012年)は長崎生まれで、一九九六年まで高円寺に二十五年暮らしていた。関川夏央の『名探偵に名前はいらない』(東京三世社)の表題作の作画も白山宣之が手がけている。名前のない探偵に「仕事は一流、営業は五流」という台詞があるのだが、今読み返すと寡作な漫画家だった白山宣之のことをいっているかのようにおもえる。

 南陀楼さんの『ほんほん本の旅あるき』(産業編集センター)を読んでいて、二〇〇四年に無明舎出版から出た『ナンダロウアヤシゲな日々』を読み返す。「私事」と「仕事」の垣根をとりはらう生き方をこのころから実践していた。

《文章を書くこと、編集をすること、ミニコミやメールマガジンを出すこと、ヒトとヒトを結びつけること……。これが、いま南陀楼綾繁がやっていることです。「私事」と「仕事」をクロスさせながら、このような「ひとり出版」(とても「出版社」とは云えませんが……)を続けていきたい、とぼくはいま考えています》(ナンダロウヤシゲなまえがき)

……「趣味を仕事にする」とか「仕事の中で遊ぶ」のではなく、趣味か仕事かわからない渾沌とした状態を模索しているのかもしれない。まずおもしろいとおもうことをやる。別にすぐ仕事につながらなくてもかまわない。仕事からはみだす部分がないと、好きなことをしていてもつらくなる。

2015/05/03

タマゾン川

 日曜日、西部古書会館。『シンラ』(一九九七年二月号、新潮社)、中村鋭一著『愛釣記』(ぬ書房、一九七六年刊)を買う。『シンラ』の特集は「釣りがわかる100冊の本」。「映画にもなった釣り文学」ではノーマン・マクリーン著『マクリーンの川』(渡辺利雄訳、集英社)もとりあげられていた。

 すこし前の『フライの雑誌』の堀内さんのブログ「あさ川日記」に「今さらタマゾン」と題したエッセイがあった。堀内さんのエッセイは読んでしばらくしてからおもいだして考えさせられることが多い。この文章もそうだった。

 多摩川に外来魚が多いことからアマゾン川にかけて「タマゾン川」と呼ぶことにたいし、「多摩川のありようをからかうような、思慮の浅い呼称」と批判している。
 さらに堀内さんは、在来魚、外来魚を分けるものは何か、誰が区別するのか——と問いかける。

 もし堀内さんの文章を読んでなかったら「最近、多摩川のことをタマゾン川っていうらしいよ」と聞かされて、とくに何もおもわなかったかもしれない。いや、おもしろがっていたかもしれない。自分の性格からするとその可能性は高い。
 また「外来魚」のことも、わたしはそう呼ばれる魚を有害だとする報道を信じていた。外国から来た獰猛な魚が、日本固有の魚を駆逐している。そんなふうにおもっている人はけっこういるはずだ。いまだにわたしもよくわかっていない。
 それでも「外来魚」という言葉にたいして、以前よりは敏感になった気がする。

 わたしのペンネームは「魚雷」で、たまに「雷魚」と誤植される。そのせいもあって勝手に親近感をもっている。子どものころ、「雷魚」は「害魚」の代表のようにいわれていた。「害魚」もひどい言葉だ。でも釣りに興味をもつまでは何ともおもってなかった。

 知らないと考えることもできない。そのことを忘れないようにしたいが、すぐ忘れてしまう。

2015/04/30

コタツ布団しまう

 昨日、コタツ布団をしまう。
 上京して四、五年目くらいまでは六月までコタツ布団を出していた。五月中は冷える日があった。
 四月末に日中の気温が二十七、八度になってもおかしいとおもわなくなった。つい先日、春秋用のシャツを出したばかりなのに、さらに夏用のシャツも出した。

 早くも夏バテ(?)のような体調になる。朝寝昼起の生活リズムがズレて、夜十一時くらいに眠くなる。わたしは夜寝て朝起きると、一日のうちにぼーっとしている時間が長くなる。

 月曜日にささま書店に行ったときにちばてつや著『だからマンガはやめられない』(ポプラ社、一九八六年刊)を買った。ちばてつやには『みんみん蝉の唄』(スコラ講談社、一九八一年刊)という自伝があるのだが、『だからマンガは……』は未読だった。

 ちばてつやの父が家を新築した後、ギャンブルにはまったり、大ケガをしたりして、高校の学費が払えなくなり、そのためにアルバイトをしなければいけなくなった。あるとき“児童漫画家募集”という新聞の三行広告を教えてもらい、それが漫画家デビューのきっかけになる。

 このエピソードは『みんみん蝉の唄』にも書いてあるのだが、何度読んでもおもしろい。

 ちなみに『みんみん蝉の唄』には、アイドル時代の三原順子が「わたしはちばてつやファン」と写真入りで推薦している。時の流れをかんじる。

2015/04/27

もうすこし外に

 土曜日、めずらしく午前中に目がさめたので西部古書会館。石原吉郎『望郷と海』(ちくま文庫)、水木しげる『丸い輪の世界』(講談社漫画文庫)など。最近、読書における詩の成分が足りないような気がしている。余裕がないのか。
 よく寝ているし、体調は問題ないのだが、家にこもっている時間が長くなると外に出たときに神経が過敏になる。電車の中の会話でイライラしたり、近くに人がいるだけで疲れたり……。よい傾向ではない。

 月曜日、正午、歯医者で奥歯を治療する。歯医者は四年ぶり。そろそろコタツ布団をしまおうかどうか迷ったが、今日はやめた。
 午後二時ごろ、ささま書店に行く。辻征夫の署名本+手紙が売っていた。もちろん、買う。『さいとう・たかをの劇画専科 高等科コース』(リイド社)が五百円! これは嬉しい。
 あたたかくなったのですこし歩こうとおもい、徒歩で荻窪から西荻窪へ。かれこれ十五年ほど前は、自転車で吉祥寺くらいまで行っていたのだが、荻窪〜西荻窪間はよく道に迷った。まっすぐ行けない。ひさしぶりに歩いたら、なんとなく道をおぼえていた。

 家に帰ると『週刊エコノミスト』(五月五月・十二日)が届いていた。この号は古本特集でわたしも執筆者のひとり。北條一浩さん、岡崎武志さん、小山力也さん(古ツアさん)も登場……。

 南陀楼綾繁さんの新刊『ほんほん本の旅歩き』(産業編集センター)を読みはじめる。佐藤純子さんがイラストを描いている。
 盛岡から鹿児島まで。津にも行っている。この本の中に「ナンダロード」という言葉が出てくるのだが、南陀楼さんはおもしろい場所を紹介するだけではなく、場所と場所をつなぐ「道」を作る人なのだとおもった。一箱古本市から十年ちょっとのあいだに、ほとんど全国網といっていいくらいの本の道ができている。

 最近、旅をしない言い訳ばかりしている。これもあまりよい傾向ではない。

2015/04/22

日々は過ぎゆく

 すこし前に三省堂書店で本を買ったら、古書モールで使える古本のクーポン券(五百円分)をもらった。期限は四月末。来週は連休前で神保町に行けるかどうかわからない。忘れないうちに使いたい。神田伯剌西爾のマンデリンも飲みたい。夕方、神保町に行く。

 仕事の資料につかえそうな本を二冊買う。帰り神宮球場に寄って、ヤクルト横浜戦を観に行こうかどうか迷ったが、一昨日昨日とちょっと飲みすぎて二日酔い気味だったのでやめた。この時期のナイターは冷える。もし行ってたら、延長十二回五時間二十分の熱戦(大乱戦)を観ることができたのだが。迷ったときに、動けるようになりたいとおもいながら、なかなかうまくいかない。最近、旅行もしてない。

 一週間が早い。寝て起きて本読んで仕事して酒飲んでのくりかえし。マンネリだの、ワンパターンだの、そんなことで悩んでいるひまはない。ただ、マンネリはマンネリでも、その精度を上げていく工夫はしたいとおもっている。

 昨日は一日中部屋にこもっていた。ネットの戸田配信(ファームの試合)を見ながら、仕事と掃除。早く復帰してくれ、バレンティン。あと今シーズン中に一軍で奥村展征選手(FAの人的補償でヤクルトに入った選手)が見たい。センターカメラの映像が風でゆれて、ずっと見ていると酔ってくる。
 仕事はあとすこしで終わりそう。
 須賀章雅著『さまよえる古本屋 もしくは古本屋症候群』(燃焼社)を読む。日記、エッセイ、小説、漫画原作まで収録されたバラエティブック。詳しくは……というか、さっきまでこの本と前作の『貧乏暇あり 札幌古本屋日記』(論創社)について書いていた。くりかえし読みたい本が増えた。嬉しい。

2015/04/09

そろそろ

 寒暖の変化がきつい。すこし前に最高気温が二十三度だったのに、昨日は三度。首都圏でみぞれ、雪が降ったところもある。
 外出しようとおもって、外に出たら、あまりにも寒くて、冬用の服に着替える。

 今週発売の『週刊朝日』の「最後の読書」というコーナーでエッセイを書いた。選んだ本は、山田風太郎の『コレデオシマイ。』(角川春樹事務所)――そのまんまというか、ひねりはまったくありません。

 人生の最後に読みたい本といわれても想像つかなかったのだが、山田風太郎のエッセイは、今のところ、どんな体調のときでも読める。だから枕もとにいつも置いている。最後に手にとる本になる可能性は高い。

 最近は堀内正徳著『葛西善蔵と釣りがしたい』(フライの雑誌社)も困ったときに読む本になっている。何度も読み返している。

《毎年、三月下旬から四月上旬に東京へ多めの雨が降る。東京都を東西に流れる多摩川は、その時季に調布あたりで三〇センチほど水位が増える》

「この雨が上がれば」というエッセイの出だしの文章だ。多摩川の増水が落ち着くと、高度成長期に姿を消していたマルタウグイという魚が自然遡上する。九〇年代に、放流をはじめ、再び、多摩川で自然産卵するようになったらしい。

《今では春、サクラの満開を待ちかねたように、多摩川の荒瀬では大量のマルタウグイが折り重なるようにして産卵行動をする。その光景は北海道の秋、カラフトマスやシロザケの産卵をほうふつとさせる》

 東京の川でこんな光景が見られることを知らなかった。
 そろそろマルタウグイの産卵の季節なのだろうか。

2015/04/05

色川武大の全集未収録作

 日曜日、やや二日酔い気味で西部古書会館に行く。
 そろそろ連休進行なのだが、無理せず、休み休み仕事をしようとおもう。

 色川武大の単行本未収作を収めた『友は野末に 九つの短篇』(新潮社)を読む。この本の中に『文学者』一九七一年二月号に掲載された「蛇」も収録されていた。

 五年くらい前に、わたしは「蛇」の存在を河田拓也さんに教えてもらった。さっき、インターネットで「色川武大」「蛇」と検索したら、河田さんのツイッターをまとめたものがいちばん上にあがっていた。

 色川武大が阿佐田哲也名義で麻雀小説を書きはじめたのは一九六八年。一九七一年は「麻雀放浪記 激闘編」を『週刊大衆』に連載していた時期だが、本名で書かれた「蛇」は年譜に載ったことのない幻の作品だった。

《なるべく、というか、できうる限り、変化しないこと、私はもともともそれを望んでいた。その場所の居心地はどうでもかまわない。じっと我慢していればそのうち慣れてしまう。ただ、新らしい場所に移ることだけは勘弁して欲しい。引っ込み思案で怠け者の発想である》

 色川武大のどこかおかしな小説の味はすでに、かなり、色濃く出ている。変化を拒む子どもだった「私」は、入浴、散髪、洗顔も大事件で飯を食うことも嫌い。だが、それをせずには生きていけない。「私」の生き方は「此の世の定則と、絶えず無益な戦争をくり返していたようなもの」だった。

 自分で決めた原則に縛られて身動きできなくなる悲喜劇——色川武大作品の中でくりかえし語られるテーマだ。「蛇」の一年前に色川武大名義で発表された「ひとり博打」や『虫喰仙次』(福武文庫)所収の「走る少年」もそうだろう。

2015/03/31

マクリーンの川(リバラン)

 ノーマン・マクリーン著『マクリーンの川』(渡辺利雄訳、集英社文庫)が届く。この作品には『マクリーンの森』という続編もあり、同じく集英社から単行本が出ている。

 深夜一時すぎに読みはじめて読み終えたのは午前四時半。途中、本にひきこまれすぎて、何度か頭がくらくらした。ノーマンと三歳年下の弟のポールと牧師の父——宗教と釣りで結ばれた親子、そして兄弟の物語は静かにはじまる。兄のノーマンは真面目で善良、弟のポールはフライフィッシングに関しては名人級の腕前だが、私生活は酒やギャンブルに溺れ、喧嘩に明け暮れている。

 ノーマンは弟を助けたいとおもうが、どうしたらいいのか、そもそも弟は自分に助けてほしいとおもっているのかもわからない。兄の遠回しの申し出を弟は拒み続ける。

 自分にできることは限られていて、限られていることは必要とされない。

 この小説の主題を何かひとつに絞りこむのはむずかしい。「家族愛と兄弟の絆の物語」と紹介されている作品だが、家族愛や兄弟の絆をもってしても、どうにもならない現実を描いた作品ともいえる。

 フライフィッシングに関する描写を読んでいると、技術の繊細さと緻密さ、さらに魚や昆虫の生態、山や川(水)にたいする知識や洞察の深さに圧倒される。兄はたくさんのフライ(毛鉤)の入ったフライボックスを持ち込み、釣り場を飛んでいる羽虫に一致するものを使い分ける。弟は大きさのちがう数種類のフライしか持っていないが、それを幼虫から羽化まで、あらゆる昆虫の生態を真似て操ることができる。釣りの仕方も、兄と弟はまったくちがう。ただし、どちらも頑固者だ。

 ノーマンは釣りを通して、弟を理解しようとする。

 フライフィッングをもっと深く知れば、さらにこの小説のすごさがわかるようになるのかもしれない。『マクリーンの川』の釣りの場面で「あることをまず最初に考えないかぎり、そのものが眼に見えてくることはない」という文章があった。そのあたりは釣りも読書も共通しているとおもう。興味がなければ、どんなにおもしろい本が書店に並んでいても見すごしてしまう。しかも、わたしは映画化されていたことさえ知らなかった。

『フライの雑誌』の堀内さんに、この作品について問い合わせてみたところ、日本の四十代以上のフライフィッシャーの間では、映画「リバー・ランズ・スルー・イット」は「めちゃくちゃ有名」とのこと。映画を観たことがきっかけでフライフィッシングをはじめた人も少なくないらしい。略して「リバラン」と呼ばれているとも……。また『フライの雑誌』で「Through It」の「It」が何をさすのかみたいな記事が掲載されたこともある……といったことも教えてくれた。

 訳者のあとがきによれば、一九八〇年代のアメリカの大学の若手研究者に、最近、印象に残った小説を聞くと「リバー・ランズ・スルー・イット」という答えがいちばん多かったそうだ。

 著者のノーマン・マクリーンは七十歳でシカゴ大学の教職を引退し、それからこの小説を書きはじめ、七十四歳で完成させた。

 読後の興奮がしばらく続きそうなので、映画はもうすこし時間をおいてから観るつもりだ。

2015/03/28

友は野末に

 今月の仕事が一段落した(校正は残っているが)。

 まもなく……ひょっとしたらもう書店に並んでいるかもしれないが(インターネットの書店では購入可能になっている)、色川武大著『友は野末に 九つの短篇』(新潮社)が刊行。表題作を含む九つの短篇は単行本未収録、嵐山光三郎、立川談志との対談、色川孝子夫人へのインタビューも入っているようだ。

 三月二十八日は、色川武大の誕生日(一九二九年生まれ)で、なんとなく色さんの話を書こうかなとおもっていたところ、この本の刊行を知った。「友は野末に」は『色川武大阿佐田哲也全集』の三巻にも収録されている。初出は『オール讀物』(一九八三年三月号)。

《某日、小さなホテルにこもって仕事をしているとき、家からの電話でまた一人の友の死を知らされた。五十をすぎるとそういうことが頻繁になってきて不思議はないし、自分の命だって風前の灯なのだから、他人が死のうと自分が死のうと日常茶飯のことといえなくもない》(友は野末に)

 本の詳しい感想はまた後日ということで。

2015/03/27

フライフィッシングは反知性主義?

 新刊書店で森本あんり著『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)を立ち読みしていたら、「フライフィッシング」という言葉が出てきた。迷わず、レジに。

 第四章の「アメリカ的な自然と知性の融合」の「釣りと宗教」で、若き日のブラッド・ピットが出演した映画「リバー・ランズ・スルー・イット」について論じている。「リバー・ランズ・スルー・イット」は、シカゴ大学で英文学を教えていたノーマン・マクリーンの同題の自伝小説——邦訳は『マクリーンの川』(集英社文庫)として刊行されている。

 マクリーンの父は、ふたりの子どもを信仰とフライフィッシングで教育した。しかし、兄弟はまったくちがった人間に育つ。

《釣りといっても、どんな釣りでもよいわけではない。釣りは、フライフィッシングでなければならないのである》

 なぜならフライフィッングは「崇高な芸術」で「宗教的な献身」が求められる釣りだからだ。

《フライは、メトロノームのように正確な四拍子で投げなければならない。それは、厳格な規律に従うことを意味する。人は神のリズムに身を委ね、それに従って生き、正しくフライを投げる時にだけ、魚を釣ることができる》

 森本あんりによると、「リバー・ランズ・スルー・イット」は、「アメリカの大自然に抱かれたことがなければけっしてつくれない映画で、そこには巧まずしてアメリカ的な精神の有り処がそのまま析出している」という。

《釣りをしている間、ひとは自然の中にただ一人で存在する。仕事の面倒も忘れ、明日を思い煩うこともない。聞こえるものといえば、川のせせらぎと鳥の声、木々をわたる風の音だけである。人生の余分な意味は消え失せて、山と川、魚と自分、それらがむきだしの存在となり、自然の中の対等なパートナーになる》

 反知性主義と聞くと、傍若無人で考えの足りないマッチョイズムみたいな印象があったのだが、それほど単純なものではない。

 詩人のラルフ・ウォルド・エマソン、ヘンリー・ディヴィッド・ソローなど、この本におけるアメリカの反知性主義には、「ヨーロッパ的な知性」への抵抗という要素もある。たとえば、書物に頼りすぎることの警戒心もそうだ。自然から学び、身体を通して考える。アメリカの反知性主義には、そういう一面もある。

 反知性主義からは、進化論を否定する創造論みたいな考えも出てくるわけだが、中にはそう簡単には否定することのできない文明批判もある。

 とりあえず、ノーマン・マクリーンの小説と映画のDVDを注文した。

2015/03/20

充電中

 昨日は十時間以上眠り続けた。変な夢をいっぱい見たが忘れた。疲れがたまっていたのかも。あと急に暖くなったせいもあるかも。

 東京ヤクルトスワローズ公式サイトで「戸田配信」(ファームの試合の中継)がはじまった。時間がいくらあっても足りない。

 四十代半ばになって、時間がほしいとおもうことが増えた。生きていくためには、あるていど時間を売ってお金を得ないといけないわけだが、自分の時間を確保しないと心身が磨り減ってしまう。

 仕事と休息のバランスをどうとるか。体力面に不安がある分、その配分には人一倍気をつかっている。若いころは、無理をしないと身につかないものがいろいろある。しかし中年以降は無理をして身につくものより、失うもののほうが多くなるような気がする。

 とにかく漫画を読む時間がほしい。

 というわけで、滝田ゆうの『寺島町奇譚(全)』と『泥鰌庵閑話(上・下)』が電子化されていたのでダウンロードした。『泥鰌庵閑話』は寝る前にちびちび読むのにピッタリの作品だとおもう。どちらも文庫版で持っていたが、字が小さくて読みづらかった。
 まさか電子書籍で滝田ゆうの漫画を読む日が来るとはおもわなかった。わるくない。

 水木しげるの『河童の三平』をはじめ、貸本まんが復刻版も電子化されていた。そのうち買うことになるだろう。

 すこし前に「自分のやりたいことしかしない」という水木さんののルールの話を紹介したが、水木しげるは、しめきりをかならず守るという話を聞いたことがある。単なる怠け者ではない。見習いたい。

2015/03/17

定点観測

 土曜日昼すぎ珍しく西部古書会館の初日に行く。今年の目標は(旅行中以外)西部の古書展に通うこと。定点観測というか、惰性も含めてこれまで続けてきたことは大事にしたほうがいい。

 継続と変化のバランスはむずかしい。継続だけだとマンネリに陥るし、変化を追い求めすぎると長い時間をかけて培われるものが得られない。料理店にたとえると、定番メニューと新規メニューのバランスをどうするかという話と似ているかもしれない。

 日曜日の夜七時からコクテイル。岡崎武志さん、世田谷ピンポンズさんたちと飲む。起きたら夕方六時半すぎだったのでちょっと焦る。でも何とか間に合って愉しく飲めてよかった。世田谷ピンポンズさんの歌も聴けた。

 月曜日、確定申告。行きは阿佐ケ谷まで電車、帰りは高円寺まで歩く。帰り道の途中に寄った古本屋で野村克也のあまり見かけない本があったのだが、迷った末に見送る。千円だった。

 火曜日、たまたま水中書店のホームページを見ると、ふだんは定休日なのだが、月曜日が臨時休業のかわりに十七日(火)は営業するとあったので三鷹に行く。三鷹に行くのは何年ぶりだろう。

 水中書店はささま書店のN君に「もう水中に行きましたか?」と会うたびにいわれていた。噂以上に充実した棚。野球と釣りと詩の本と漫画を買う。釣りの本は最近探していた小島信夫の本でしかも署名入り。

 帰り、三鷹駅周辺を散歩して電車に乗る。吉祥寺をすぎたあたりで、ふと顔を上げると、斜め向いの席で岡崎武志さんに似たかんじの人が本を片手にずっとノートをとっている。うつむいていて顔が見えないので別人かもしれないとおもい声をかけるかどうか迷う。が、読んでいる本の表紙がちらっと見えて、岡崎さんにちがいないと確信し声をかける。本人だった。

 高円寺に帰って、家でちょっと休憩。昨日見かけた野村克也の『うん・どん・こん(運・鈍・根)』(にっぽん新書)がほしくなる。残っているかどうか心配だったが、買うことができてほっとした。あとでわかったのだが、けっこう入手難の本らしい。迷って買いそびれると買えないことのほうが多い。これまで何度も失敗している。

2015/03/13

古本屋の人気作家

 町のそれほど大きくない新刊書店にはいったら、ベストセラーのコーナーと同じくらいの枠で曽野綾子のコーナーがあった。不思議におもう。謎だ。

 吉田健一著『汽車旅の酒』(中公文庫)を読む。書き出しが、自由気ままなかんじでおもしろい。

《旅行をする時は、気が付いて見たら汽車に乗っていたという風でありたいものである》(金沢)

《旅行をする時には、普通はどうでもいいようなことが大事であるらしい》(道草)

《何の用事もなしに旅に出るのが本当の旅だと前にも書いたことがあるが、折角、用事がない旅に出掛けても、結局はひどく忙しい思いをさせて何にもならなくするのが名所旧跡である》(或る田舎町の魅力)

 十代後半に古本屋めぐりをはじめたころの「古本屋の人気作家」のひとりが吉田健一だった。あと内田百閒もそうかな。ふたりとも今は新刊でけっこう読める。

 わたしはあまり読んでいないのだが、そのころ、夢野久作や稲垣足穂も「古本屋の人気作家」だった。

 この四半世紀で「古本屋の人気作家」もいろいろ移り変わっている。近年は「古本屋の人気作家」がどんどん文庫化されるという流れがある。

 著作権が切れてしまった作家は青空文庫に入ったり、電子書籍化されたりすると古書価がつきにくい。没後五十年以内で新刊書店では買えないおもしろい作家……というのは限られている。

 そういう作家を探すのも古本屋通いの愉しみなのだが、今は誰だろう。

2015/03/09

昔の書評誌

 散歩のついでに新しい靴を買う。
 この一年くらい靴底に空気の入った靴を履いていて、これが軽くてすごく楽なのだ。たまに雨の日用の靴を履くと重い。これまで晴天用と雨天用の二足の靴でやりくりしていたのだが、晴天用が二足あってもいいかなとおもった。

 十二月から二月いっぱいまではのんびりして、三月くらいから徐々に活動量を増やし、十月、十一月くらいにピークがくるようにする。
 なんというか、一年中、ずっと調子を維持したいとおもっても、それは無理だということが骨身にしみている。無理をすると、どこかで反動がくる。

 日曜日、西部古書会館。今年は皆勤賞継続中。赤いドリルさんが出品の『50冊の本』(玄界出版、冬樹社)を創刊号から五号まで買う。一九七八年創刊の月刊書評誌。一九七〇年代後半のリトルマガジンは、おもしろいものが多い気がする。

 ちなみに『50冊の本』の創刊号には「新入学・進学/新卒のきみたちにすすめる本」というアンケートがある。

 野呂邦暢は(1)新入学、進学する人たちにすすめる本でトルストイの『戦争と平和』、(2)新卒・就職する人たちにすすめる本でA・トインビーの『歴史の研究』をあげている。それぞれ「…文学の源泉」「…若いうちにカタイ本を読むこと」というコメントも。

 田中小実昌は「…すみません、わからないので」と無回答にもかかわらず、名前を出されている。もし自分がやられたら、すごくいやだな、これは。

2015/03/03

資料の整理

 日曜日の晩から掃除。二月分の仕事の校正がぜんぶ終わったので、古い資料、コピーの整理をはじめるが、まったく終わらない。夕方、荻窪に行って、ささま書店のちタウンセブンで買い物(鍋の具などを買う)。

『フライの雑誌』『BOOK5』を読む。『フライの雑誌』の特集は「これが釣り師の生きる道」。最近、古本屋以外にも釣具屋もときどき見ている。近々釣り竿を買う予定……。それから予備用の眼鏡のレンズを交換したい。

『BOOK5』は、特集「二足のわらじ 本業と本業のあいだ」。この号、おもしろいです。本業(別の仕事)をしながら、本業(本にかかわる仕事)をしている人が多く登場する。

 わたしもライターの仕事をはじめたときから、アルバイトと並行して……いや、フリーターをしながら、ときどきに原稿を書くという生活が長く続いた。当時は生活費(家賃食費光熱費健康保険料など)はアルバイト、書籍代と酒代と交通費を「本業」で稼ぐのが目標だった。「本業」にあまり支障が出ない「副業」探しは、フリーランスの知人と飲むとよく話題になる。

 鍋にうどんを入れて食い、雑炊を作ってから飲みに行く。軽く飲んで、さくっと寝て、珍しく午前中に起きたので、銀行と郵便局に通帳の記入、掃除をしていたら未使用の年賀ハガキ(十年くらい前の)がけっこう出てきたので、八十二円切手と二円切手に交換する。電気代とガス代の支払いなどをすませる。
 それでも午前中だ。早起きすると、一日が長い。

 紙袋十袋分の資料を台所に全部に出して残すものと捨てるものを仕分ける。ボロくなった紙袋五つ捨てる。半分にする予定だったが、ちょっと無理そう。途中、蔵書も減らしたくなって(おそらく『BOOK5』の南陀楼綾繁さんの文章を読んだ影響だろう)、古本の整理もはじめる。本棚のすきまから、一九九〇年前半のミニコミもいくつか出てきて、二十代のころの自分の原稿をいくつか読む。

 旅先でもらった地図とか観光案内、各種イベントのチラシなど、見るといろいろおもいだすこともある。神宮球場のチケットの半券、ライブの半券も出てきた。迷ったら捨てるつもりだったのが、捨てられない。

 仕分けの結果、十袋→七袋に。それでも床の面積がちょっと増えた。その倍以上に箱に入った資料があるのだが、今はそれに手をつける気力がない。何が入っているのかまったくおぼえていない。

2015/03/02

雑記

 ようやく三月。先週くらいから貼るカイロをつかわない日が増えた。散歩の距離ものびた。今日(……書いているうちに日付が変わって昨日)はまたカイロに頼った。

 西部古書会館の古書展最終日に行く。今年はいちおう今のところ皆勤賞(初日はほとんど行ってないが)。以前とくらべると買う量は減ったが、それでも何かしらほしい本は見つかる。

『水木しげるのカランコロン』(作品社、一九九五年刊)を再読する。

《才能は始めからあるわけではない。一日一日とつみかさねるのだ。空っぽの頭に入れてゆくのだ》(マンガのかき方――プロになる三つの道の巻)

 十二月~二月のあいだ、ずいぶん酒量を減らした。活発に動かない分、せめて自己メンテナンス期間にしようとおもった。十日以上外で飲まない時期もあった。そのかわり飲みはじめるとだらだらと飲んでしまう。自戒しているのだが、酔っぱらうと帰ろうとする知人を引き止めてしまう。「あと一杯」とかいって。

 暖くなったら蔵書の整理もすこしずつしていきたい。かれこれ二十年以上、買っては売り、売っては買いをくりかえしているのだが、本棚からあふれた本が山積みになってくると、本を買う意欲が減退する。
 何度も何度もその気分を味わいながら、油断すると、ちょっとやそっとのことでは片づかないくらい部屋中が本だらけになる。野球や釣りの本が増えた分、何かを削らないといけない。電子化されている本は売ってもいいような気がしている。

 このまま本が増え続けて、もっと広い仕事部屋を借りることを考えたら、電子書籍で買い直したほうが安くすむ。

 しかし日々の暮らしの中で本の背表紙を見る。そのことによって、本のなかみをおもいだしたり、思考が切り替わったりすることはよくある。何もかも電子書籍で……というふうにはならないだろう。今後も。

 今、売っているキンドルは作品をフォルダに分ける機能がついているらしく、できれば買い替えたい。

2015/02/22

水木さんのルール

 神保町をふらふらしていたら、谷川俊太郎編『辻征夫詩集』(岩波文庫)が並んでいた。岩波文庫で辻征夫というのは予想外だ。
 古本屋で立ち読みしていたら、パディ・キッチン著『詩人たちのロンドン』(早乙女忠訳、朝日イブニングニュース社、一九八三年刊)がおもしろそうだったので買う。ロンドン版の文学散歩みたいな本。

 家に帰ってから水木しげる著『人生をいじくり回してはいけない』(ちくま文庫)を読む。『小説すばる』の今月号でもすこしだけ水木しげると鶴見俊輔の対談にふれた。水木しげるは、無政府主義者の石川三四郎の著作を読んでいたという話——。

 すこし前に『別冊新評 水木しげるの世界』をようやく見つけて(探していたことすら忘れていたのだが)、水木さん熱が再燃している。

 話は戻るが、『人生をいじくり回してはいけない』は名著です。解説は大泉実成(素晴らしい!)。

 今の目で歴史を裁いてはいけないということは承知の上だが、どう考えても水木さんを戦場に連れてっちゃいかんだろ、とおもう。
 水木さんは、毎日ビンタされていたそうです。

 ただ、南方の島で、現地の人が働かずに昼寝ばっかりしている様子を知ったことは、人生観に大きな影響を与えた。

《水木さんは、それほど頭がよくなかったけれども、「生きる勘」を心得ていた。お金を少し儲けて、楽して生きることが本当の幸せだと思ったんだ。今も、その考えは変わらない》

《水木さんは、「自分のやりたいことしかしない」という「水木さんのルール」を作った。ベビーの頃だね。
 一番やりたいことは、絵を描いて食べていくことだった。全く迷わなかったし、これからうまくいくだろうか、なんて考えもしなかった。人は、苦手なことでお金を儲けることはできない。好きじゃない仕事に追われたら、貧乏神に取りつかれるよ》

2015/02/15

「日常学」はじめました

 今月からWEB本の雑誌で「日常学事始」という連載をすることになりました。
 http://www.webdoku.jp/column/gyorai/

 更新頻度は月二回くらいでしょうか。

 タイトルの「日常学」という言葉はアンディ・ルーニーの『日常学のすすめ』(井上一馬訳、晶文社、一九八四年刊)からとりました。

 アンディ・ルーニーはライター生活で行き詰まっていたときに読んで、今の自分の「日常」から、大きなことから小さなことまで何でも切り取れる——ということに気づかせてくれたコラムニストです。

 それはさておき、ちょっとしたこと——たとえば、田舎から上京して中央線沿線で暮らすようになって、国立という市や駅名の由来が、国分寺と立川のあいだにあるからだと教えてもらったとき、意表をつかれたというか、なぜ気づかなかったんだろうとおもったことがありました。
 ほかにも「ユーラシア」という言葉が、ヨーロッパとアジアを合わせた造語と知ったのも、たぶん二十歳すぎてからです。
 以前、友人が「なあ、大豆と枝豆ともやしが同じだって知ってたか」と興奮気味に話していたこともありました。当時、友人は三十代半ばくらいだったとおもいます。人によっては子どものころから知っていることでも、知らずに大人になることはよくあります。

 日常生活においても、知っている人にとっては当たり前すぎて「今さらかよ」とおもうことでも、知らない人は知りません。

 ナンシー関のコラムで、青森から上京してひとり暮らしをするようになって、カレーが腐ることをはじめて知ったという話がありますが、家を出て自分で生活してみないと気づかないこと、あるいは失敗してはじめてわかることって、けっこうあるとおもいます。初歩とか基本とかいわれても、その手前の手前くらいのレベルからわからないこともよくあります。

 どこまでが「日常」でどこからが「非日常」なのか。
 そのときどきの気分で「日常」の範囲が広がったり狭まったりするかもしれませんが、そのへんのことはあまり厳密に考えずにいきたいとおもっています。

 最近、『日常学のすすめ』以外にも『鈴木健二の頭のいい“日常学” 「進歩向上」のヒント』(三笠書房、一九八九年刊)という本があることを知りました。
 ぜひとも読まねば……。

2015/02/12

武川寛海の本がおもしろい

 武川寛海の『音楽家たちの意外な話』(音楽之友社、一九八二年刊)がおもいのほかよかったので、インターネットの古本屋で同じ著者の本を何冊か注文した。自力(足)でゆっくり探すことも考えたが、かなり苦労しそうだとおもったのでやめた。

 わたしはクラシック音楽の知識はかぎりなくゼロにちかい(家にレコードやCDは一枚もない)。

 だから武川寛海のことも知らなかった。インターネットで検索したら、ゴダイゴのタケカワユキヒデのお父さんだということがわかった(有名な話?)。ちなみに、タケカワユキヒデの娘の武川アイもシンガーソングライターとしてメジャーデビューしている。

 今日読んだ『音楽史とっておきの話』(音楽之友社)は「ONBOOKS」というシリーズなのだが、巻末の広告で柳家小三治著『小三治楽語対談』という本を知る。対談相手は、加山雄三、三上寛、小沢昭一、戸川昌子、永六輔、白石かずこ、小島美子、宇崎竜童……。これも読んでみたいなとおもったら、けっこう高い。知らなかった。そういえば、あまり見たことがない。

 ネットの古本屋が普及する以前は、本の巻末の(自社の)出版広告をメモして古本屋をまわっていた。

 話は戻るが『音楽史とっておきの話』と『続・音楽史とっておきの話』は、カバー裏にもそれぞれ「作曲家豆年表」「音楽家の十二支」が印刷されている。ちょっと得した気分になる。『音楽史とっておきの話』の「よくまあ借りた人貸した人」という音楽家の借金話とか「リストが影響を受けた人与えた人」とか、クラシックの知識はなくてもおもしろく読んだ。

 リストは若い音楽家たちの面倒をよく見ていたらしい。こういう話はすごく好きだ。

2015/02/10

もしもあのとき

 金曜日、神保町。久しぶりに神田伯剌西爾でコーヒー。電車の中で武川寛海著『音楽家たちの意外な話』(音楽之友社、一九八二年刊)を読む。「もしもあのとき」という項目のチャイコフスキーの話がおもしろい。

 チャイコフスキーは幼少のころから母親にピアノを習っていて、一〇歳のときに法律学校に入るも、ピアノの勉強を続けていた。一四歳で母が亡くなり、悲しみをまぎらわすためにピアノにのめりこむ。父は我が子のためにルドルフ・クンディンガーというピアノ教師をつけた。そして三年の月日がすぎた。
 チャイコフスキーはピアニストになろうとおもったが、教師は「あんなものでは駄目」といった。
 そのまま法律学校に通い続け、一九歳で卒業し、法務局に就職する。

《もしもあのとき、である。クンディンガーが「なんとかなるでしょう」みたいな曖昧な答えをしたら、おそらくかれは田舎廻りのピアニストに終ったであろう。かれがアントン・ルービンシテインがペテルスブルクに開設した音楽教室(今日のレニングラード音楽院)に入って、正式に音楽理論の教えを受けることになるのは二〇歳からである》

 何かがうまくいかなかったことで別の何かがうまくいく。そういうことはよくある。

 受験とか就職とかで自分の希望どおりにいかなくても、そのおかげで別の可能性が見つかることはよくある。

 わたしにも「もしもあのとき」とおもうことは何度かあった。しかし、いろいろうまくいかなかったことがあった後に「今の人生でよかった」とおもえたら、それはすごく幸せなことだ。

 チャイコフスキー本人にとっては田舎廻りのピアニストの人生もけっこう楽しかったかもしれない。

2015/02/03

ここ数日

 日曜日、大均一祭二日目。スワローズが優勝した翌年のプロ野球の選手名鑑を何冊か買う。初日から二日目に残っていたら買おうと決めていた。
 家に帰って一九九六年の選手名鑑を見る。九五年の成績は八十二勝四十八敗。もちろん一位。新監督の真中満は当時二十五歳。「激しい外野戦争の中でも有力なレギュラー候補」との評。
 選手名鑑は、時刻表同様、古いものだとけっこう古書価がつく。一九六〇年代のものだと五千円くらいしたとおもう。

 夕方、高円寺北口散歩。庚申通り、早稲田通り、あずま通りの巡回コース。庚申通りにサンカクヤマという古本屋がオープンしていた。片岡義男著『10セントの意識革命』(晶文社)を買う。ショップカードを見たら水曜日が定休日らしい。
 古ツアさんは知っているかなとおもったら、さっそくブログにあがっていた。

 あとサンカクヤマのすぐ近くに漫画のレンタル店もできていた(ポストにチラシが入っていた)。七泊八日十冊八百円。
 西部古書会館のちかくにあったエンターキング(古本とゲームの店)は先月閉店した。

 一月中の仕事がまだ終わらない。頭がまわらない時間が長すぎて、予定通りにいかない。

 せっかくなので、頭がまわらない状態を研究したいのだが、それができないくらい頭がまわらない。
 酒を飲んだり、仕事と関係ない本を読んだり、料理や掃除(風呂場とか換気扇とか)をしたり、いつもどおりの生活を送ることが、いちばんの解決策なのだが、実行しようとすると、なんとなく後ろめたい気分になる。まだまだ修行が足りない。

2015/01/31

久々の飲酒

 一月十五日から昨日までアルコール抜きの生活を送っていた。正月ボケその他で一月中の仕事の大半が月末にズレこんで身動きとれなくなっていた。インターネットで買った古本も封をあけずにそのまま放置していたので、何を買ったか忘れた。さっき封をあけたら常盤新平著『高説低聴』(講談社、一九八四年刊)だった。けっこう古書価が上がっている本だけど、幸いにも定価くらいで買えた。

 昨晩、二週間ぶりのウイスキーはうまかった。一杯目がからだにしみる。たまたま来ていた松田友泉さんたちの『BOOK5』の打ち上げ(?)にまざる。

 仕事がたてこんでいても二時間くらいなら飲んでも支障はない。ただし、飲みはじめて二時間で切り上げる意志がない。今年の課題にしよう。

 土曜日、午前中に起きて、西部古書会館の均一祭。初日は二百円。二日目は百円。英米文学の文芸評論の本、スポーツ関係の本などを買う。明日もたぶん行く。

 新刊本では田中小実昌の単行本未収録作品集『くりかえすけど』(幻戯書房)と福田恆存著『人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義』(文藝春秋)が気になる。

 福田恆存の本は文春学藝ライブラリーで復刊されているが、その考え方は今も色褪せていない。均衡の精神を体現していた評論家だったとおもう。

 部屋にひきこもっていたあいだ、インターネットの言説をあれこれ見ていて「お花畑」という言葉を知った。いわゆる平和主義者やリベラリストに向けた罵倒文句のようだ(頭の中が「お花畑」で現実を何もわかっていないみたいな意味)。
 今も昔も現実と理想が折り合う着地点を見出すためのすり合わせ作業をせず、レッテル貼りで斬り捨て合うだけの議論が溢れている。
 譲歩や妥協を提案する立場の人は、たいてい板挟みにあって、対立陣営のどちらからも批判されがちだ。

 賛成反対中立……どの立場であろうと、それぞれのエゴがあって、エゴを自覚しないかぎりあらゆる議論は不毛になる……と言い切ってしまうと語弊が生じそうなので、またひまを見つけて、この話の続きを書く……予定。

2015/01/25

作家のシルエット

 高円寺駅の自動改札が改装され、きっぷとスイカが両方利用できる改札がふたつに減っていた。ふたつといっても、切符で出る人と入る人もいるので、乗降客の多い時間帯はつかえる改札はひとつしかなくなる。不便だ。

 年が明けてから電車にもあまり乗っていなかったことに気づく。

 仕事が終わらず、一週間以上外で飲んでいない。うどんと雑炊の日々。ほとんど病人のような生活である。一日の大半は頭がぼーっとしている。三月中旬くらいまで、この調子でどうにかやりくりするしかない。

 日曜日、高円寺の古書展二日目。のんびりと本を見る。八冊ほど買って、千五百円。

 J・サザーランド編『作家のシルエット 立ち話の英文学誌』(船戸英夫編訳、研究社出版、一九七九年刊)は立ち読みしてよさそうだったので買う。
 イギリスの作家のエピソード集といったかんじの本だ。軽い文学読み物は好きなのだが、海外のものは知識不足で、探すのがむずかしい。とにかくたくさん背表紙を見て、手にとるしかない。

 ロマン派の詩人、パーシー・ビッシ・シェリーの逸話——。

《シェリーは…いつも本から目を離さなかった。食事の際もテーブルの上に本が開いていた。紅茶もトーストも無視され、無視されないのは本の著者だけだった。マトンやじゃがいもは冷えきっても、本への興味は冷えることがなかった。(中略)ベッドにも本を持ち込み、ローソクが消えるまで読み、眠っている間だけはじっと我慢して、明るくなると暁方からまた読み始めるのだった》(読書気違いの居眠り)

 エドワード・フィッツジェラルドが英訳した『ルバイヤート』にまつわるエピソードもおもしろい。

 彼は訳した原稿を編集者に送ったが、出版される見込みがなく、一八五九年二月に自費出版した。

《褐色の表紙の小さな四折本で、古本屋のバーナード・クォリッツが二シリング六ペンスで売りに出した。ほとんど買い手がつかなかったので、一シリングに値引きし、ついには、店の外の「どれでも一ペンス」の箱に入れられてしまった。そこでようやく通りがかりの人に数冊買われたのであった》(ぞっき本の出世)

 その後、ある有識者の手にわたり、話題になり、あっという間に『ルバイヤート』は一ギニー(二一シリング)まで急騰したそうだ。均一本が定価の十倍以上の値段に……。

 ちなみに、このフィッツジェラルド版の『ルバイヤート』は、辻潤が邦訳(完訳ではない)している。

2015/01/18

きちんとした生き方

 毎日午後四時くらいに起きている。そろそろ生活リズム(朝寝昼起)を戻したい。
 昨日は阿佐ケ谷まで歩いた。食品や雑貨を扱っているお気にいりの店が閉店。久しぶりに航海屋で野菜ラーメンを食う。あと商店街をぶらぶらして調味料やお茶を買う。

 夜中、録画していた「夜ノヤッターマン」を観る。
 ヤッターマン側ではなく、敵役の側から描いた作品。正義(ヤッターマン)が、強大かつ豊かな帝国を築き、かつて彼らに逆らったドロンジョの末裔たちは国境の外で貧困に苦しんでいる。
 想像以上にシリアスな展開……。

 睡眠時間がズレる原因は「寒い→外出しない→疲れない→酒を飲みすぎる」のパターンが多い。
 健康に関する知識は増えているのだが、実践がともなっていない。生活が改善しない理由は、だらだら生きていけるものなら、そうしたいとおもっているからだ。

 不規則な生活を送っていると、一日二十時間くらいしかないような気がしてくる。
 規則正しく、約束を守り、人あたりよく生きていくほうがいいことはわかっている。逆にいえば、突出した才能か食うに困らないお金がないかぎり、好き勝手に、自由に生きることはむずかしいこともわかっている。

 自分でも、まだこんなことをうだうだ考えているのかとおもうこともある。四十五歳だろ、と。自分の父親がそのくらいの年齢のときには、わたしは高校生だった。

 まさかこんなにぐだぐだしたまま大人になるとはおもわなかったし、それでもなんとかなってきたことには関しては(多少の)自負もある。誰もかれもがきちんとした生き方ができるわけではない。きちんとしなければ生きていけない世の中に抗いたい——とあまり声には出さないが、ずっとおもい続けてきたわけだ。

 心身が弱ってくると、自分の考え方がまちがっているとおもえてくる。たぶん正しくはない。
 若いころは許されても、中年になると許容されないということはいくらでもある。
 自分ではわるくないとおもっていても謝らないといけないケースもある。そこで突っ張ると、自分以外の人間が食うに困る事態に陥るとか……。

 夢の中で、何時間も遅刻してきたにもかかわらず、まったく悪びれたそぶりを見せない若者に説教していた。遅刻してきた若者はかつてのわたしであり、説教しているのは今のわたしだ。

 目が覚めて、複雑な気分になる。

2015/01/05

頭の裏側が痺れる話

 音楽を聴いたり、本を読んだり、野球を観たり……それは何だっていい。昔から、自分が「いい」とおもうものに出くわすと頭の後頭部や頭蓋骨の裏側(あたりのどこか)が痺れる感覚があった。当たり前すぎて、特別な感覚とはおもったことはなく、誰にでもそういうことはあるだろうとおもっていた。

 ところが四十歳すぎたあたりから、その頭が痺れることが減ってきた。たぶん、仕事のためにいろいろな自分の感情を制御して、その結果、それまでよりはちゃんとスケジュールその他もろもろを順調こなせるようになったのだが、それと引き替えにその感覚を失ったのだとおもう。

 当たり前におもっていた感覚が磨り減らし、なくしてしまうのはまずい。なくなりかけて、はじめて大事な感覚だったことに気づく。いやなことを我慢せず、やりたいことをやっていないと頭が痺れるかんじは消えてしまうのだということがわかった。

 といっても、やりたいことばかりやって暮らしていけるわけではなく、昔だって、それなりに我慢しながら生活してきた。齢をとるにつれ、あらゆる「感動」に免疫みたいなものができて、ちょっとやそっとでは「いい」とおもわなくなる。

 そのへんのことをふまえつつも、昔のように頭がビリビリする感覚をとりもどせないかものかと試行錯誤を重ねているうちに、最近ちょっと復活してきた気がする。

 仕事や人間関係に支障をきたさない範囲で、人生を楽しもうというのは虫のいい話で、何かしらの犠牲を払う必要はある。おもしろいとおもうものがあっても、「今はそれどころではない」とブレーキをふむ。そういうことをくりかえしているうちに感覚が鈍ってくる。

 そこでブレーキをふまず、同時に仕事やら生活やらを両立させるのはむずかしい。でも、それをやらないといけないということを新年の何日間かだらだらしながらおもったので、今、酔っぱらっているのだが、自分のために記しておく。

2015/01/03

新年

 新年あけましておめでとうございます。

 年末年始、高円寺でのんびりすごす。町もいつもより人が少ない。大晦日は、スーパーと百円ショップが盛況だった。サイゼリアが一月中旬オープンすることを知る。
 紅白を見て、日付がかわってからペリカン時代で飲んで家に帰る。

 元旦は氷川神社で初詣。あとは家でTVを見たり、もらいものの日本酒を熱燗にして飲んだり、漫画を読んだりする。大石まさるの『水惑星年代記』シリーズ(少年画報社)などを電子書籍で読んだ。
 翌日もごろごろ、年末に買っていたメイソン・カリー著『天才たちの日課』(金原瑞人、石田文子訳、フィルムアート社)をぱらぱら読む。この本、素晴らしい。詩人、作家、音楽家、画家といった人たちの日々の習慣を短文で紹介しているのだが、まったく知らない人でもその習慣によって興味が出てくる。
 イギリスの詩人フィリップ・ラーキンが気になった。

《生活は可能なかぎりシンプルにしている。一日じゅう仕事をして、料理をして、食べて、後片づけして、電話をして、書いたものをめちゃくちゃに書き直して、酒を飲んで、夜はテレビをみる。外出はほとんどしない》

 ラーキンは図書館の司書をしながら、詩を書いていたらしい。ついラーキンの詩集を買ってしまう。

 三日の西部古書会館——今年の古本はじめ。といっても、行ったのは夕方。昔の原稿の整理、スクラップをしたのち、年明けのしめきり用の本を読みはじめる。