2022/09/29

微調整

 九月中旬あたりからすこしずつ衣替え、急に寒くなる日に備え、布団カバーを洗濯する。

 三月末にプロ野球のペナントレースがはじまって半年間、毎日毎日飽きもせず、勝ったり負けたり、打ったり打たれたりに一喜一憂してきた。二軍の選手やドラフトのことも調べる。野球の本を手あたり次第に読む。その労力を仕事に向けていれば……とおもうこともあるが、野球の時間は自分の精神安定のためには欠かせない。

 今年のペナントレースで印象に残った選手はヤクルトの小澤怜史投手である。小澤は「こざわ」と読む。育成時代の背番号は「014」。名前の「れいじ」の数字読みになっていたことに気づく。ソフトバンクを戦力外になり、ヤクルトに育成選手として入団し、投球フォームをサイドスローに変えた。今年のシーズン途中に支配下登録され、いきなりノーアウト満塁の場面で登板し、無失点でおさえた。その次の試合でプロ初先発、初勝利。野村克也さんが監督だったころの“野村再生工場”を思い出した。

 ペナントレースの終盤になると、ドラフトや戦力外のことで頭がいっぱいになる。引退を表明した他球団の選手のことも気になる。小澤投手のように戦力外から復活するのは稀な例といっていい。
 プロ野球の世界はどんなに活躍した選手でも現役でいられる年数は二十年ちょっと。平均すれば、十年未満といったところだろう。
 ピッチャーがオーバースローからサイドスローに変える。このままだとプロでは通用しない。投手にとってサイド転向は「これでダメなら引退」という最後の賭けみたいなところがある。

 野手は野手で毎年のようにフォームを変える。シーズン中に変える選手もいる。同じフォームではどんどん研究され、苦手なコース、球種を分析される。苦手なコースに対応するため、バッティングフォームを変えると前に得意だったコースが打てなくなる……こともある。微調整をし続けないとプロの世界では生き残れない。

 文章の場合、文体を変えたり、これまで書いてなかったテーマに取り組んだりすることもフォームの変更に近いかもしれない。昔の自分の文章を読み返すと句点(、)が多い。雑誌の三段組、四段組など、一行あたりの文字数が少ないレイアウトで書いていたころの癖だ。なるべく固有名詞が行をまたがないよう、句点で調整をしていた。

 最近、微調整の必要を痛感している。

2022/09/26

昔と今

 日曜日、西部古書会館。澤壽次、瀬沼茂樹著『旅行100年 駕籠から新幹線まで』(日本交通公社、一九六八年)、矢守一彦著『古地図と風景』(筑摩書房、一九八四年)など、カゴ半分くらい買う。『旅行100年』が刊行された一九六八年は「明治百年」の年でもあった。瀬沼茂樹は『本の百年史 ベスト・セラーの今昔』(出版ニュース社、一九六五年)という著作もある。『本の百年史』は昔の出版社の社屋の写真(絵)、書影が多数収録されていて、ちょくちょく読み返す。奥付には「中野区桃園町」の瀬沼茂樹の自宅の住所も記されていた。桃園町は、作家、評論家がけっこう住んでいた。

 テレビで全国各地の水害のニュースを見る。ここ数年歩いた宿場町も被害に遭っている。わたしは街道を通して日本の地理や歴史を勉強中である。五十数年生きてきて、知らない町や川がたくさんある。

 すこし前に夜、中野から高円寺まで歩いていたら、途中、環七沿いに肉(冷凍)の無人販売所ができていた。

 高円寺と阿佐ケ谷の間のガード下も冷凍食品の自販機がずらっと並ぶコーナーがまもなくオープンする。これから無人の店がどんどん増えていくのかもしれない。そういえば駅前の空店舗がガチャガチャコーナーになっていた。小さな男の子が(けっこうリアルな)昆虫のおもちゃを買っていた。

 インターネットが普及する以前は、演劇映画ライブの情報を載せれば雑誌が売れた(九〇年代前半くらいまで)。FM雑誌が四誌あり、すべて合わせると百五十万部以上という時代もあった。通勤通学の電車に乗れば、網棚に雑誌(週刊誌、漫画誌)や新聞がいっぱい落ちていた。これだけ活字を読む人がいるなら、この先、自分も細々と暮らしていけるのではないか。家賃と食費と光熱費その他を払い、本や雑誌が買えて、週二日くらい飲み屋や喫茶店に行けて、年に一、二回国内旅行ができる——そういう生活が送れたら文句はないとおもっていた。

 新宿や渋谷に行ったときの人の多さを見て「こんなに人がいるなら自分一人くらい生きていける隙間がどこかにあるだろう」ともよくおもった。

2022/09/19

連休中

 西部古書会館の古書展なしの週末——また昼寝夜起になる。日曜日、雨。温度計と湿度計のついた時計を見ると、湿度八〇%という数字だった。はじめて見た。
 日中、散歩できなかったので、夜、早稲田通りを阿佐ケ谷方面に向って歩く。二十四時間営業のコインランドリーが増えている。夜間も営業しているスーパーをのぞいたら、栗のお菓子のコーナーがあった。栗ブーム? 散歩中「杉並区区制施行90周年」のポスターを見かけた。「90周年記念誌」が十月に発行されるらしいのだが、家に届くのか。最近、忘れてしまいそうなどうでもいいことを書き残したい欲が芽生えた。

 休み中、田島列島『水は海に向かって流れる』(講談社、全三巻)を再読した。一巻が出たのが二〇一九年だから、(自分の感覚としては)つい最近の作品である。前作もよかった。
「会社は?」
「やめた! おじちゃんは現代人に向いてないし 風邪でも休めない現代人が大嫌い!」
 主人公(高校生男子)と漫画家のおじ(母方の弟)の会話。物語の中を流れている時間が楽しく心地よく、登場人物たちの掛け合いも秀逸で頁をめくる手が止まらない。主人公はおじと同じシェアハウスに下宿し、学校に通う。シェアハウスには、主人公の過去と関わりのある年上の女性、主人公と同じ学校に通う女の子の兄(占い師)なども住んでいる。

 もより駅の名前、店の名前(動物病院、中華屋、居酒屋)が、駄洒落になっていたことに気づく。焼き鳥を出す居酒屋の店名は「トリレンマ」。知らない言葉だったので、つい検索してしまった。商店街の激安店の名前は「ロシナンテ」。絵の中にちょこちょこ遊びがある
 初読のときに読み飛ばしていたのは「福江のおばさん」という言葉——占い師の兄妹のおばで、妹のほうはたまに九州の方言っぽい言葉が出る。福江は長崎の五島列島の町の名で、作中に「五島うどん」の袋も描かれている。

 主人公たちが暮らしている町は、都会(東京)っぽいが、それなりに自然もあり、電車は高架を走っていて、大きな川がある。川の名前というか、主人公たちが暮らす町のもより駅は部妻川駅(別冊マガジン=別マガの連載だったことからきている)なのだが、なんとなく多摩川に似ている気がする。

 昔からわたしは漫画の中で川沿いを歩くシーンが好きで『水は海に向かって流れる』も堪能した。

2022/09/13

意識の変化

 日曜日、昼はプロ野球(ひいきの球団の一軍と二軍の試合を追いかける)、夜は仕事したり、漫画を読んだりしていて、気がつくと家から出ないまま午後十一時すぎになっていた。

 昔は気にならなかったけど、時代や自分の感覚の変化によって、引っかかるようになったことがいろいろある。

 野球のヤジもそうだ。
 球場に行く。外野の自由席で酔っ払いが敵味方関係なく選手を罵る。十年くらい前までは「これも野球の風物詩だな」くらいにおもっていた。もっとも昔から好きではなかったが。

 客席だけでなく、ベンチのヤジも同様である。おそらく若い野球ファンは、そのあたりはもっと過敏かもしれない。いちおう、わたしは今よりもっとひどかった時代を知っていて、それなりに免疫がある。それでも好きな選手が罵倒されたら、気分はよくない。

 昨日、ひいきの球団の某コーチが主力選手が受けたデッドボールにたいし、報復をうながすようなヤジを飛ばし、試合後、そのことを謝罪した。昔ならそれほど問題にならなかっただろう。

 新型コロナの流行以降、球場で声を出しての応援を自粛するようになり、その分、ベンチの声がよく聞えるようになった。某コーチのヤジは今回の謝罪の前からインターネット上ではたびたび批判の声があがっていた。

 こうした変化にたいし、敏感な人もいれば、そうでない人もいるだろう。個人の受け止め方にも時間差がある。むずかしい問題だ。

2022/09/05

例大祭

 土曜日、昼、西部古書会館。あいかわらず、文学展パンフと街道本。ずっと探していて見つからず、定価の何倍で買った本が、その後、格安の値段で何度も見かけるようになる。よくあることだけど、たぶん、安く買っていたら、棚に並んでいても気にせず通りすぎて記憶に残らない。たまに高摑みしてしまうのもわるくない。
 今回、CDも並んでいた。RCサクセション『シングルマン』のCDなどを買う。「甲州街道はもう秋なのさ」を聴く。

 夕方、散歩。青梅街道のいなげやに行った後、住宅地を歩いていたら、神輿に出くわす。馬橋稲荷神社で例大祭。出店もいろいろあって、大にぎわい。子どもがいっぱいいる。生ビールを飲む。翌日も午後六時すぎに行き、神楽を観る。五日市街道沿いのスペイン料理の店のパエリヤは売り切れ。ケバブの出店もあった。
 若いころは祭なんて、まったく興味がなかった(古本祭は例外)。年々、花見とか祭とか、季節の行事みたいなものが好きになっている。
 いつまで元気に歩きまわれるかわからない。酒も飲めなくなるかもしれない。
 この先、何ができて何ができないか、そういうことを考えることが多くなった。

2022/09/01

意欲

 すこし前にミシマ社の小田嶋隆さんの新刊が届いたので、同社の既刊の『小田嶋隆のコラム道』『小田嶋隆のコラムの切り口』を読み返した。『小田嶋隆のコラム道』は小田嶋本で一番読み返しているかもしれない。本に三省堂書店のレシートが挟まっていた。日付は二〇一二年の五月二十四日。最近の本だとおもっていたのだが、十年以上前か。『コラム道』の第五回「モチベーションこそ才能なり」にこんな一節がある。

《技巧のない書き手は、どんなに良い話を持っていてもそれを良質のテキストとして結実させることはできないし、意欲を高く保ち続けることのできない書き手は、最終的に、原稿を読める水準の作品として着地させることができない》

 この話と新刊の『小田嶋隆のコラムの向こう側』の二〇二二年三月の「思い上がりがもたらす自縄自縛」はつながる。

 文章にかぎった話ではないが、意欲の持続ができるかどうか、それができないとあらゆる作品は未完成になる。
 技巧に関しては百人いれば百通りの手法があるだろう。「ヘタウマ」だって立派な技巧といえる。ただ、その人の技巧や作風が、広く(狭くてもいい)知られるまでには積み重ねが必要だ。しかし書いても書いても「くだらない」「つまらない」と貶され続けたら、よっぽど強靭な精神力の持ち主以外はいやになる。

 編集者の仕事の七割くらいは書き手の意欲をそがないことではないか——というのがわたしの持論だ。

 インターネットの普及以降、プロアマ関係なく、何かを発表するたび、批判にさらされる(賞讃されることは滅多にない)。

 他の書き手はどうだか知らないが、わたしは日々書きかけで終わってしまう原稿を量産している。「読みかけていた本が行方不明になってしまった」「返事に時間がかかりそうなメールが届いた」くらいの理由で書きかけの原稿が頓挫してしまうこともよくある。

 途中で資料を探さなくてもいいようにはじめから机のそばに揃えておく。仕事中はなるべく外からの情報を遮断する。それだけで文章を最後まで書き上げる率は三割くらい増す(とおもう)。

……もうすこし長く書く予定だったが、急な予定が入ったのでこれにて終了する。