2011/06/28
Book! Book! SENDAI
出張わめぞが設営中。カバンを置かせてもらって開始前の会場を散策する。
サンモール一番町商店街からちょっとそれたところにある野中神社が一日限りのBook! Book! 神社になるとのことで、担当のジュンクのジュンちゃんに案内してもらう。
おみくじは大吉だった。
午前十一時、開始。
人通りがとぎれず、ものすごく、にぎわっている。
わめぞエリアも、すぐ人だかりができ、次々と本が売れていく。
昼すぎ、書本&cafe マゼランに行って、喫茶ホルンで休憩する。
マゼランでは折原脩三著と『辻まこと・父親辻潤』(平凡社ライブラリー)と『パーキンソンの政治法則』(至誠堂)を買った。
パーキンソンは昨年の(自分内)課題図書だったのだが、「政治法則」は未読だった。
今年の下半期は辻まことを読みまくりたい。
会場に戻って、三月の震災直前にサンモール一番町商店街に移転した中古レコード屋のヴォリューム1をのぞく。ゴールドブライアーズの紙ジャケCD、ジェームス・テイラーの「IN THE POCKET」などを買う。
前の店のときより古本コーナーも増えていた。店主さんに、石巻の日本酒をいただき恐縮する。大事に飲みたい。
ワインを飲んで、ほろ酔いで古本市の会場をうろうろしているうちに、出発前にはいろいろ気になっていた震災のことをすっかり忘れていた。夕方くらいまで残っていたら、買おうとおもっていた本はことごとく売れていた。
終了まぎわに『てくり』の木村さんに挨拶することができた。
韓国料理の店で開催された打ち上げにわめぞ枠でまざる。
ひさしぶりに会う人も多くて、時間がぜんぜん足りない。
南陀楼綾繁さんがごはん屋つるまきに泊ると聞いて、その場で交渉し、宿を確保した。また若生さんのお世話になることに……。
前日まで東京は気温三十度をこえていたのだが、仙台は長そでのシャツ(さらに薄い上着)でも涼しくかんじた。
日曜の夕方、東京駅に着いたら、東北新幹線のホームが帰省ラッシュ並に人でいっぱいだった。
2011/06/24
冷やし雑炊
あまりにも大量に作りすぎてしまったので、残りをどんぶりに分けて、冷蔵庫にいれておいた。
その冷蔵庫にいれた雑炊を電子レンジで温めずにそのまま食ってみたら、けっこういけることがわかった。
ここのところ、うどんと雑炊ばっかり食っている。毎回味は変えているのだが、さすがに飽きてきた。
なぜうどんと雑炊ばっかり食っているのかというと、毎年恒例の夏バテ対策を実施したのである。
完全にバテる前に、バテたときと同じような生活をすることで、体調を整えようという算段だ。
これは風邪の予防のときにもよくやる。
風邪をひいていないくても、風邪をひいたときと同じくらい十分な栄養と休養をとる。
傍目には怠けているだけにしか見えないのが、つらいところだ。
昨日、阿佐ケ谷駅北口に新しくできた古本屋・コンコ堂に行ってきた。
音羽館で働いていた天野さんが、満を持して開店した店なのだが、期待以上にいい店だった。広くてきれいで本も揃っている。
天野忠の詩集や山田稔の小説がずらっと並んでいる姿は壮観の一言。渋い本だけでなく、読んで損はないとおもえるような本がずらっと並んでいる印象を受けた。
平日の夕方にもかかわらず、ひっきりなしにお客さんがやってくる。
阿佐ケ谷散歩の楽しみができて嬉しい。
夜は高円寺飲み。『本の雑誌』の宮里さんが、三輪正道さんから届いた郵便物をもってきてくれる。『黄色い潜水艦』が同封されていた。
今年の三月半ば以降、わたしは三輪さんの本を何度も読み返していた。
『泰山木の花』(編集工房ノア)の中に、阪神大震災のあと、本の整理もできず、なかなか小説やエッセイを読む気になれなかったと綴っている文章があって、すごく身にしみたのだ。
この本の「もだもだ日乗」という日記風の随筆も好きで、読んでいるうちに、他人とはおもえないような気分になる。
《今の私は仕事のストレスがとれたはずなのに、何か体全体の生気が失われたようで、歩くことも忘れ(万歩計が淋しく眠っている)文学への情熱も薄れがちだ。今は生きることへのリハビリのとき、とでも言うかのように、辛うじて生きている》
わたしもしょっちゅう「生きることへのリハビリのとき」をすごしている。低迷しているなとおもいながら、どうにかその状態を飼いならそうと、内心はいろいろあくせくしているのだが、やっぱり、怠けているだけにしか見えないのが、つらいところだ。
2011/06/16
無用な余白
当然、多くの人には有用でも自分には無用なものもある。
はたして自分が有用だとおもうものを共有できる人間はどのくらいいるのか。
世の中をよくしたいという気持がないわけではないのだが、社会が改善されても自分の生活がつまらなければ意味がない。逆に、社会がどんなにぐずぐずでも自分がそこそこ楽しく生きていけるなら、それはそれでわるくない気もする。
ただし、わたしが酒飲んで本読んでふらふらしていられるのも、世の中にとって有用な仕事をしてくれている人々がいるおかげだとおもうので、まあ、なるべく足をひっぱらないようには気をつけたい。
(……以下、『閑な読書人』晶文社所収)
2011/06/11
隠居願望
根をつめて仕事をすると、肩とか腰とかが痛くなる。二十代後半くらいから、こんな感じだった気もするが、それなりにガタがきているのだろう。
水曜日、西荻窪のなずな屋、古本酒場コクテイルに古本の補充してきた。古本のパラフィンがけ、値付をするのもひさしぶりだ。
『本の雑誌』の今月の特集「私小説が読みたい!」で岡崎武志さんと対談した。雑誌で岡崎さんと対談するのは、はじめてかも(※)。対談場所は高円寺のペリカン時代で五、六時間は喋ったとおもう。
とりとめもないことを考えたり、結論の出ないことをだらだら語り合ったりするのは楽しい。そういう時間をもっと作りたい。
自分の好きな文学が隠居系ということもあるかもしれない。
四十代になってしばらくして人生五十年と考えたとき、急に隠居願望がわきおこってきて困っている。世間でいえば、働き盛りということになるのだろうけど、どうもそういう気持にならない。
《私は、早く、隠居という身分になりたいと思っている》(山口瞳「隠居志願」)
このとき山口瞳、四十七歳。年齢は四十七歳だが、肉体年齢は六十歳をこえているような気がするという。
昭和の初期には、四十歳の男が酒場に入ってくると爺さんが来たという目で見られた。当時の四十歳は今の六十歳くらいに相当した。
《人生五十年と思いさだめて、ヤリタイコトヲヤルというのが男の一生なのではないか。そうやって、偶然に七十歳まで生きてしまったのが古稀であり、古来稀なりということになる》
わたしの隠居願望は、学生時代の下宿生活くらいの生活水準に戻せば、どうにかなりそうな気もする。仕事部屋をたたんで、今より家賃の安いところに引っ越せば……。
自分の思考が拡大ではなく縮小にどんどん向かっている。
楽になるのだが、無気力にもなる。
気をつけたい。
(※)ずいぶん前に『彷書月刊』で対談していたことをおもいだした。
2011/06/05
盛岡にて
その後もふらふら散歩。
この日の夕方、すでに万歩計の歩数は三万歩をこえていた。
開運橋ちかくのビジネスホテルに宿を決め、ちょっとだけ横になり、体力回復をはかって、桜山神社へ。
桜山商店街をぐるっとまわる。
どこもかしこも似たような町並になっていく中、わたしがくりかえし訪れる町は、たいていごちゃごちゃした路地がある。路地裏にはいると、秘境に迷いこんだような楽しさがある。一度や二度、行ったくらいでは、何もつかめない。だからまた行きたくなる。
昨年秋、この桜山商店街に、かけだしのフリーライター時代にお世話になった林みかんさんのみかんやというお店ができた。
連絡せずに訪れたら「急に来る奴」といわれる。
本名でもペンネームでもなく、わたしのことを昔のあだ名で呼ぶ人は、今ではみかんさんと学生時代からの友人の小郷永顕くらい。
「小郷はオープンの日に来たよ」
わたしと小郷はみかんさんの家でよくごちそうになった。
みかんさんのまわりには、田舎から出てきたばかりの世間知らずで空回りばかりしていた二人組をおもしろがってくれる面倒見のいい遊び人が集まっていた。
で、フリーライターになったら、こんなふうに朝も夜もなく、遊んでいられるんだ、と勘違いした。
人生の方向性のようなものは、たいてい勘違いで決まるのかもしれない。後は強引に、辻褄や帳尻を合わせるしかない。
それとおもいどおりにいかないことをどれだけ楽しめるか……。
ウィスキーから日本酒に切りかえたところで、フィービー・スノウの曲がかかる。
四月二十六日、五十八歳で亡くなった。
飲みながら、いろいろ昔話を拝聴する。
昔、みかんさんがニコニコ堂の長嶋康郎さんといっしょに活動していた話は初耳だった。
閉店後、同じく桜山商店街のCROSSROADというライブバーに連れていってもらったのだが、飲みすぎて眠くなってしまった。不覚。
盛岡から帰りの帰りの東京行きのやまびこの自由席は半額だった(六月十三日まで)。
2011/06/02
仙台に行って
お気楽な身の上でありながら、愚痴や不満をこぼしてばかりいるのは、どうなのかとおもう。どうなのかとおもうが、どうすればいいのかわからない。
五月末、東京駅から深夜バスで仙台に行った。扉野良人さんの誘いだった。バスは途中、佐野と安達太良のサービスエリアに止まった。降りる人は少なかったが、わたしは降りた。真っ暗なバスの中で、帰ってから書く予定の原稿を頭の中で考えていた。
早朝、火星の庭に着くと、おにぎりとお茶と布団が用意されていた。ありがたい。
この日の河北新報の一面は、前日の宮城沿岸を襲った大雨と強風の記事だった。
昨年十月に佐伯一麦さんの読書会で仙台に行っている。あれから半年以上経っている。この三年間くらい、二、三ヶ月に一度のペースで仙台通いをしていた。春、夏、秋、冬、どの季節に行っても、すごしやすい。食い物がうまい。くつろげる。
火星の庭で知り合った人たちと飲むのも楽しい。
昼すぎ、前野久美子さんの運転で塩釜、石巻、七ヶ浜を案内してもらう。
車の中から町を見ると、道一本、川ひとつ隔てて、津波に巻き込まれた場所、巻き込まれなかった場所が分かれている。
石巻の日和山公園から北上川の河口付近を見た。マルハニチロの建物があって、そのまわりは更地になっている。その更地の上にショベルカーやトラックがまばらに行き来している。
テレビの映像で何度も見た光景だったが、呆然とした。
七ヶ浜のほうは倒壊して家、横転した車が残っていた。屋根の上に船が乗っている。
前野さんの説明によると、このあたりは高級住宅地とのことだった。大きな家が多い。海がきれいで、関東でいうなら、湘南とか鎌倉とかの雰囲気に近い。
視覚からの情報でからだが重くなる。生まれてはじめての経験だった。
避難所で暮らす人が「仮設住宅ができたらすぐ出ていくから」という理由で不動産屋に部屋を貸してもらえないという話も聞いた。
夕方、仙台市内に戻ってきて、メディアテークの向いの喫茶ホルンに行った。三月はじめにオープンしたばかりのyumboの渋谷さんの店。お店をはじめてすぐ地震にあった。ひっきりなしにお客さんが来る。もう何十年も続いている店のような不思議な落ち着きのある店だった。またひとつ仙台に遊びに行く楽しみができた。
夜、扉野さんの知り合いの仙台在住で東北大学博士課程で数学を研究している学生と待ち合わせて、住宅街のアパートの一室で営業しているごはん屋つるまきに行く。店主は、版画家の若生奇妙子さん。お店のコンセプトは「ごはんのときだけシェアハウス」。
ごはん屋つるまきには、Book! Book! Sendai!のスタッフの人たちも集まっていた。
かねてから扉野さんと火星の庭の前野健一さんが似ているとふたりを知る人のあいだでは評判になっていたのだが、この日、念願の二ショットを見ることができた。顔だけでなく、表情やのんびりした雰囲気も似ている。
本人同士も「似てるとおもいます」といっていた。
日付が変わってしばらくして、コタツに入って手料理を食って、お酒を飲んでいるうちに、いつの間にか寝てしまった。楽しかったなあ。生きているからには楽しまなければ損だとおもった。
(……続く)