2009/11/23
休日
入江亜希『乱と灰色の世界』(エンターブレイン)は、魔法使いが出てくる庶民派ファンタジー。こういう才能、どこから出てくるのだろう、不思議だ。
勢いあまって入江亜希の『群青学舎』と『コダマの谷』(いずれもエンターブレイン)も再読する。新刊が出るたびに、毎回、同じことをやっている気がする。
日曜日、朝になっても眠くならないので、そのまま起き続けて、西部古書会館(二日目)。
うすだ王子、西部古書会館にふつうになじんできている。
手にとって中をぱらぱら見ていたら読んでみたくなった益田喜頓作曲『下町交狂曲』(毎日新聞社)、和田洋一、松田道雄、天野忠著『洛々春秋』(三一書房)が格安で売っていた。松山猛著『楽園紀行』(青英舎)は買ったあと、署名本だったことに気づく。
背表紙が汚れていたり、鉛筆の書き込みがあったりしたから安かったのかもしれない。カバーを化学スポンジできれいにして、書き込みをケシゴムで消して、パラフィン紙をかける。こうした作業がむしょうに好きなことを再認識にする。
(あと封筒にラベルを貼ったり、ハンコ押したりする作業なども好きだ)
このあいだ台所の壁紙の張り替えのときにリフォーム業者の手際のいい作業を見ていて、手伝いたくてうずうずした。はがしたい、壁。はりたい、壁紙。この欲望はなんなのか。
時間に比例して確実にはかどる作業(しかもその成果が目に見えてわかる)というのは、精神衛生によいのではないかという結論に達した。
家に帰ると、テレビで高円寺の雑居ビル火災のニュース。
何度も行ったことのある居酒屋(※1)が映る。
昼すぎに寝て夜八時ごろ起きる。
そのまま起き続けて、鬼子母神のみちくさ市を目指すつもり(客として)。
(※1)はじめ午前七時までと書いたが、午前十時まで営業していた。とにかく朝まで飲める店。
2009/11/20
sumusの近況
日曜日は、平出隆さんと扉野さんの師弟対談を見に行く。
大学時代、先生といわれる人とはまったく付きあいがなかったので、いいなあとおもいながら、話を聞いていた。平出さんは、扉野さんの先生というより、年齢不詳の年上の友人みたいな雰囲気だった。
旅をしているときのさまよい方というような話を交互に沈黙しながら、語りあっている姿が印象に残った。それにしても、卒業旅行で川崎長太郎の郷里(小田原)をたずねる企画をかんがえるとは……。
昨晩は高円寺の古本酒場コクテイルで岡崎武志さんと林哲夫さんのトークショー。
別の飲み会に参加していて、午後十一時すぎに。
南陀楼綾繁著『一箱古本市の歩きかた』(光文社新書)を読んで、この何年間の古本界隈の変遷、古本イベントなどで各地で知り合った人のことを次々とおもいだす。
一箱古本市がはじまり、全国で古本イベントがあっという間にひろまった。玄人素人関係なく、本を売る。本を通して、人と知り合う。本をとりまく環境が大きく様変わりしている。まちがいなく、一箱古本市はその震源地のひとつだ。
激変の渦中にいながら、記録を残し続け、全国各地を飛び回り、地道に継続させていくために動き回り……。
そんな南陀楼さんの活動の余波を受けた人はどのくらいいるのだろう。
『sumus』の同人になって十年予想外のことの連続だった。そのときどきは「こんなことやっていて何になるんだ」とおもうのだが、見切り発車ではじめてしまったことでも、三年後五年後十年後何かにつながっている……ということは時間が経ってみないとわからない。
予想外といえば、山本善行さんが古本屋をはじめたことか。
今となっては当然のなりゆきだったような気もするのだが、最初に話を聞いたときはほんとうにおどろいた。
2009/11/14
自販機的言論(三)
鮎川信夫は、毎週一本、嘆息をはき、脂汗をにじませながら短いコラムを書くことが、生活のリズムを作っていたと回想する。
また『時代を読む』の「読書週間を終えて」には、現代は、情報過多の時代だが、そのわりに人間が賢くなったようには見えないとも記されている。
《情報、情報、情報の連続で、考える力を奪われてしまっているのである。いや、「考え」さえも情報で、他人まかせになっている》
マスメディアが提供する「情報」や「考え」は、「インスタントなもの」と化しているから、それにふりまわされると、ますます考える力が失われてしまう、とも。
このコラムの初出は一九八二年十一月。今から二十七年前の話である。
今、情報は、さらに、よりインスタントで、よりコンパクトであることが求められるようになっている。そうした変化についていかないとまずいかなあ、とおもうこともあるのだが、「一得一失」という言葉が頭に浮び、なかなか実行できずにいる。
「自動販売機的な言論」の縮緬工場の女工のナレーションの話は、ちょっと考えればわかることを考えない人々にたいする批判である。
「考える力」がないのか。「考える時間」がないのか。それともその両方か。
時間をかけて、できるだけ正しい判断をする。しかし、時間をかけすぎれば、時機を逸し、判断自体が無効になってしまうこともある。
《規律は何程か自己改造の役に立つ》
鮎川信夫は、どんな「自己改造」を目指していたのか。早さと正確さを備えた思考を身につけることではないか。
(……続く)
2009/11/13
自販機的言論(二)
安易ではあるが、とるにたらないといえば、とるにたらない発言だ。
鮎川信夫の『一人のオフィス』は、一九六六年に『週刊読売』で連載していた。
「自動販売機的な言論」には「言論の正しさ」という言葉が出てくるが、最終回の題は「『たしかな考え』とは何か ある知識人にみるゆるぎない知性」である。
旬の話題をとりあげ、読者を楽しませたり、考えさせたりする時評というより、この連載では、鮎川信夫が自らの判断力、分析力を磨き、「たしかな考え」を身につけようとしていたのかもしれない。
《ペンを持てば書かんことを思い、なにがしの思いつきを気ぜわしく書きしるしていても、時に、すき間風のような虚無感におそわれることがある。内部がすっかり空洞化してしまっているのではないか、といった不安にさいなまれることがある》(「『たしかな考え』とは何か」)
鮎川信夫は、四十年前に書かれた津田左右吉の「日信」を読む。
《当時と今日とでは、ずいぶん世の中の状況が変わったはずである。それなのに、この中で津田氏が取り上げている問題の一々が新しく、今日でも深く考えさせられるものを含んでいる》
二〇〇九年現在からみれば、『一人のオフィス』も四十年以上前に書かれた本である。
鮎川信夫は、一九二〇年生まれだから、わたしよりだいたい五十歳くらい齢上なのだが、気がつくと、鮎川信夫が『一人のオフィス』を書いていたころの年齢に自分が近づきつつある。
前、読んだときよりも「内部がすっかり空洞化してしまっているのではないか」という一文に身をつまされた。
(……続く)
2009/11/12
自販機的言論(一)
あるテレビ番組で縮緬工場の女工の生活が紹介され、「縮緬を織る人は縮緬を着ることができません」というナレーションが流れた。
縮緬工場で働く女工は夫(大工)と共働きで、夫婦の収入は八万円(※当時、銀行員の初任給が三万円くらい)だから、いくらなんでも縮緬を着ることができないはずがない、という。
正確には、そのテレビを見た平林たい子が、ある雑誌の対談でそのことに言及し、それを読んだ福田恆存がある新聞でそのナレーションを「自動販売機的」と批判した。
ナレーションの原稿を書いた人は、女工の生活は苦しいという通念にとらわれているから、こんなおかしなコメントが出たのではないか。そこには言論の自由はあっても、通念に便乗した言論ばかりで「思考の自由」がない。
「言論の正しさ」は、「人の心を支配している錯覚、偏見、自己欺瞞と、どこまでたたかえるか」にかかっていると鮎川信夫はいう。
むずかしい問題だ。
ナレーターは「縮緬を織る人は縮緬を着ることができません」といっているのだが、「買うことができません」とはいっていない。ひょっとしたら、収入の問題ではなく、仕事が忙しくて着るひまがないといった意味かもしれない。
言葉の解釈なんてどうにでもなるなあ、というありきたりの感想をいって、お茶をにごしておく。
(……続く)
2009/11/11
外市後
うすだ王子とu-sen君の「古本若男子」対決も白熱していた。
このふたり、二年前のブックオカの一箱古本市ではお互いのことを知らずに古本を売っていたという縁もある。
平野威馬雄、西江雅之著『貴人のティータイム』(リブロポート、一九八二年刊)が買えたのは、うれしかった。
池袋往来座の店内で木山捷平著『斜里の白雪』(講談社、一九六八年刊)を買う。
わたしもダンボール八箱中三箱ちょっと売れた。
打ち上げを十時すぎにぬけて仕事する……つもりが、寝てしまい、朝五時に起きて、原稿を書く。
昼、高円寺南口散歩。都丸書店、アニマル洋子、古着屋をまわる。
そのあと中野のブロードウェイに漫画を売りに行ったら、某ジャンプ系の漫画(三十巻以上の揃い)の買い取りを断られ、泣く泣く持ち帰る。
そのかわりといってはなんだが、さいとう・たかをの『日本沈没』が予想外の値段で売れた。
四階の「記憶」の百円均一を見て、二階の古書うつつで、火野葦平著『河童七変化』(宝文館、一九五七年刊)を買う。
阿佐ケ谷時代の話もあり、中央線文献の資料として購入した。
火星の庭とコクテイルの補充本の値段付をする。肩がこる。風邪のひきはじめのちょっと手前くらいの感覚をおぼえたので葛根湯を飲んだ。
◆十一月十五日(日)は、西荻ブックマークで平出隆さんと扉野良人さんの師弟対談。すでに満員御礼のようです。
◆十一月十九日(木)は、コクテイルで岡崎武志さんと林哲夫さんのトークショー。岡崎さんと林さんがふたりで話をするのは、めずらしいかも。
◆十一月二十三日(月・祝)は、第四回 鬼子母神通り みちくさ市。
客として行きます。午前十時頃から午後四時。
(http://kmstreet.exblog.jp/)
◆十一月二十九日(日)は、高円寺のハチマクラでオグラさんとイトウサチさんのライブ、夜はコクテイルでアホアホ本の中嶋大介さんのスライドショーがあって、雑司ケ谷のキアズマ珈琲でPippoのポエトリーカフェ(今回のお題は尾形亀之助と草野心平)もある。
◇連載コラム「それはちがうとおもうんだけど……」(http://mixi.jp/view_community.pl?id=4626000)第二回を書きました。
2009/11/06
六平さんのイベント
神保町の東京堂書店で中川六平さんのトークショーがあります。わたしも見に行く予定です。
◆中川六平氏トークショー『ほびっと 戦争をとめた喫茶店 ベ平連 1970-1975 in イワクニ』講談社
出版記念講演会 中川六平(なかがわ・ろっぺい) 1950年新潟生まれ。同志社大学卒業。大学時代ベ平連活動に参加。在学中、哲学者・鶴見俊輔さんと出会う。75年、東京タイムズ入社。85年退社後、ライター、編集者となる。著書に『「歩く学問」の達人』(晶文社)、『天皇百話』(上・下巻、鶴見俊輔共著、ちくま文庫)がある。また、晶文社の編集者として『ストリート・ワイズ』(坪内祐三)、『月と菓子パン』(石田千)、『全面自供』(赤瀬川原平)、『小沢昭一随筆隋断選集』全6巻などを担当した。
中川六平さんは京都の学生時代、ベ平連の活動として山口県岩国市で「ほびっと」という反戦喫茶店のマスターを二年間していました。『ほびっと 戦争をとめた喫茶店』(講談社)は、その活動に関わっていく1970年から、去っていくまでの日々を描いた作品です。 ひとりの青年が、それまで縁も所縁もない土地「基地のある場所」へやってきて、地元で生活しているひとたちの中で自分たちの思想を表現し行動する。それはどんなことか。 〈ベ平連〉とは、〈反戦〉とは、70年代とは——。 飾らずに描かれた日常は真正面から気持ちに飛び込んできます。 当時の話から現在まで、中川六平さんのお話をぜひお楽しみください。
★11月7日(土) 15:00〜17:00(開場14:45)◇場所:東京堂書店本店6階(東京都千代田区神田神保町1-17)
☆参加費:500円 ご予約、お問い合わせは東京堂書店1階カウンターにて
2009/11/04
それはちがうと……
わたしがメールで担当のT氏に原稿を送り、アップしてもらうという方式をとっています。
タイトルもT氏との酒の席でなんとなく決めました。
第一回は身辺雑記風ですが、徐々に話題をひろげていきたいとおもっています。
夜、外市の集荷。昨日一日ひたすら本の値付けとパラフィンがけ。二百五十冊以上出品しています(五百円以下の本が全体の七割くらい)。
「外、行く?」
第17回 古書往来座「外市」
2009年11月7日(土)・8日(日)
7日(土)⇒11:00ごろ〜19:00(往来座店内も同様)
8日(日)⇒12:00〜18:00(往来座店内も同様) 雨天決行
今回のメインゲストは、BOOKONNと文壇高円寺(拡大版)です。
詳細は、わめぞblog(http://d.hatena.ne.jp/wamezo/)にて。
2009/11/03
京都
木曜日、アルバイトを抜け出して神保町。神田古本まつりに行く。蔵書整理月間のため、さっと流す程度に見るつもりが、唯一持っていなかった十返肇の新書があった。それでスイッチが入り、棚ひとつひとつ立ち止まって見まくることに。
今年は例年より安いかんじがした。三省堂古書館にも寄る。平日の午後四時くらいだったが、けっこうお客さんがいた。四階までのぼったからには手ぶらでは帰りたくない。初来店を記念して、二冊ほど買う。
土曜日、小さな古本博覧会をのぞいてから、神保町へ。映画のエキストラ。岡崎武志さん、浅生ハルミンさん、宮里潤さんも出演。短いシーンなので、三十分くらいで終わるかとおもったら三時間以上かかった。
翌日、京都。古書善行堂のオープンニングパーティー。岡崎武志さんによる看板制作、sumus同人(山本善行、岡崎武志、扉野良人、わたし)の座談会。古本の競りなどもやった。オークションには山川方夫著『その一日』(文藝春秋)の署名本(串田孫一宛)と天野忠著『その他大勢の通行人』(永井企画出版)を出品した。山本さんの店は「見たことないなあ」という本がいっぱいある。しかも安い。京都に行ったら、寄ってほしい。 出町柳から途中に古本屋もけっこうあるし、ガケ書房(古本コーナーも新刊書店とはおもえないくらい充実しています)もすぐ近く。
途中、善行堂から歩いて十分くらいのところにあるカフェ・ド・ポッシュに行く。ちょうど「音楽と本と人」というイベントがあり、店内で古本市も開催していた。再び、善行堂に戻り、近くの飲み屋(?)で打ち上げ。そのあと扉野さんとまほろばへ。二十二周年記念のパーティーをやっていた。扉野家に宿泊。赤ちゃんがいた。不思議なかんじ。
翌朝、またしても扉野家の猫を逃がしてしまう。鍵をかけないと戸を開けて出ていってしまうのだが、完全に忘れていた。申し訳ない。百万遍の古本まつりで、岡崎さんと会う。昼食後、思文閣の古本市をのぞいてから、六曜社に寄り、高島屋の地下で調味料(お酢、ごまだれ、ゆず七味など)を買って東京に帰る。