八月中旬ごろ、秋花粉の兆候がすこしあったのだけど、その後、ぴたりとおさまっていた。「あれ、治ったのかな」とおもっていたところ、今週のはじめにやっぱりきた。
漢方の小青龍湯を飲みながら、仕事をする。
火曜日、昼間、打ち合わせで神保町。神田伯剌西爾。不定期だけど、某出版社PR誌で連載をすることになりそう。そのあとダイバーの「ふるぽん秘境めぐり」に行く。最終日手前だったけど、けっこういい本が残っていた。
ある数行のためだけに中井英夫の『銃器店へ』(角川文庫)を買う。
夜、西荻窪の友人が働いている飲み屋に行くと定休日だった。そのまま南口のスコブル社に行くと、有本倶子編『山田風太郎疾風迅雷書簡集』(神戸新聞総合出版センター、二〇〇四年)があった。
数日前にアマゾンで買うかどうか迷っていた本だ。
そのあと「昼本市」でおなじみの柳小路通り飲食街の夜九時半開店の古本も売っている「ethica(エチカ)」で軽く飲む。二回目。いつやっているのか知らなかった。狭い店だけど、二階もあり、ハートランドさんの古本を置いているそうだ。ひさびさにマッカランを飲んだ。
昨日もまた神保町。ねじめ正一の『荒地の恋』(文藝春秋)が発売されていた。北村太郎と田村隆一の「あのこと」も出てくる。もちろん鮎川信夫も出てくる。傑作の予感。月末の『サンパン』の原稿を書きおえてから、ゆっくり読みたい。
それから来月、京都のまほろばで飲み友だちの手回しオルガンミュージシャン、オグラさんのライブと古本のイベントがあります。
オルガンとフルホン part2
(オグラの単身赴任ツアー)
●10月8日(月・祝)
会場 京都 まほろば
◇京阪出町柳駅下車徒歩15分または京都バス蓼倉橋下車徒歩すぐ
〒606-8103
京都市左京区高野西開町15(北大路川端下ル400m) ニシキマンション1F
TEL 075-712-4191
開演:19:30〜
チャージチャージ1200円+order
★昼間(12:30〜17:30)店前ガレージにて「まほろば秋の古本市」を開催。
参加者:Mr. オルガ、荻原魚雷、貸本喫茶ちょうちょぼっこ、萩書房、山崎書店、cafe de poche modernjuice古書部 、小山さん、イノウェイ、BOOKONN、すむーす堂、ガケ書房、stockroom、ゆうぞうさん、ふくちゃん、トンカ書店、全適堂、トランプ堂、アトリエ箱庭、堀部篤史(恵文社)、山本善行堂。
……そうそう、このイベントは扉野良人さんの企画です。
それから今日から早稲田の青空古本祭。わたしは初日、午前中から行く予定。
あと立石書店でも「第1回 わめぞ青空古本祭」があるそうだ。
■日時
9月27日(木)〜10月2日(火)
11:00〜19:00ごろ(初日20時まで!)
■場所
立石書店 店内一部棚(穴八幡宮本殿側出口すぐ下)
■参加者
外市ブラザーズ
古本けものみち(南陀楼綾繁)/ふぉっくす舎/退屈文庫(退屈男)/旅猫雑貨店/リコシェ/古書往来座/bukuぶっくす/朝/Y's/
■主催・立石書店/後援・わめぞ
これも行かないと。アルバイトの帰りにできれば寄りたい。
2007/09/23
斎藤古本屋
先週の西荻窪の「昼本市」で、山田風太郎の『風眼抄』(六興出版)を買った。中公文庫版はもっていたのだが、六興出版小B6シリーズは、なぜか所有欲をそそられる。
この『風眼抄』には、「ある古本屋」というエッセイがある。山田風太郎のエッセイの中でも、好きな作品だ。
山田風太郎は「斎藤古本屋」から本を買っていた。
《斎藤古本屋といっても、そういう古本屋の店があるわけではない。たった一人のかつぎ屋である。私のところばかりでなく、あちこちの作家のところへ出入りしていたようだから、御存知の方は御存知かも知れない》
この古本屋は、青森県生まれで、山田風太郎よりも十何歳か年上。少年時から神田の古本屋の小僧をし、戦中はシベリアに出征し、戦後、ずっと店を持たず、ひとりで古本を仕入れては、作家や学者の家に訪問販売し、生計を立てていたそうだ。
「斎藤古本屋」は、山田風太郎に昼食はコッペパンだけだといった。
《終戦からしばらくの間、私はまだ学生で間借り、向こうはコッペパンの付きあいであったが、そのうち私が独立して家を持ち、十年ごとに書庫が倍の広さにひろがってゆくのを、彼はわがことのようにうれしそうに眺め、かつ、ときに憮然たる表情になっていることもあった》
わたしは古本のかつぎ屋という商売のやり方があることを、このエッセイではじめて知った。
何十冊もの本を風呂敷で包んで売り歩く。
さすがに今、こんな古本屋さんが家に来たら、びっくりするだろう。
古本のかつぎ屋だったおじさんは、何冊くらい本を持ち歩いていたのだろうか。一日何軒くらいの家をまわっていたのだろうか。
このおじさんにキャスター付のカバンをプレゼントしたい気持になった。
今月は山田風太郎エッセイの読書月間みたいになってしまったが、徐々に、からだにその感覚が作用しはじめているようだ。すくなくとも、酒量は増えた。
ただ山田風太郎の座右の銘の「やりたくないことはやらない」という方針は、今の生活には適用できそうにない。
やらなければ滞ってしまうことを片付けた後のすっきりした気分はけっこういいものだ。そんなふうに無理やり自分に言い聞かせながら、この連休も仕事する。
ちょっと荷物を軽くしたい気分である。
この『風眼抄』には、「ある古本屋」というエッセイがある。山田風太郎のエッセイの中でも、好きな作品だ。
山田風太郎は「斎藤古本屋」から本を買っていた。
《斎藤古本屋といっても、そういう古本屋の店があるわけではない。たった一人のかつぎ屋である。私のところばかりでなく、あちこちの作家のところへ出入りしていたようだから、御存知の方は御存知かも知れない》
この古本屋は、青森県生まれで、山田風太郎よりも十何歳か年上。少年時から神田の古本屋の小僧をし、戦中はシベリアに出征し、戦後、ずっと店を持たず、ひとりで古本を仕入れては、作家や学者の家に訪問販売し、生計を立てていたそうだ。
「斎藤古本屋」は、山田風太郎に昼食はコッペパンだけだといった。
《終戦からしばらくの間、私はまだ学生で間借り、向こうはコッペパンの付きあいであったが、そのうち私が独立して家を持ち、十年ごとに書庫が倍の広さにひろがってゆくのを、彼はわがことのようにうれしそうに眺め、かつ、ときに憮然たる表情になっていることもあった》
わたしは古本のかつぎ屋という商売のやり方があることを、このエッセイではじめて知った。
何十冊もの本を風呂敷で包んで売り歩く。
さすがに今、こんな古本屋さんが家に来たら、びっくりするだろう。
古本のかつぎ屋だったおじさんは、何冊くらい本を持ち歩いていたのだろうか。一日何軒くらいの家をまわっていたのだろうか。
このおじさんにキャスター付のカバンをプレゼントしたい気持になった。
今月は山田風太郎エッセイの読書月間みたいになってしまったが、徐々に、からだにその感覚が作用しはじめているようだ。すくなくとも、酒量は増えた。
ただ山田風太郎の座右の銘の「やりたくないことはやらない」という方針は、今の生活には適用できそうにない。
やらなければ滞ってしまうことを片付けた後のすっきりした気分はけっこういいものだ。そんなふうに無理やり自分に言い聞かせながら、この連休も仕事する。
ちょっと荷物を軽くしたい気分である。
2007/09/07
風太郎一過
関東に台風が上陸中、山田風太郎を読む。頭がぼーっとする。背中がだるい。中学三年生のときに自転車で転んだ。そのときにできた左足のひざの傷が痛くなる。
《文壇とは縁を持たない巨匠、生まれながらの反近代主義者、そして学ぶべき戦中派》
関川夏央は『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)の中で山田風太郎のことをそう評した。
布団の上に横たわったまま、数頁読んでは、テレビの台風情報をぼーっと見る。本来、ごろごろしながら、本を読むのは楽しいはずなのだが、集中力が欠如しているとあんまりおもしろくない。
でも山田風太郎の晩年のインタビュー三部作を読むときは、膜がかかったような、ぼんやりした頭で活字を追うのもわるくない。インタビューだから、読もうとおもえば、さくさく読める。一冊読むのに二時間もかからない。でも『ぜんぶ余禄』(角川春樹事務所)はどういうわけかなかなか読み進めることができない。
それで寄り道して『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)を読んだのだが、そこでおもいがけず、山田風太郎の次の言葉に出くわした。
《ぼくは山本夏彦さんを尊敬しているんだよ。昔、辻潤や武林無想庵のことを小説に書こうと思ったことがある。戦前戦中のあんな時代に、われわれとは全然別の人生を送った男たちがいる。そこにひかれたのだが、山本さんが当時そういった人々のごく身近におられたとは知らなかった。で、傑作『無想庵物語』を書かれたので、あきらめたわけだ》
この夏、わたしは山本夏彦の全著再読を試みていたのだが、仕事が忙しくなって、中断していた。
山本夏彦のコラムは、鮎川信夫、田村隆一といった「荒地」の詩人も愛読していた。学生時代にお世話になっていた玉川信明さんからも「山本夏彦は読んだほうがいいですよ」といわれたことがある。
もちろん本になっているものはことごとく読みあさり、たちまち夢中になった。
二十五歳のときに手紙を出して、会いにいったこともある。そのとき『ダメの人』(中公文庫)のサイン本をもらった。
山田風太郎のこの発言は、読んだはずなのに完全に忘れていた。
次は山本夏彦の再読だ、と心に決める。
その前に『ぜんぶ余禄』は読みきろうとおもっているが、語られている内容は『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)とかなり重複している。
*
一夜明け、今日もまた早起する。
台風の被害はおもったほど大きくなかったようだ。
台風のニュースが気になるのは、子どものころ住んでいた長屋がしょっちゅう雨漏りしたせいかもしれない。あと停電もよくあった。
『ぜんぶ余禄』は、とりあえず読了したが、読んだはしから内容を忘れてしまうような本だとおもった。
色川武大の『怪しい来客簿』は読みましたかとの質問に山田風太郎は「なんだかよくわからなかったな。みんな、わかったのかな」と答えているのがおもしろかった。
結局、自分の関心のあることしか頭に残らないということか。
《文壇とは縁を持たない巨匠、生まれながらの反近代主義者、そして学ぶべき戦中派》
関川夏央は『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)の中で山田風太郎のことをそう評した。
布団の上に横たわったまま、数頁読んでは、テレビの台風情報をぼーっと見る。本来、ごろごろしながら、本を読むのは楽しいはずなのだが、集中力が欠如しているとあんまりおもしろくない。
でも山田風太郎の晩年のインタビュー三部作を読むときは、膜がかかったような、ぼんやりした頭で活字を追うのもわるくない。インタビューだから、読もうとおもえば、さくさく読める。一冊読むのに二時間もかからない。でも『ぜんぶ余禄』(角川春樹事務所)はどういうわけかなかなか読み進めることができない。
それで寄り道して『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)を読んだのだが、そこでおもいがけず、山田風太郎の次の言葉に出くわした。
《ぼくは山本夏彦さんを尊敬しているんだよ。昔、辻潤や武林無想庵のことを小説に書こうと思ったことがある。戦前戦中のあんな時代に、われわれとは全然別の人生を送った男たちがいる。そこにひかれたのだが、山本さんが当時そういった人々のごく身近におられたとは知らなかった。で、傑作『無想庵物語』を書かれたので、あきらめたわけだ》
この夏、わたしは山本夏彦の全著再読を試みていたのだが、仕事が忙しくなって、中断していた。
山本夏彦のコラムは、鮎川信夫、田村隆一といった「荒地」の詩人も愛読していた。学生時代にお世話になっていた玉川信明さんからも「山本夏彦は読んだほうがいいですよ」といわれたことがある。
もちろん本になっているものはことごとく読みあさり、たちまち夢中になった。
二十五歳のときに手紙を出して、会いにいったこともある。そのとき『ダメの人』(中公文庫)のサイン本をもらった。
山田風太郎のこの発言は、読んだはずなのに完全に忘れていた。
次は山本夏彦の再読だ、と心に決める。
その前に『ぜんぶ余禄』は読みきろうとおもっているが、語られている内容は『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)とかなり重複している。
*
一夜明け、今日もまた早起する。
台風の被害はおもったほど大きくなかったようだ。
台風のニュースが気になるのは、子どものころ住んでいた長屋がしょっちゅう雨漏りしたせいかもしれない。あと停電もよくあった。
『ぜんぶ余禄』は、とりあえず読了したが、読んだはしから内容を忘れてしまうような本だとおもった。
色川武大の『怪しい来客簿』は読みましたかとの質問に山田風太郎は「なんだかよくわからなかったな。みんな、わかったのかな」と答えているのがおもしろかった。
結局、自分の関心のあることしか頭に残らないということか。
2007/09/06
台風と風太郎
台風九号接近。朝六時すぎに外に出ると、ものすごい湿度。コンビニで煙草を買い、店を出たとたん、眼鏡がくもって前が見えなくなる。
いつもならこれから寝る時間なのだが、今日は早起してしまった。台風、雷の日は生活リズムがおかしくなる。
山田風太郎読書週間はまだ続いている。といっても、小説ではなく、晩年の聞き書やエッセイばかりなのだが、作家としてどうこうではなく、「あ、これでいいのか」とおもわせてくれるような、とぼけた発言がたくさんあって、読んでいるうちにこんがらがった考えがすっきりしてくるのだ。
山田風太郎の『いまわの際に言うべき一大事はなし。』(角川春樹事務所)には、パーキンソン症候群にかかって入院中も、ずっと煙草を吸い続け、酒を飲んでいた話が出てくる。
《酒を飲む、タバコをのむのが良くないといわれても、これで七十五まで生きてきたんだから(笑)。七十五にもなれば、いろんな病気が出るのは当り前だと、僕は思っているから》
髪をとかしたことがない、歯は一週間に一遍しか磨かないとも書いている。
あとインタビュアーが司馬遼太郎や遠藤周作、丸山真男のことを聞くと、「読んでいない」とか「そういうのに僕は全く縁がないんですよ」とか、どうでもよさそうに答えている。
《しかし、自分でもよくこれで小説家を続けてきたものだと思う。現代作家のものをまったく読まずに……》
考えてみるまでもなく、何でも知っていて万能である必要なんてまったくないのだ。
山田風太郎は人間あるいは歴史にたいするゆるぎのない認識のようなものを身につけていて、それですべてをまにあわせているようなところがある。
中学生時代に、学校で禁止されていた映画を見て、ヨーロッパの文学を多読したという。
《僕はそれを元手にして一生食っているようなもんだ(笑)》
もちろん、どこまでホントかどうかはわからない。戦中の日記を見ても、山田風太郎の読書量は、半端ではない。芸事やスポーツは十代のころに才能、それからその才能がどこまで伸びるかということが決まってしまうような気がする。せいぜい二十代前半までか。
といっても、何もしなければ、どんどん鈍ってしまう。知識を増やのではなく、もっと根幹の、思考力とか感覚とかを鍛える方法はないものか。
なにをすればいいのかわからなくなっている。
明日は『ぜんぶ余禄』(角川春樹事務所)を読むことにする。
いつもならこれから寝る時間なのだが、今日は早起してしまった。台風、雷の日は生活リズムがおかしくなる。
山田風太郎読書週間はまだ続いている。といっても、小説ではなく、晩年の聞き書やエッセイばかりなのだが、作家としてどうこうではなく、「あ、これでいいのか」とおもわせてくれるような、とぼけた発言がたくさんあって、読んでいるうちにこんがらがった考えがすっきりしてくるのだ。
山田風太郎の『いまわの際に言うべき一大事はなし。』(角川春樹事務所)には、パーキンソン症候群にかかって入院中も、ずっと煙草を吸い続け、酒を飲んでいた話が出てくる。
《酒を飲む、タバコをのむのが良くないといわれても、これで七十五まで生きてきたんだから(笑)。七十五にもなれば、いろんな病気が出るのは当り前だと、僕は思っているから》
髪をとかしたことがない、歯は一週間に一遍しか磨かないとも書いている。
あとインタビュアーが司馬遼太郎や遠藤周作、丸山真男のことを聞くと、「読んでいない」とか「そういうのに僕は全く縁がないんですよ」とか、どうでもよさそうに答えている。
《しかし、自分でもよくこれで小説家を続けてきたものだと思う。現代作家のものをまったく読まずに……》
考えてみるまでもなく、何でも知っていて万能である必要なんてまったくないのだ。
山田風太郎は人間あるいは歴史にたいするゆるぎのない認識のようなものを身につけていて、それですべてをまにあわせているようなところがある。
中学生時代に、学校で禁止されていた映画を見て、ヨーロッパの文学を多読したという。
《僕はそれを元手にして一生食っているようなもんだ(笑)》
もちろん、どこまでホントかどうかはわからない。戦中の日記を見ても、山田風太郎の読書量は、半端ではない。芸事やスポーツは十代のころに才能、それからその才能がどこまで伸びるかということが決まってしまうような気がする。せいぜい二十代前半までか。
といっても、何もしなければ、どんどん鈍ってしまう。知識を増やのではなく、もっと根幹の、思考力とか感覚とかを鍛える方法はないものか。
なにをすればいいのかわからなくなっている。
明日は『ぜんぶ余禄』(角川春樹事務所)を読むことにする。
2007/09/03
第4回「外市」を終えて
最近、あんまりゆっくり古本屋めぐりをしていない。中古レコードもほとんど買っていない。
古本屋や中古レコード屋めぐりには、たっぷり時間をかけて探し、すこしでも安く買うというのがその醍醐味なのだが、仕事に追われて、日中おもうように歩き回れなくなると、なかなかそうもいかない。
その分、古本イベントになると、衝動買いしてしまうのである。
池袋の往来座「外市」の初日。この日も午後から仕事がはいっていたのだが、本やら雑貨やらを見て、手にとっては棚に戻しをくりかえしながら、気がつけば、いっぱい本を買っていた。
本だけでなく、「旅猫雑貨店」のアルミの洗濯ばさみ、「kika zakka」でベトナムのカバン、あと「上り屋敷」が出品していた三葉虫の化石も……。
二日目は、にわとり文庫さんの「王将こけし」を買う。
将棋盤の上にこけしがいて、そのこけしが王将の駒を支えているというシュールな置物なのだが、案の定、家に帰ると「なんでこんなの買ってきたの」と妻に怒られる。
今回の二日間の売り上げは一万三千五百円(三六冊)。往来座の瀬戸さんが制作した「三面キューブ」バージョンの「ホンドラ」を搭載した新型「ホンドラベース」のおかげか、前回ほど追加補充をしなかったのに、同じくらいの金額になった。
打ち上げ会場は、武藤良子さんの個展「茫々」も開催中(〜九月八日)のブックギャラリーポポタム。
「ふぉっくす舎」さんの料理と自家製梅酒(七年もの)がうまくてびっくりした。
NEGIさん店できるよ。
ポポタムの外で喫煙組と今後の「外市」で何を売るのか作戦会議をする。
なぜか「時代は雑貨だ」という話になる。
わたしも次回は本じゃないものを売ってみようかな、とおもっている。
古本屋や中古レコード屋めぐりには、たっぷり時間をかけて探し、すこしでも安く買うというのがその醍醐味なのだが、仕事に追われて、日中おもうように歩き回れなくなると、なかなかそうもいかない。
その分、古本イベントになると、衝動買いしてしまうのである。
池袋の往来座「外市」の初日。この日も午後から仕事がはいっていたのだが、本やら雑貨やらを見て、手にとっては棚に戻しをくりかえしながら、気がつけば、いっぱい本を買っていた。
本だけでなく、「旅猫雑貨店」のアルミの洗濯ばさみ、「kika zakka」でベトナムのカバン、あと「上り屋敷」が出品していた三葉虫の化石も……。
二日目は、にわとり文庫さんの「王将こけし」を買う。
将棋盤の上にこけしがいて、そのこけしが王将の駒を支えているというシュールな置物なのだが、案の定、家に帰ると「なんでこんなの買ってきたの」と妻に怒られる。
今回の二日間の売り上げは一万三千五百円(三六冊)。往来座の瀬戸さんが制作した「三面キューブ」バージョンの「ホンドラ」を搭載した新型「ホンドラベース」のおかげか、前回ほど追加補充をしなかったのに、同じくらいの金額になった。
打ち上げ会場は、武藤良子さんの個展「茫々」も開催中(〜九月八日)のブックギャラリーポポタム。
「ふぉっくす舎」さんの料理と自家製梅酒(七年もの)がうまくてびっくりした。
NEGIさん店できるよ。
ポポタムの外で喫煙組と今後の「外市」で何を売るのか作戦会議をする。
なぜか「時代は雑貨だ」という話になる。
わたしも次回は本じゃないものを売ってみようかな、とおもっている。
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