2011/09/27

小休止

 岡崎武志さんとの西荻ブックマークは無事終了。
 言葉につまるたびに、岡崎さんが何度となく助け船質問を繰り出してくれて、話やすかった。すこし前に『本の雑誌』で岡崎さんと対談したときもそうおもった。

 今回のトークショーでは、インタビューの仕事の話になった。アポイントの電話で緊張する。会いに行く途中でおなかが痛くなる。いざ会ってみると、まったく話がはずまない。かけだしのライター時代のわたしはそんなことの連続だった。

 向き不向きというより、対人関係における基本能力が欠落しているのかもしれない。

 話がうまい人は、人の話を受け止める技術がすごく高い。インタビューや対談、ふだんの人間関係でも場数を踏み、様々なことを学ぶ。ところが、苦手意識が強すぎると、その場数をふむことを避けてしまう。だから、いつまで経っても経験値が上がらない。

 苦手なことはしない方向で努力してきたのだけど、ちょっと変えていきたい。

             *
 疲れがたまってきたとき、(時間に余裕があれば)すこしだけ手間をかけた料理を作ると気持が落ち着く。

 ここ数年、鳥がらスープを作ることに凝っている。ただ骨付の鳥肉(あるいはフライドチキンの残り)を煮込むだけなのだが、そのあいだ、火加減の調節に専念し、無心になれるのがいい。
 味が薄いときは市販の鳥がらスープの素を足して調節する。
 鳥がらスープができたら、野菜を煮込み、ラーメンにしたり、雑炊にしたりする。
 仕上げのとき卵は、先にスープをすこし卵とまぜて温めからいれる。そうすると、ふわっとしたとき卵ができる。正しい方法かどうかは知らないが、昔からそうしている。

 震災後、「日常を取り戻す」という言葉をよく目にした。わたしも似たようなことを考えていた。今は「日常を見つめ直したい」という気持に傾いている。

 効率よく家事や仕事をすることへの興味が薄れている。

2011/09/24

約半年後 その五

 震災から半年もすれば、あるていど原発事故の現状を正確に把握できるようになるとおもっていた。
 悲観せず、体調を維持し、仕事ができるだけの余力を残すことを優先してきた。うまくできたかは別として。

 水や食べ物に関しても、専門家の意見はわかれる。
 今の状況では、いくら風評被害だといっても、不安をおぼえる人は後をたたないだろう。
 科学知識のない人間にとっては、どの専門家を信用すればいいのかという問題になる。すくなくとも、わたしは自分の判断に自信がないときは、慎重論を採択しがちだ。もし自分の判断がまちがっていたとしても、なるべく被害を少なくしたいからだ。

 半年もすれば、妥当な判断ができるようになっているだろう。
 予想は外れた。
              *
 原発は失敗だった。事故の被害はあまりにも大きすぎる。処理方法のわからない放射性の廃棄物を後世に残すことも肯定できない。
 そもそも地震国に安全な原発を作ることは無理だったのである。

 といっても、原発は莫大な金や時間を費やしてきた国策である。推進してきた立場からすれば、そう簡単に失敗を認めるわけにはいかない。

 わたしたちの社会には、引き返したり、途中でやめたりすることは、よくないという価値観がある。
 まちがった選択をしても、行けるところまで行こうとしてしまう。わたしも失敗を認めないことに関しては、他人のことをとやかくいえない。

 遠回りかもしれないが、原発をなくすには、あやまちを認め、撤退しやすい空気を作ることも必要なのかもしれない。

 強い反対と弱い反対もあれば、強い賛成と弱い賛成もある。
 わたしは弱い反対、あるいは弱い賛成の立場を大切にしたい。
 強い反対が、弱い反対を批判する。そうすると、弱い反対は、中立(関わりたくない)、あるいは弱い賛成に傾いてしまうこともある。

・弱腰で保身で優柔不断な意見を穏やかに受け入れること。
・敵対する意見を頭ごなしに否定しないこと。

 二十年前に運動に関わっていたとき、わたしはその逆のことばかりやってしまった。
 失敗だったとおもっている。

(……続く) 

2011/09/22

約半年後 その四

 いつの間にか、震災前とほとんど変わらない生活に戻りつつある。古本を読んで、酒を飲んで、ぐうたらしている。照明が薄暗く、商品が品薄だったスーパーの記憶もしだいに薄れてきた。

 元通りになるのは喜ばしいことなのかもしれない。でも元通りになっていいのかともおもう。習慣に抗うことなく、押し流される日々をすごしている。自分の意志で生活を変えることのむずかしさを痛感する。

 三月から五月にかけて仕事が減り、あらためて自分の生活基盤の脆さに直面し、うろたえてしまった。
 マンションの壁にひびが入り、余震のたびにそれが大きくなる。
 工事は五月下旬の予定だったが、大きな地震がきたら、どうなるかわからない。
 散乱した蔵書の片付けも終わっていない。
 落ちてきた本を元に戻しても、また地震がきたら落ちてくる。

 そのころ毎週のように雑誌では「首都圏のホットスポット」といった特集を組まれていた。
 
 同業の友人は「(放射性物質の影響は)いずれは光化学スモッグみたいかんじになっていくんじゃないかな」といっていたが、今のわたしの実感もそれと近い。
 性格、年齢、子どもがいるいない、あるいは原発からの距離によって、事故の受け止め方、危機意識の個人差がある。この先、もっとバラバラになっていくだろう。

 過度に心配しすぎることは精神衛生上よくない気もするし、レベル7の事故が起って何事もなくすむとも考えにくい。

(……続く)

2011/09/20

約半年後 その三

 メルトダウンはしていない。放射能はもれていない。チェルノブイリとはちがう。ただちに影響はない。
 今回の原発事故の報道はあまりに稚拙すぎるとおもった。すくなくとも四十数年生きてきて、こんなに不信感がつのった報道は記憶にない。

 地震、原発事故があって、水道水、食物から放射性物質が検出された。
「まさか生きているうちにこんな時代がくるとは」とおもった人も少なくないはずだ。

 この先、生活にかまけて記憶は薄れていくかもしれないけど、わたしは「原発はもうこりごりだ」とおもった。原発に依拠しない生活ができるのであれば、多少の不便はがまんしてもいい。
 わたしの感情に根ざした意見は、少数派の極論ではないと考えている。
 震災と原発事故がもたらした価値観の変化を読み誤ることは、仕事を続けていく上で、致命傷になりかねない。
「興味がない」「自分の専門ではない」と距離をとるという手もある。でもそうした安全策自体、時代の価値観と合わなくなるかもしれない。

 世の中とは無関係に、ひたすら趣味に耽溺する生き方は、それなりに社会が豊かじゃないと成立しない。
 その前提はぐらついてきているし、この先、もっと不安定になるだろう。

 震災と原発事故は、東京一極集中の負荷がはっきりと露呈したとおもう。
 おかしいおかしいとおもいながら、わたしは都市生活の利便性を享受し、この社会を容認してきた。

 原発事故のニュースを見ながら、「いつまで東京に住んでいられるのか」ということばかり考えていた。

(……続く)

2011/09/16

約半年後 その二

 四月、五月、かなり気持が不安定になっていた。ただ、その不安定さを自覚できていたことは幸いだった。
 本が読めず、文章も書けず、自分のやっていることが無意味におもえ、気持が沈みがちだった。

 二十歳前後、反原発運動に参加していた。その後、運動の世界から離れ、原発に関していえば、賛成ではなかったが、無関心になった。
 推進派は利権、反対派は理想のために戦う。どんなにその危険性を唱え、原発が低コストではないといっても、無駄だとおもった。

 賛成か反対か、そうした議論は平行線をたどる。それだけではなく、同じ賛成同士、同じ反対同士でも小さな差異を見つけていがみあう。
 そういう場所にいることに疲れてしまった。
 賛否が分かれるような議論にはなるべく関わらず、趣味の世界で生きていきたいとおもっていた。

 震災後、インターネットの原発関係の議論を見ていたとき、東北と関東、あるいは関東と関西といった土地に住む人同士が、罵り合う文言をたくさん目にした。インターネット上では珍しくないことかもしれないが、読んでいてつらかった。

 友人知人と会っても、政治や宗教同様、原発の話題はあまりしないようにしていた。
 文章にすることにもためらいがあった。

 まず自分がどうするかを考えよう。
 いざとなったら、いつでも引っ越せる準備をしておこう。マンションにかなり大きなひびが入り、雨もりもした。
 今度、大きな地震がきたら、どうなるのか。
 あと水道水が飲めず、洗濯物が外に干せないくらいひどい状況になったら、都内に住んで安くはない家賃を払うのはアホらしいなとおもった。

 幸いそうはならなかった。でも三月中は判断ができなかった。
 それから四月下旬ごろ、浜岡原発停止のニュースを聞いて、これで新規の原発もできなくなるだろうし、脱原発に向うことになると楽観した。

 この先、わたしは貧乏で不便になるかもしれない日本の未来を受け入れるつもりだ。

(……続く)

2011/09/13

約半年後の雑感

 東日本大震災と福島第一原発の事故から半年がすぎた。
 いろいろ自分の生活にも変化があった。

 震災後、本棚の上に本を積むのはやめた。それから風呂場にペットボトルの水の汲み置きを何本か用意するようになった。空のペットボトルを風呂場に置いて、シャワーをつかうとき、お湯になるまでの水をすこしずつためる。たまった水はベランダや網戸を洗うときにつかってたまにいれかえている。

 あと食生活も変わった。魚介類の消費量が減った。
 野菜、乳製品を買うときも、かならず産地表示を見るようになった。
 できるだけ被災地のものを買ったほうがいいし、そのことが支援につながるという考えもあるとおもう。
 あまり気にすると、それこそ何も食えなくなるし、だいたいこれまで健康に気をつかった生活をしてきたわけでもない。食事はほぼ自炊だが、食材に関しては安さを重視し、胃の中に入れば同じ、味は調味料でどうにかなると考えていた。

 三月、四月、原発事故の影響に関して、ちゃんと判断できる自信がなかった。とりあえず、半年は慎重すぎるくらいの対応をしておこうとおもった。半年もすれば、だいたいの状況はわかってくるだろう。ところが、半年後の今もよくわからない。

 津波の被災地ではない東京に住んでいても、原発事故の影響は小さくない。風評被害云々は、実害が皆無と証明された場合につかえるいいまわしであり、どうなるのかわからない状態では、原発事故のあった土地、海からなるべく遠い産地のものを買いたいとおもってもおかしくない。ただ、そういう気持をどう言葉にすればいいのだろうかと今も書きながら躊躇している。

 三月、四月は本も読めなくなっていた。ニュースとインターネット(主に原発情報)を見続け、今さらいってもしょうがないようなことばかり考えていた。

 二十数年前、日本の経済が右肩上がりだったころの膨大な浪費(散財)を太陽光発電をはじめとする自然エネルギーに全力で注ぎ込み、二〇一〇年くらいまでに原発を止めていたら……。自分で書いていながらも、いってもしょうがない話だとおもう。ただ、もしそうなっていたらなあ、とおもったのである。すくなくとも、わたしは週に三日は刺身(半額シール付)を食う生活が続いていたはずだ。

 それと同じことは、何年か後、何十年か後にもおもうのかもしれない。この先、日本のどこかで稼働している原発が深刻な事故が起こったとき、「なんで、あのフクシマで懲りて、方向転換しておかなかったのか」と悔やんでも悔やみきれないだろう。

 チェルノブイリ事故のあと、『まだ間に合うのなら』という小冊子が反原発運動家のあいだで、よく読まれていた。
 残念ながら、今回は間に合わなかったけど、これで終わりではない。

(……続く)

2011/09/11

西荻ブックマーク

九月二十五日(日)、岡崎武志さんとトークイベントをします。
公開の場で岡崎さんとふたりで対談するのは今回がはじめてです。
  
第54回西荻ブックマーク
2011年9月25日(日) (古)本と怠け者(ちくま文庫)刊行記念トークイベント

荻原魚雷×岡崎武志
会場:今野スタジオマーレ
開場:16:30/開演:17:00
料金:1500円
定員:30名
要予約

http://nishiogi-bookmark.org/

九月上旬に発売された『本と怠け者』は雑誌「ちくま」 の連載に「震災後日記」他をくわえた文庫オリジナルのエッセイ集です。

今回は巻末解説を書き、先日同じちくま文庫から『女子の古本屋』を出された岡崎武志さんをお迎えし、魚雷×OKATAKEの中央線黄金コンビによる古本談義を堪能していただきます。

2011/09/03

トークショー

 今月、石田千『あめりかむら』(新潮社)、九月上旬刊行予定の拙著『本と怠け者』(ちくま文庫)の刊行記念トークショーをおこないます。

 石田千さんの本は初の小説集。芥川賞候補の表題作をはじめ、古本小説大賞受賞作「大踏切書店のこと」など、五作を収録しています。
 わたしの『本と怠け者』(ちくま文庫)は、雑誌「ちくま」の連載に書き下ろしをくわえた文庫オリジナルのエッセイ集です。

●日時 九月十八日(日) 午後六時〜
●チャージ:入場無料

※飲食代別途かかります。1ドリンク以上オーダーをお願いします。
※予約はcocktailbooks@live.jp まで(アットマークを半角に変換)。
 お名前、人数、当日ご連絡のつく電話番号を明記してください。

●古本酒場コクテイル
東京都杉並区高円寺北3-8-13(「藪そば」と「理容サムソン」のあいだ)
電話 03-3310-8130
http://www2s.biglobe.ne.jp/~wb2/cocktail/contents/tempo.htm